第5話:総務省・電波管理局 特殊ノイズ係(真空管は怒号と共に)
1. 混線する憂鬱
現代社会は、音で溢れている。車の走行音、街頭ビジョンの広告、そして無数に飛び交う電子音。普通の人には聞こえないその「層」の音が、僕――音無 響には、耐え難いほどの「絶叫」として聞こえてしまう。
『……ボクノホウガ……スキダッタノニ……』 『ウソダ……カエシテ……』
「……うるさい。なんなんですか、これ……」
総務省の地下、埃っぽい機材室。僕は高性能なノイズキャンセリングイヤホンを耳に押し込み、デスクに突っ伏していた。さっきから、謎の「失恋ポエム」が頭の中に直接響いてくるのだ。しかも、泣きじゃくる男の声で。僕の特異体質は「霊的難聴」。怪異の声や霊的な波長が、常にノイズとして聞こえてしまう。
「おい新人。辛気臭い顔してんじゃねえ。……真空管が冷めるだろうが」
背後から、野太い声とタバコの煙が漂ってきた。振り返ると、そこには時代錯誤も甚だしい格好をした巨漢が、愛おしそうに機材を磨いていた。作業着の上に、戦場カメラマンのような多機能ベスト。背中には、冷蔵庫ほどもありそうな巨大な金属製の箱(自作の真空管アンプ)を背負い、足元には棘のついた巨大なアンテナのような鉄棒が転がっている。
総務省・電波管理局、特殊ノイズ係長。八木 剛。通称「アナログの八木」。この道30年のベテランであり、デジタルを親の仇のように憎むアナログ信奉者だ。
「すみません、八木さん……。でも、さっきから電波がおかしいんです。空の方から、ものすごい『未練』のノイズが降ってきてて……」
その時だった。機材室のあちこちに置かれたアナログ計器の針が、一斉に振り切れ、警告音を発し始めた。
バチバチバチッ!!
「ああん? 計測器がショートだと?」
八木さんが眉をひそめ、天井(空)を睨みつけた。その目は、瞬時にして熟練のエンジニアから、猛獣のそれへと変わる。
「……あの『天気屋』か。またふざけた雷を落としやがったな」
八木さんは舌打ちをすると、デスクの黒電話(もちろんダイヤル式だ)をひっつかみ、乱暴にダイヤルを回した。
ジーコ、ジーコ。
相手が出るのを待たず、八木さんは受話器に向かって怒号を浴びせた。
「――ふざけてんじゃねえぞ、天気屋ァ!! テメェのところの雷のせいで、ウチの測定器が誤作動起こしてんだよ!!」
受話器の向こうの相手――気象庁の天羽――が何か言い訳をしているようだが、八木さんは聞く耳を持たない。
「知ったことか! おかげでウチの新人の耳がキンキン鳴って倒れてんだよ! 『空から“振られた”って怨嗟の声が聞こえる』ってな!」
……え?
僕は耳を疑った。あの八木さんが、僕のことを気遣ってくれている? 「新人が倒れてる」って、僕のために抗議してくれているのか。感動しかけた次の瞬間。
「……当たり前だ。デジタルの軟弱なノイズなんざ、俺の真空管アンプで殴り飛ばしてやる。……だがな、貸し一つだぞ。今度、美味い酒持ってきやがれ」
ガチャン!!
八木さんは受話器が割れんばかりの勢いで叩きつけた。
「新人。原因が分かったぞ。気象庁の馬鹿どもが、『失恋した新人の涙』を雷に乗せてバラ撒きやがったらしい」
「はあ!? 失恋……? じゃあ、この聞こえてくるポエムは……」
「そっちの(気象庁の)新人の心の声だ。……まったく、最近の若いのは根性がねえ」
八木さんは呆れたようにタバコを吹かしたが、すぐに鋭い眼光になった。
「だが、笑い事じゃねえぞ。その雷ノイズのせいで、大気が不安定になってやがる。……これじゃあ、今日の『式典』は荒れるぞ」
2. 電波の海で溺れる
午後。僕たちは東京タワーのふもとにいた。今日から運用が開始される「次世代通信規格(6G試験電波)」の開通式典の警備だ。本来なら華やかなイベントだが、僕にとっては地獄の釜の蓋が開く瞬間に等しい。
「……係長。やっぱり、電波の質が悪いです。粘ついてます」
僕はイヤホンを押さえながら報告した。気象庁由来の「失恋ノイズ」が呼び水になったのか、このあたりの電波全体が、ドロリとした悪意を帯び始めている。
「はん。どうせデジタルの薄っぺらい信号だろ。0と1だけで呪いを圧縮しようとしやがるから、解凍した時にバグるんだよ」
八木さんは、手に持ったアンテナ(鈍器)で、地面をコツコツと叩いた。
「そろそろ時間だ。……来るぞ、新人。耳を塞げ」
八木さんがサングラスをかけた、その時。ステージ上の大臣が、スイッチを押した。
『それでは、次世代通信網、起動!』
ブォン。
空気が震えた。
目に見えない波紋が、東京タワーを中心に爆発的に広がる。その瞬間。僕の耳元のイヤホンが、バチバチと火花を散らしてショートした。
「うああっ!?」
防壁が消える。直後、脳髄に直接、数百万人の「悪意」が雪崩れ込んできた。
『シネ』『ミテルゾ』『オマエノコトダ』『カギヲアケロ』
SNSの誹謗中傷、ネットの炎上、匿名掲示板の怨嗟。それらが電波に乗って増幅され、物理的な「音圧」となって襲いかかってくる。
「ぐ、あああああああッ!!」
僕は頭を抱えてうずくまった。周囲を見ると、スマホを操作していた一般客たちが、次々と白目を剥いて倒れ、あるいは奇声を上げて互いに殴り合いを始めている。 電子ドラッグだ。呪いが、電波に乗って拡散している。
「……チッ。だから言ったんだ。デジタルは信用ならねえ」
混沌とする会場で、八木さんだけが仁王立ちしていた。彼は、背中の巨大な装置から伸びる極太のケーブルを、手にしたアンテナに接続した。
バチィッ!!
真空管がオレンジ色に輝き、重苦しい駆動音が唸りを上げる。
「新人。座標はどこだ」
「え……?」
「このふざけたノイズの発生源だ! どこの基地局が汚染されてやがる!」
八木さんの怒声に、僕は必死に意識を集中させた。音の洪水の中、ひときわ不快で、ドス黒いノイズの出どころを探る。それは、タワーの中腹。新設されたばかりのアンテナ増設ユニット。
「あ、あそこです! 第三デッキの下! 黒い靄がかかってます!」
「よし。……仕事の時間だ」
3. アナログ・インパクト
八木さんは、走り出した。総重量40キロはある機材を背負っているとは思えない速度だ。彼はタワーのメンテナンス用階段を駆け上がり、問題のユニットへと肉薄する。
そこには、配線コードがスパゲッティのように絡まり合い、人の顔のような形を作っていた。
『電子の怪異』。ネットの悪意が集合して生まれた、現代の妖怪。
『ギギギ……ツナガレ……同期シロ……』
怪異が、無数のケーブルを触手のように伸ばし、八木さんに襲いかかる。触れれば精神をハッキングされ、廃人にされる。だが、八木さんは止まらない。
彼は手にしたアンテナ――いや、鉄塊を、野球のバットのように構えた。
「うっせえんだよ! 通信障害で詫び石配ってろ!!」
ブォン!!
八木さんがスイッチを入れると、背中の装置から猛烈な「逆位相の波形」が出力された。
それはデジタルな信号ではない。
真空管とコイルによって増幅された、泥臭く、熱く、圧倒的な質量を持った「アナログの大音量」だ。
キィィィィィン!!
怪異の放つデジタル信号と、八木さんのアナログ波が衝突する。緻密な0と1の羅列が、暴力的な音波によって粉々に破壊される。
『ガ、ガガガ……!? エラー、エラー……!』
怪異がバグったように硬直した。 その隙を、八木さんは逃さない。
「修正パッチ(物理)だ! 受け取りやがれぇぇッ!」
ドォォォォォォン!!
八木さんのフルスイングが、怪異の核であるサーバーユニットに炸裂した。火花が散り、パーツが飛び散る。怪異は断末魔を上げることもなく、物理的に粉砕された。
プツン。
世界から、ノイズが消えた。
4. 感染の兆候
暴れていた人々が、糸が切れたようにその場に崩れ落ちる。僕の耳に聞こえていた絶叫も消え、代わりに聞こえてくるのは、遠くの救急車のサイレンと、風の音だけ。
「……ふゥ。真空管が焼けちまったな」
八木さんが、タワーの上から降りてきた。焦げ臭い匂いを漂わせながら、壊れたアンテナを肩に担いでいる。その顔は、煤だらけだったが、どこか満足げだった。
「八木さん……」
「おう。静かになったな。……いいか新人、人間様の魂まで、デジタルに変換できやしねえんだよ」
その言葉に、僕は深く頷いた。
アナログの「重み」が、世界を救ったのだ。
だが。倒れている一般客の一人に近づいた時、僕は違和感を覚えた。
「……あれ?」
気を失っている男性の首筋に、黒い痣のようなものが浮かんでいる。 それは、ただの内出血ではない。まるで植物の根のように、血管に沿って這い回っている。
「係長、これ……」
八木さんが覗き込み、表情を険しくした。
「チッ。ノイズは消したが、食らっちまった後か」
「え?」
「電子呪詛ってのはな、一種のウイルスだ。……一度でも深く『同期』しちまった奴は、こうやって身体に痕跡が残る」
遠くから、救急隊員の声が聞こえる。
『おい、こっちの患者、高熱だ!』 『こっちもだ! 痙攣してるぞ!』
ただの気絶じゃない。これは、「感染」だ。
「……俺たちの仕事(物理破壊)は終わりだ。ここから先は、専門家の領分だな」
八木さんは、どこか諦めたように、しかし信頼を込めて言った。
「厚労省の『あの変人医者』に回せ。……パンデミックになる前に、な」
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次は「厚生労働省・防疫課・第四種指定係」の事例です。




