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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

愛国者とは

掲載日:2026/01/12

第一章 戦場にて


 灰色の空の下、弾丸が空気を引き裂く乾いた音が連続する。パンッ、パンッ、パンッ…… まるで無数の金属の鞭が地面を叩くような響きだ。 健司は泥と血の混じった地面に這いつくばり、ヘルメットの下で歯を食いしばっていた。


 視界の端で、ついさっきまで笑っていた翔太が仰向けに倒れた。


 胸の真ん中に赤黒い染みが急速に広がり、泡立った血が口から溢れ出している。


 視界が揺らぐ。息が詰まる。心臓が喉元まで上がり、吐き気が込み上げる。


 周囲の空気は銃煙と泥の臭いで充満し、肺が焼けるように痛む。


 遠くで爆発音が響き、地面が震動する。味方の叫び声、敵の喊声が混じり合い、耳を塞ぎたくなるカオスだ。


 健司の指がライフルを握りしめ、汗で滑る。引き金を引くか迷う一瞬、隣の仲間が頭を撃ち抜かれ、脳漿のように見える赤い液体を撒き散らして崩れ落ちる。


 恐怖が全身を駆け巡り、足が竦む。生き延びたい、という本能が、愛国心などという薄っぺらいものを吹き飛ばす。


 戦場は生き地獄だ。泥濘の地面に足を取られ、転びそうになる。立ち上がろうとすると、弾丸がすぐ横の土を抉る。


 「伏せろ!」誰かの声が聞こえるが、遅い。もう一人の仲間が腹を撃たれ、悶絶しながら倒れる。


 健司は必死で掩蔽物――倒れた木の後ろ――に身を寄せる。息が荒く、ヘルメットの中が汗でびしょ濡れ。


 敵のシルエットが遠くに見え、健司は反射的に銃を構える。照準を合わせ、引き金を引く。パンッ、パンッ。


 命中したかどうかわからないが、相手が倒れるのを見た気がする。罪悪感と達成感が混じり、頭が混乱する。


 指揮官が無線で叫ぶ。「前進! 前進しろ!」 だが、誰も動きたくない。死にたくない。


 健司は深呼吸し、意を決して飛び出す。泥を飛び散らせ、走る。弾丸が耳元を掠め、熱い風を感じる。


 心の中で叫ぶ。なぜこんなところに? 家族は? 仕事は? すべてが無意味に思える。


 戦場の残酷さが、骨身に染みる。倒れた翔太の顔が脳裏に浮かぶ。笑顔が、今は歪んでいる。


 もう一発の弾が近くで炸裂し、土煙が上がる。健司の体が震え、涙がにじむ。


 周囲の木々が弾丸で削られ、枝が折れ落ちる。地面はクレーターだらけで、足元が不安定。


 味方の1人が、健司の前で膝をつき、銃を構えるが、次の瞬間、首を撃たれ、首が不自然に曲がって倒れる。


 赤い液体が噴き出し、健司の顔に飛び散る。味が鉄くさく、吐き気がする。


 敵の陣地から機関銃の音が響き、連続した弾幕が味方を薙ぎ払う。叫び声が上がる。 


 「医者! 医者を呼べ!」


 だが、医者は来ない。ここはそんな場所じゃない。健司は溝に飛び込み、身を隠す。息を殺し、ライフルを構える。敵の影が近づく。


 引き金を引く。パンッ。相手が倒れる。心が痛むが、生きるためだ。


 戦場は永遠のようだ。時間感覚が麻痺し、毎分が苦痛。汗と泥で体が重く、喉が渇く。


 無線から命令が飛ぶ。「突撃! 日本万歳!」 だが、誰も動かない。健司も動けない。


 突然、砲撃音が響き、地面が爆発。土が降り注ぎ、視界が塞がる。咳き込み、目が痛む。


 仲間の一人が、足を撃たれ、這いながら後退する。「助けて……」 健司は手を伸ばすが、届かない。


 戦場の恐怖が、精神を蝕む。愛国心はどこへ? ただの生存本能だけだ。


 健司は意を決し、前進。弾丸が飛び交う中、走る。心臓が破裂しそう。


 倒れた体を越え、血の海を渡る。臭いが鼻を突く。現実味がない。


 敵のバリケードが近づく。射撃を浴びせ、相手を倒す。アドレナリンが体を駆動する。


 だが、疲労が限界。息が上がる。視界が狭まる。


 戦場は容赦ない。死の舞踏だ。健司は祈る。生きて帰りたい、と。「……くそっ」 声にならない呻きが喉から漏れる。


 こんなことなら、愛国者なんて気取らなければよかった。


 胸の奥で、後悔が腐った果実のように膨張していく。


 重く、甘く、吐き気を催すほどに。 銃声は止まない。


 味方も敵も、同じように叫び、同じように撃ち、同じように倒れる。


 泥の中に沈む体が、次々と増えていく。




 健司はまだ知らない。


 この戦場で使われている弾丸は、すべて非殺傷型だということを。


 衝撃で気絶させるだけ。


 死者は出ない。


 ただ、意識を失った人間が、次々と泥の中に沈んでいくだけだ。


 しかし、その光景は本物の死と変わらない恐怖を植え付ける。


 仲間の一人が、健司のすぐ横で膝をつき、銃を構え直す。だが、次の瞬間、肩に弾が当たり、体がびくんと跳ねる。 「うわぁっ!」と短い悲鳴を上げ、顔を泥に埋めて動かなくなる。 健司は思わず手を伸ばすが、指揮官の声がそれを止める。 「健司! 前へ進めぇっ!」


 指揮官の怒号が、耳元で爆発する。 健司は反射的に立ち上がり、泥を蹴って前進した。


 足が重い。


 銃が重い。


 心が、重すぎる。


 周囲の風景がスローモーションのように流れる。木々が弾丸で削られ、葉が舞い散る。


 敵の影がちらりと見え、健司は慌てて引き金を引く。パンッ、という音が自分の銃から出たことに驚く。


 本当に人を撃ったのか? 殺人とはこんものなのか?


 戦場は混沌の極み。味方の無線が乱れ、命令が飛び交う。「左翼から敵!」 「援護射撃!」


 健司は必死で走り、溝に飛び込む。息を殺し、周囲を窺う。敵の足音が近づく気がする。


 恐怖で体が硬直する。訓練とは違う。本物の殺意が空気に満ちている。


 突然、爆発が近くで起き、土が降り注ぐ。耳鳴りがする。健司は叫びそうになる。――なぜ、俺はここにいる?


 その問いが、脳裏で何度も反響する。


 答えはわかっているのに、認めたくなかった。


 家族の顔、足立区の部屋、デモの熱気――すべてが遠い夢のように感じる。


 今、ここは地獄だ。


 戦場は容赦ない。時間は永遠に感じられ、毎秒が死の可能性だ。


 健司はライフルを握りしめ、祈るように前進を続ける。


 さらに銃声が激しくなり、味方が次々と倒れる。赤い染料が飛び散り、地面を染める。


 健司のヘルメットに弾が当たる音が響き、衝撃で視界が揺れる。幸い擦り傷だが、血が流れる。


 痛みで意識が鮮明になる。生きている実感。


 敵の陣地に近づき、グレネードを投げ込む。爆発音が響き、煙が上がる。


 味方が突撃し、混戦になる。格闘音、悲鳴、銃声が交錯。


 健司は敵を撃ち、倒す。体が自動的に動く。訓練の成果だ。


 だが、限界が近い。疲労で視界がぼやける。


 戦場は終わりがないようだ。健司の心は折れかかる。




第二章 足立区の六畳一間


 足立区の古いアパート。二階の角部屋、押し入れを無理やり改造したような六畳一間。


 壁は薄く、隣の咳さえ聞こえてくる。


 健司はいつもと同じように、薄汚れた布団の上でスマホを握りしめていた。 三十三歳。


 正社員の経験は二十歳のときの一年間だけ。


 それ以降は派遣、期間工、短期バイトの繰り返し。


 今の仕事は配送工場の仕分け。


 朝六時始業、夜二十二時終業。


 時給は九百八十円。


 残業代はつくが、休憩は四十五分だけ。


 荷物は延々と流れてくる。


 同じ動作を十時間繰り返す。


 人間が機械になる時間だ。


 腰が痛み、指先が痺れる。毎日同じルーチンに、魂が摩耗していく。


 工場内の空気は埃っぽく、機械の騒音が頭痛を誘う。上司の叱責が飛び、ミスすれば即減給。


 同僚たちも疲れた顔で、無言で作業を続ける。誰も未来を語らない。


 昼休みは弁当を急いで食べ、仮眠を取る。夢の中でさえ、荷物の山が見える。


 退勤後、電車で帰る。混雑した車内で、体が揺られる。疲労が骨まで染みる。


 部屋に帰ると、夕飯はカップラーメン。味気ない。 「はぁ……」 ため息が部屋に淀む。


 実家と言っても、親はもうほとんど口をきかない。


 夕飯の時間になると、母が無言で丼を置いて去っていく。


 父はテレビの前でビールを飲むだけ。


 「いつまでこうしてるんだ」という視線が、毎日突き刺さる。


 時折、父の独り言が聞こえる。「あの歳でまだフラフラしてるなんて……」と。


 部屋に戻ると、孤独が押し寄せる。テレビをつけても、ニュースは暗い話題ばかり。


 C国関連の報道が増え、経済格差を煽る。


 ネットで求人を検索するが、条件が悪いものばかり。絶望感が募る。 ある夜、ネットニュースが目に飛び込んできた。 


 《C国系企業が日本の物流業界を支配。日本人の仕事が次々と奪われている》


 コメント欄は憎悪の坩堝だった。


 《日本人がこんなに苦しんでるのに、C国は笑ってるんだろ》


 《搾取されてるのは全部C国のせいだ》


 《日本を取り戻せ!!》 


 健司の指が震えた。


 そうだよな……俺たち、ずっと搾取されてきたんだ。


 工場での上司の顔が浮かぶ。C国系のマネージャーたちが、効率を叫びながら日本人労働者を酷使する姿。


 怒りが沸き、胸が熱くなる。初めて、何かを変えたいと思った。その感情が、日常の虚しさを埋める。 その夜、初めて匿名掲示板に書き込んだ。


 《C国は日本を食い物にしてる。俺たちが立ち上がらなきゃ、誰も守ってくれない》  


 送信ボタンを押した瞬間、胸の奥で何かが熱くなった。


 現実では誰にも言えない言葉。


 ネットだからこそ、言える言葉。


 その快感が、僅かながら彼の空虚を埋めた。


 その後、数時間掲示板を眺め、似た意見に共感を覚える。初めての「つながり」の感覚だ。


 夜更けまでスクロールし、眠れなくなる。明日も仕事なのに、興奮が収まらない。


 翌日、工場で荷物を仕分けながら、昨日の書き込みを思い出す。誰かがレスをつけてくれた。


 小さな喜びが、作業を少し楽にする。




第三章 街頭の叫び


 数日後、健司は初めてデモに参加した。


 新宿駅西口。


 プラカードを持った男たちが、拡声器で叫んでいる。人々が集まり、数百人の群衆が道路を埋め尽くす。空気は熱気と緊張に満ち、汗の臭いが混じる。


 旗がはためき、スローガンが書かれた横断幕が揺れる。


 参加者たちは老若男女、皆怒りの表情だ。


 リーダーがマイクで演説を始め、群衆を煽る。


 「C国の搾取に耐え続けるのか? 立ち上がれ!」


 拍手と歓声が沸き、拳が上がる。


 健司は後ろの方に立ち、様子を窺う。心臓が速く鼓動し、手に汗をかく。


 デモ隊が動き出し、道路を進む。交通が止まり、クラクションが鳴り響く。


 沿道の通行人が見物し、スマホで撮影する。野次が飛ぶ。「がんばれ!」 「ばかばかしい」


 機動隊が壁を作り、盾を構える。緊張感が高まる。


 健司はプラカードを渡され、「C国帰れ」と書かれたものを持つ。重く感じる。


 叫び声が大きくなり、健司も小声で参加。「日本を取り戻せ……」 「C国に日本を渡すな!」


 「日本を取り戻せ!」 健司は最後列で、おずおずと口を開いた。「……日本を、取り戻せ……」 声が小さい。


 自分でも情けになる。


 周囲の叫びが耳を突き刺す。「売国奴め!」 「C国帰れ!」 プラカードには過激なスローガンが並ぶ。


 警察の機動隊が遠巻きに監視し、盾を構えている。いつ暴徒化するかわからない緊張感。健司の心臓が速く鼓動する。興奮と恐怖が混じり、足が震える。


 群衆が前進し始め、道路を占拠する。車がクラクションを鳴らし、通行人が避ける。


 リーダーがマイクで演説。「我々は搾取されている! C国に支配されるな!」 拍手と歓声が沸く。


 健司は徐々に声を大きくし、拳を振り上げる。集団のエネルギーが体を駆り立てる。


 突然、反対派のグループが現れ、罵声を浴びせる。「差別主義者!」 「平和を乱すな!」


 一触即発の雰囲気。機動隊が間に入り、押し合う。健司は巻き込まれ、肩を押される。


 恐怖を感じるが、興奮が勝る。初めての「闘い」の味だ。


 デモは続き、駅前広場で座り込み。歌を歌い、スローガンを連呼。健司の喉が枯れる。汗だくになり、足が痛むが、止めたくない。周りの参加者と話す。「お前もC国に仕事奪われたのか?」 「ああ、工場でな」


 共感が広がり、連帯感が生まれる。孤独が溶ける。


 「おい兄ちゃん! もっと腹から出せよ!」 隣で陽気に叫んでいた茶髪の男が、肩を叩いてきた。


 翔太。二十七歳。


 コンビニバイトを転々としながら、毎日ゲームと酒と筋トレ。


 正反対の人間だった。


  「俺らが日本を守るんだろ? 声出せって!」


 「……う、うん」 


 翔太の勢いに押され、健司は声を張り上げた。 


 


 「日本を取り戻せぇっ!」




 その瞬間、初めて「自分は何者かになれた」と錯覚した。


 周りの歓声が、胸を熱くする。翔太がニヤリと笑った。


 「いいじゃん! その調子!」 


 その笑顔に、妙な安心感を覚えた。初めて、誰かと「同じ側」に立てた気がした。デモの終わり、翔太と連絡先を交換。新しい友情の始まりだ。


 帰路、電車で興奮を振り返る。明日から変わるかも、と希望を抱く。




第四章 黒服の訪問


 デモから一週間後。夜十一時過ぎ、部屋のチャイムが鳴った。ドアを開けると、黒いスーツの男が立っていた。


 四十代後半。目が鋭く、口元に薄い笑み。  


 「佐藤健司さんですね」


 「……はい」


 「あなたみたいな愛国者を、我々は探していました」


 低い声が、心臓を直接叩くように響いた。  


 「日本の未来のために、力を貸してほしい」  


 男は名刺を差し出した。表記は「国家安全保障協力室」。聞いたことのない部署だったが、健司は迷わなかった。疑いもしなかった。


 俺の愛国心を見てくれていた人たちがいたのだ。


 「……俺で、よければ」


 男は小さく頷いた。


 「では、明後日の午後。指定の場所へ」


 ドアが閉まった瞬間、健司は膝から崩れ落ちた。震えが止まらない。嬉しさと、恐怖と、期待と、後悔が、一緒に渦巻いていた。


 その夜、眠れず、天井を見つめ続ける。人生が変わる予感がする。男の言葉が頭に響く。「日本の未来のために」 誇らしいが、不安も大きい。家族に相談しようかと思うが、話せない。秘密だ。




第五章 体育館の洗礼


 指定されたのは、郊外の古い体育館だった。中に入ると、同じような男たちが百人近く集まっていた。


 年齢は二十代後半から四十代前半。皆、どこか目が渇いている。


 翔太もいた。


 「健司! やっぱ来たか!」


 「……お前もか」


 「当たり前だろ! 俺ら選ばれたんだぜ?」 


 壇上に上がったのは、制服姿の男。肩章に金色の星が三つ。


 自衛隊ではない、何かの制服だ。


 「諸君らの愛国心を、我々は信頼している」 


 声が体育館に響く。


 「日本を守るため、今こそ戦ってほしい」 


 誰かが手を挙げた。


 「自衛隊じゃ、だめなんですか?」


 男は薄く笑った。


 「自衛隊の出動は、高富首相が望んでおられません。憲法の縛りもある。だからこそ、真の愛国者たる君たちに、期待が寄せられているのです」


 そんなセリフが終わると同時に、スクリーンに映し出されたのは、高富首相のビデオメッセージだった。




 『君たちの勇気が、日本を守る。私は君たちを、心から誇りに思う』


 会場が拍手と歓声に包まれた。


 健司の目にも涙が浮かんだ。――俺は、選ばれたんだ。


 三十三年生きてきて、初めて誰かに必要とされた。周りの男たちも、同じように感動の表情を浮かべる。皆、似た境遇の人間たちだ。会談後、グループ分け。健司と翔太は同じ班。運命を感じる。説明が続き、訓練の概要を聞く。厳しいが、目的のためだ。


第六章 地獄の訓練


 訓練所は、山奥の廃校跡だった。三ヶ月間、朝五時起床。十キロランニングから始まり、腕立て百回、懸垂五十回、射撃、格闘、夜間行軍。泥にまみれ、吐きながら這う日々。夜は氷点下近くまで冷え込む。毛布一枚で眠る。


 教官の叱責が飛ぶ。


 「動け! お前らの愛国心はそれだけか?」


 健司は限界を感じ、吐く。翔太が励ます。


 「がんばれよ!」


 射撃訓練では、標的を撃つ。赤いペイントが弾けるたび、胃が痛む。格闘訓練で、仲間と組み手。痛みで体が悲鳴を上げる。夜間行軍では、暗闇を歩く。疲労で幻覚が見える。食事は質素。栄養は取れるが、味がない。徐々に体が慣れ、筋肉がつく。精神も強くなる。


 翔太はいつも明るく、班をまとめる。健司は内省し、目的を思い出す。日本を守るためだ。 翔太は最後まで笑っていた。


 「健司、顔死んでるぞ! でもすげえだろ、俺ら!」


 「……誇り、ね」


 健司は苦笑した。


 射撃訓練の最終日。標的は人間大のシルエット。頭部に赤いペイントが弾ける瞬間、健司の胃が縮こまった。――これが、人間だったら。 夜、寝床で何度も想像する。


 人を撃つ感触。


 血の匂い。


 悲鳴。


 でも、もう後戻りはできない。訓練の最後に、誓いの言葉を叫ぶ。「日本万歳!」 胸が熱くなる。




第七章 出征前夜


 簡易ベッドに横たわり、天井を見つめる。翔太が隣でスマホをいじりながら話しかけてきた。


 「なあ健司、帰ったら何する?」


 「……わからない」 


 「俺はさ、まず焼肉だな。でっかい風呂入って、女の子と遊んで……最高だろ?」


 翔太の笑い声が響く。


 健司は小さく笑った。


 「……お前、ほんと陽気だな」


 「だろ? でもよ、俺らマジですげえことしてんだぜ? 日本を守るんだぞ!」


 翔太の目が輝いていた。健司は黙って頷いた。――俺も、そう思いたい。


 胸の奥に、僅かな誇りが芽生えていた。家族に手紙を書く。帰ったら会おう、と。送れないが、心の支えだ。


 睡眠が浅く、夢で戦場を見た。




第八章 K州上陸


 輸送船の荷台は鉄と油の匂いが充満していた。健司はライフルを膝に抱え、揺れる船体に身を任せていた。窓の外は灰色の海。水平線が、どこまでも灰色だ。小型揚陸艇に乗り換え、浜辺へ。


 「全員、準備しろ!」


 指揮官の怒号。艇が砂浜に乗り上げた瞬間、世界が爆発した。


 爆音。煙。砂塵。


 銃弾が水面を弾き、跳ねる。 パンッパンッパンッ―― 健司は泥に膝をつき、ライフルを構えた。


 翔太が隣で叫ぶ。


 「健司! 生きて帰るぞ、絶対!」


 「……ああ」 


 唇を噛む。本当に、生きて帰れるのか。浜辺は混乱。味方が次々と撃たれ、倒れる。


 健司は前進し、射撃。敵を倒す。アドレナリンが湧く。




第九章 気絶と目覚め


 戦闘は三時間続いた。翔太が胸を撃たれて倒れた瞬間、健司は叫んだ。


 「翔太ぁっ!」


 次の瞬間、背中から強烈な衝撃。視界が白く染まり、意識が落ちた。 目覚めたとき、そこはコンクリートの収容所だった。天井は高く、蛍光灯が無機質に光る。首には電子タグ。


 自動音声がスピーカーから流れる。


 『リーベンレンのミナサマ。ようこそ、地上のラクエン、シンチェン・ファクトリへ。素晴らしい環境で労働のヨロコビをともにワカチアイましょお』


 


 収容所の作業は単純で、果てしなかった。二十四時間シフトの巨大自動倉庫。荷物を運び、仕分け、梱包、再出荷。休憩は四時間に一度、十五分。食事は灰色の栄養ペーストのみ。首のタグが監視し、怠けると電流が流れる。痛みで体が痙攣する。


 同房の捕虜たちが、同じように働く。会話は許されていないが、目で理解する。荷物は重く、腰が痛む。指が切れ、血が出るが、止まらない。


 夜シフトでは、暗い照明で作業。目が疲れ、頭痛がする。ペーストの味は泥のよう。栄養だけだ。体重が減り、筋肉が落ちる。看守が巡回し、鞭で打つ。ミスすれば罰。健司は機械のように動く。思考が止まる。


 時折、翔太の顔が浮かぶ。涙が出るが、拭けない。労働は無限。シフトが変わっても、休みなし。体が壊れていく。膝が腫れ、歩くのが辛い。


 同僚の捕虜が倒れ、タグの電流で起き上がる。悲鳴が響く。


 健司は呟く。「なぜ……」 声が出ない。


 倉庫は巨大。棚が天井まで。荷物が山積み。フォークリフトを操作し、事故が起きる。仲間が潰され、回収される。強制労働の地獄。自由がない。希望がない。毎日同じ。時間感覚が失われる。体が限界に近づく。精神が崩壊しかける。


 だが、止まれない。生きるため、働く。 別部隊だった青年が、ぼそっと呟いた。「……俺も、愛国者だって言われて来た」 


 健司は答えなかった。言葉にする力が、もう残っていなかった。 夜、薄暗い寝床で健司は考える。


 愛国心は、便利な麻薬だった。


 誰かが灯して、誰かが消費して、誰かが儲ける。


 俺たちは、ただの燃料。


 収容所のルールが厳しく、会話禁止。孤独が深い。労働中、機械の騒音が耳を塞ぐ。振動が体を震わせる。休憩でペーストを食べ、すぐに作業に戻る。胃が痛む。タグの電流が、夢でも感じる。睡眠が浅い。体が痩せ、骨が浮く。鏡を見ると、別人だ。強制労働は魂を削る。尊厳を失う。ジェスチャーで励ます。


 ある日、青年が倒れ、連れ去られる。二度と戻らない。恐怖が広がる。健司もいつかそうなる。作業が続き、指が動かなくなる。包帯もなく、続ける。痛みで涙が出る。誰も助けない。倉庫の空気は埃っぽく、咳が出る。病気になりそう。強制労働の日常。地獄のループだ。




第十章 エコの果て


 捕虜になってから2年。健司はもう走れなくなっていた。膝は壊れ、背中は曲がり、目は虚ろ。でも作業は止められない。止まれば、首のタグが電流を流す。 健司は荷物を運びながら、静かに呟いた。「……愛国者とは」 言葉は最後まで続かなかった。


 ただ、涙だけが、埃だらけの頬を伝い、コンクリートの床に、ぽたりと落ちた。体が限界。歩くだけで痛み。仲間が減り、新たな「愛国者」が補充される。サイクルが続く。エコだ、と嘲る声が聞こえる。精神が麻痺。感情が薄れる。労働のみの存在になる。




最終章 秘密会談


 「お互い人手不足は深刻ですからな。偉そうなことばっか言って、自国の恵まれた環境ではロクに働かない連中を再活用できて、まさしくエコと言うべきですな」


 高富首相とC国の習遠源総書記が、並んで笑っていた。低い笑い声が重なる。


 「サスティナブル・ウォーですよ。軍事ケインズ主義。労働力の需要と供給を、戦争で調整する。完璧ですね。」


 二人の横にあるモニターには、それぞれの国の倉庫収容所の様子が映し出されていた。それを横目に和やかな会談は続いた。




 「本日も両国の愛国者諸君、エコにご協力ありがとう!サスティナブル・ウォーは続くよ!日本とC国、共に繁栄を!」


 二人の笑い声が、いつまでも重なり合っていた。

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