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ぼくはくろねこ

エピソード28 約4000字の短編小説


私の黒猫は、私のことが大好きだ。

漆黒の毛並みを持つ、雄の黒猫。

今夜もお前の鳴く声が、聞こえるよ。

でもお前は、どうしていつも、そこにいるんだ?

 猫の声が聞こえる。


 もうずいぶん前から聞こえている気もするが、たった今、聞こえてきたような気もする。


 夢を見ていたのか、それともまだ夢の中なのか。

 私はゆっくりと目を開けた。


「夢じゃない、猫の声だ」


 私はその声に誘われて、廊下に立った。


 いくつかの常夜灯に照らされた廊下は薄暗い。

 そこにいくつか並ぶドアの前に、猫の形をした漆黒が浮かんでいる。


「クルー?」


 うちに来てもう1年になる。とても賢い、そして可愛い我が家の黒猫。


 クルーが座っているそこは、風呂場に続く洗面所のドアの前だった。あごを上げて背筋を伸ばし、何かを見上げている。


 ”蜘蛛でもいるのかな?”


 なにかをじっと見つめる姿が、夢中で釣りをする少年のようで、そんな様子がちょっと可笑しくて、ふふっと声が漏れた。するとクルーはその声に応えるように「にゃあーん」と鳴いた。


「クルーどうした?誰か入ってるのか?」


「にゃあーん、にゃあーん」


 クルーの声は大きくなって、まるで「このドアを開けて」と言ってるようだ。


「クルー、風呂にも洗面所にも誰もいないだろ? とうさんはこっちだぞ、こっちにおいで」


 クルーはブルーの瞳をこちらに向けた。でも、私の方に来るでもなく、ちょっと首をかしげて「にゃあーん」と鳴いた。


「あれ?」


 私はクルーを見つめた。


「クルー、お前ずいぶん大きいなぁ、いつの間にこんな大きくなった?」


 クルーはようやく1歳を過ぎた頃。子猫ではないがまだ華奢な体付きをしている。でも今、目の前にいるクルーはひと回り大きい。


「クルーどうしたんだ?こっちにおいで」


 クルーは、またドアに向かって「開けて開けて」と鳴きだした。

 背のびして、ドアをカリカリと引っ掻いている。


 その音はどんどん大きくなる。


カリカリ、カリカリ、カリカリカリカリカリカリカリ


ガリガリガリガリガリガリ


「開けて開けて」


 その声もどんどん大きくなる。


「にゃーーお にゃーーお にゃーーお にゃーーお にゃーーお」


「クルー!だめだよそんな大きな音を立てて! 今何時だと思ってるの?」


 そう言ったとき、ある疑問が頭に浮かんだ。


「あれ?今、何時?」

「何時だっけ」


「そう言えば今日は、いつ?」

「いつだっけ」


 私は目の前のクルーを抱き上げようとしたが、その手は虚しく空を切った。


「なぜ?なぜ?」


「なんで?なんで?なんで?」


 頭がぼぅっとする。


 目が霞んでくる。


 あの日、何があったんだっけ。


 あそこで。


 クルーが必死に引っ掻いている、あのドアの向こうで。


 感覚は無くなっていく。

 もう目は見えない


 ただ聞こえるのは、私を探すクルーの声だけ。


 その声を聞きながら、私は思い出した。


 あの日、私は倒れたんだ。あのドアの向こうで。


 いつものようにドアの前で私を待っていたクルーは、大きな声で鳴いて、ドアをガリガリと引っ掻いていた。


 それが私の最後の記憶。


 それがクルーの声。


「そうか、そうだったか」


 私の意識のようなものは、ストンと暗闇に落ちた。



 にゃあーん


 僕は大きな声で鳴いてみた。


 でも僕の目の前のドアは、開かない。


 このドアの向こうにはお父ちゃんがいるはずなんだけど、全然出てこない。


 前はここで待っていれば、ジャージャーガタガタ音がして、シャカシャカ布が擦れる音がして、あーぁあ!とか声がして、お父ちゃんが出てくる。


 そして、抱っこしてくれるんだ。


「クルー、待ってたのか?いい子だね」って。


 せっかく着替えたいい香りのシャツに、僕の黒い毛がいっぱい付くけど、そんなの全然構わないんだ。


 お母ちゃんは怒るけどね。


 でもあの日から、お父ちゃんは出てこない。いったい何をしてるんだろ?


 あの日、このドアの向こうで、いつもはしない音がした。


 がたがたーん!って、で、ぐぁー、とか、ぐぐぐー、とか声がした。


 僕はびっくりして、にゃあーーんにゃあーーんにゃあーーんって鳴いた。


 目いっぱい背伸びして、ドアをガリガリガリガリ引っ掻いた。


 とうちゃんとうちゃんとうちゃん!


 爪が取れるくらい引っ掻いた。


 喉が痛いくらい鳴いた。


 そしたらお母ちゃんが走ってきて、僕を抱えて別の部屋に連れて行って、お姉ちゃんがドアをドンドン叩いて、それから、それから。


 お父ちゃんは出てこなくなったんだ。


 だから僕は、毎晩毎晩お父ちゃんが出てくるのを待っている。


 みんなが寝てしまってから、ずっと。このドアの前で。


 ある晩、僕はドアの向こうにいるお父ちゃんを呼んでみた。


 にゃあーん、にゃあーん


 そしたらね、「クルー」って声が聞こえたんだよ。


 お父ちゃんの声?廊下の方から!


 でもね、その声の方には、誰もいなかったんだ。


 おかしいな?

 僕は首をかしげた。


 そうか、やっぱりこのドアの向こうなんだ!


 僕は目いっぱい背伸びして、ドアを引っ掻いた。


 カリカリカリカリ、ガリガリガリガリ、ガリガリガリガリ!


 一生懸命鳴いた。


 にゃあーおにゃあーおにゃあーおにゃあーお


 そしたらね、何かがふわっと、僕を包んだんだ。


 とてもうれしい感じ。


 とても懐かしい感じ。


 でもそれっきり。


 お父ちゃんは、やっぱり出てこなかった。



 今夜もクルーの声がする。


 その声は、暗闇に閉ざされた私の意識のようなものを、この廊下に連れてくる。


 そして私は、クルーを抱きしめるんだ。


 でもそれは叶わない。


 クルーの可愛い瞳を見ながら、私を呼ぶ声を聞きながら、私の両腕は今夜も空を切る。


 何度も、何度も。


 クルー、私の可愛い・・黒猫。



 あれから何回、このドアの前に座ったかな。


 僕がどんなに鳴いても、お父ちゃんは出てこない。


 でもね、きっといるんだよ?

 だって、いつも小さな声が聞こえるし、ふわっと幸せな気分になるんだもの。


 探さなきゃ、お父ちゃんを探さなきゃ。


 毎日、毎日。


 僕の大好きな、お父ちゃん。



 あれからどれくらい待ったかな。


 いつの間にか僕の足は弱くなって、ソファーに乗ることもできなくなっちゃった。


 なんだか息もしにくくなったし、ご飯も食べられなくなって。


 それで、お母ちゃんとお姉ちゃんは、いつも僕のそばにいるようになったんだ。


 お父ちゃんを探さなきゃって、お母ちゃんに言うんだけど、「駄目だよクルー、ここで寝ておきなさい」って、優しく撫でてくれるんだ。


 そんなとき、僕は幸せだなって思うんだよね。


 その日もね、ご飯は食べてないけどお腹はすいてないし、お母ちゃんとお姉ちゃんがいっぱい撫でてくれるし、とっても眠くなって、もう寝よって思ったんだ。


 とっても幸せだなって、思いながら。


 お父ちゃんに会いたいなって、思いながら。


 目を閉じた。



 あれ?

 今夜は少し違う。


 体が軽いよ?


 お母ちゃんとお姉ちゃんは泣いてるみたいだけど、大丈夫!僕は元気になったんだ!


 僕は足取り軽くあのドアの前に座って、にゃーーんって、いつもより大きな声で鳴いた。


 そしたらね、廊下の方に誰か見えたんだ。


「お父ちゃん!」


 やっと見つけた! 僕はもっと大きな声で鳴いたよ。


「にゃあーーん!」


 僕はお父ちゃんに甘えたくてしかたないんだ。


「クルー、お前、ずいぶん年寄りになっちゃって」


 僕はお父ちゃんに向かって走り出した。


「クルー」


 僕はお父ちゃんに抱きしめられて、にゃんって鳴いた。


 僕は嬉しくて嬉しくてしょうがないのに、なぜだろう、お父ちゃんは泣いている。


 なぜかなぁ?



 いったい、何回目だろうか。いや、何十回、何百回・・


 この廊下に立って、クルーの瞳を見つめて、抱き締めようとするのは。


 でも、今夜は少し違う。


 クルーは最初から私の方を見ている。


 あのドアの前に座って、私を見て、そして鳴いている。


「にゃーん」


 ”とうさん見つけた”


 もう私を探す声じゃない、クルーの声は甘えている。


「クルー、お前、ずいぶん年寄りになっちゃって」


 声を掛けると、クルーはまっすぐ私の方へ向かってくる。


「クルー」


 クルーを抱きしめた。


 両腕にフワフワと当たるクルーの被毛。手の平で撫でるとクルーは目を細めた。


「やっと、やっとだ、やっとお前を、抱き締められた」


 私の目から、涙が溢れた。



 泣いてるお父ちゃんの顔を見ていたら、僕は急に気が付いた。


 そうだ、僕には行くところがあるんだ。


 そうだ、お父ちゃんと一緒に行けばいいんだ。


 僕は「にゃん」って鳴いて、お父ちゃんの腕から飛び降りた。


「クルー、どこにいく?」


 僕は振り返って鳴いた。


「にゃおーん」


 お父ちゃん、こっちだよ。



 クルーはゴロゴロと喉を鳴らし、甘えた声で「にゃん」と鳴いた。そして私の腕から飛び降りて、暗い廊下の向こうに歩き出した。


「クルー、どこにいく?」


 クルーは振り返って鳴いた。


「にゃおーん」


 ”とうさん、こっちだよ”


 私はその声に導かれて、廊下を歩いた。


 それを見たクルーは安心したように私の足元に来て、抱っこをせがんだ。


 私はクルーを両腕に抱いて歩く。


 暗いはずの廊下は、光に溢れていた。


 光は様々な色で瞬いて、私とクルーを包む。


 眩い光の中でも、クルーの体は漆黒だ。


 いつの間にか私とクルーは、虹色の橋を渡っていた。


 私の腕の中で、クルーは私の顔を見つめている。


 そのブルーの瞳は、きらきらと輝いていた。



 お父ちゃんは僕の方に歩いてきた。


 もう大丈夫。お父ちゃんと一緒に行ける。


 僕はもう一度、お父ちゃんに抱っこしてもらった。


 お父ちゃんは僕を両腕に抱いて歩く。


 暗いはずの廊下は光に溢れている。


 光は様々な色で瞬いて、僕とお父ちゃんを包む。


 お父ちゃんはもう泣いてない。穏やかな顔で、眩い光を浴びている。


 いつの間にか僕とお父ちゃんは、虹色の橋を渡っていた。


 見上げると、お父ちゃんは僕の顔を見つめてる。


 お父ちゃんは、優しい顔をしているなぁ。


 だから好きなんだ。



 にゃーんと、クルーが鳴いた。


 ”いつも一緒だね”


 そう聞こえた。


「そうだね」


 私は笑った。



「にゃーん」


 ”いつも一緒だね”


 僕はそう鳴いた。


「そうだね」


 お父ちゃんは笑った。



 僕は、やっぱり幸せだ。






ぼくはくろねこ   了

大盛こもりの短編集。

がんばって毎日1本アップしたいですが、難しいですね。

でも、お気に召す作品が1本でもあれば、うれしいです。

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