9二ャ:行ってきますとただいま
朝。
窓から差し込む光が、まだ少し眠たげな空気を照らしている。
鞄を肩にかけて、靴を履きながらドアに手をかけたとき。
それぞれの場所から、三匹が思い思いの「行ってらっしゃい」をくれる。
ツンはいつも通りの窓際で、少しだけ高いところからこちらをじっと見ている。
玄関までは来ないけれど、私がしゃがんで靴紐を結ぶ動きも、振り返るしぐさも、ちゃんと見ている。
その視線に気づいて、ふと目が合うと、彼女は小さく目を細めた。
まるで「気をつけて行ってらっしゃい」と言っているみたいに。
不器用で、だけど優しい。ツンのそういうところ、私はちゃんと知ってる。
みーたんは、リビングのラグの上で毛布のように丸くなっている。
寝ぼけ眼でこちらを見るけれど、すぐに顔を埋めるように伏せて、また目を閉じた。
その前に、一度だけ「んにゃ」と小さな声がこぼれる。
まだ夢のなかにいるみたいな、でもどこか寂しさが混ざったような、かすれたひと鳴き。
まるで「寂しいけど……がんばってね」と言われているようで、思わず後ろ髪を引かれてしまう。
サバ太は、今日も一番近くまで来てくれる。
玄関のたたきにちょこんと座って、リュックのひもを軽くつつき、靴の匂いを念入りに確認する。
耳がほんの少し倒れて、不安そうな顔をしているのがわかる。
「ほんとうに出かけちゃうの?」そんなふうにじっと見上げてくる、その真剣な目に、つい何度もしゃがんで撫でてしまう。
撫でるたびに小さくゴロゴロとのどが鳴るのが、指先から伝わってくる。
名残惜しくて、でも時間は待ってくれなくて――私はドアノブに手をかける。
「いってきます」
その言葉に、静かに見送ってくれる三匹がいてくれること。
それが、私の背中を押してくれる。
***
そして、帰宅の「ただいま」。
カチャリ、と鍵がまわる音と同時に、家の空気がふわっと動く。
湿った外の匂いから、どこか温かい、ちょっと毛の匂いの混ざった“わが家”の香りに変わる。
それだけで、胸の奥がゆるんでいく。
最初に現れるのは、みーたん。
「みゃーん、みゃーん」と高くて可愛らしい声で鳴きながら、真っ先に足元へと駆け寄ってくる。
ぴとりと体をくっつけ、ぐるぐる回って、私の足にしっぽを巻きつけるようにして甘えてくる。
リュックを置く間もなく、ぴょんと膝に手をかけて「早く、なでて」と催促。
はいはい、今帰ったばかりなんだよ――なんて言いながら手をのばせば、細やかな喉の音が胸元にじんわりと広がっていく。
今日もまた、足元は毛だらけになるのだ。
少しして、ツンがひょっこりと廊下から顔を出す。
いつも通り、玄関までは来ない。
でも、私が靴を脱ぎ終えてリビングに入る頃には、気配を消すようにそっと近づいてくる。
足に小さくおでこを押し当てて「ニャア」と一声、控えめな挨拶。
その一瞬のふれあいに、胸の奥がほどけていく。
ツンはもう、いつの間にか私の気持ちの読み方を覚えているみたいだ。
それが終わると、何事もなかったかのように、また窓辺に戻っていくのだけれど。
サバ太は、少し距離を取りながらこちらの様子をじっと観察している。
「サバ太~」と呼ぶと、しばらく考えてから、ようやく近づいてくる。
首をすくめるようにして、でもしっかりと足にすり寄って、ひとまわり。
そのあと、控えめにしっぽをぴんと立てて、トコトコと私のあとをついてくる。
いつものように、ちょっと恥ずかしがり屋で、でも実は甘えん坊な彼女の「おかえり」。
その静かなぬくもりが、今日の疲れをまるごと包み込んでくれるようで。
三匹三様の出迎えに、今日も心がふわりと浮かび上がる。
家って、こういうことだなって思う。
ちゃんと帰る場所があるって、やっぱり幸せなことだ。