四男と翼竜の国
マイラは恐れていた。
男あまりの国の国王は瀕死、その息子たちは拿捕されたと聞いていた。しかし、彼女は旅路にあった通りの市場で、四男によく似た男を見かけたのだ。あれがもし四男だとしたら、どうしてここに?まさか自分を追いかけに来たのだろうか?であれば、彼はずっと自分を着けていたのかもしれない。
この先の未来がわかれば良いのに、マイラは目をぎゅっと瞑ったが何も見えない。かつてあった予知能力はすっかり消えてしまったらしい。
「ミラ、何か気になる事でもあるのか?」
ジルヴァンに教えたとて、彼は本気にしないだろう。誰もこちらの言う事を真剣に聞いてはくれやしない。それが男だ。マイラは首を横に振り続け、黙る事を選んだ。
より翼竜の国に近い場所で宿を取ろうと移動を続けていた。移動している間はジルヴァンの側に居られるからまだ安心だった。
だから森の近くで休憩をするために馬から下りた際、マイラはなるべくジルヴァンの近くにいようと心がけた。
乗っていた馬が水を飲みに湖に顔を近づけ、彼女もその馬の側に腰かけた。瞬間、体が水底に沈みこんだような感覚にとらわれた。マイラは慌てて立ち上がったが、居たはずのジルヴァンや、ジミー、他の騎士達はおろかエウヘニアすら見えない。
しまった、囚われた。
一瞬にして彼女は理解した。違う空間に取り込まれてしまったのだ。
マイラは無駄だとわかっていても、慌ててジルヴァン達が居た場所に戻ろうと駆けだしたが、何度走っても先程馬が飲もうとした湖に戻ってきてしまう。永遠に同じ場所に戻る迷路の中に閉じ込められてしまった。ああ、間違いない。四男が生きているのだ。
「マイラ」
どこからともなく四男の声が聞こえる。
青色がかった瑞々しい森の中、聞こえるのは不気味な男の声だ。次第に辺りは霧が立ち込める。
ずっと四男がマイラに恋心を抱いていたのを彼女は知っていた。彼女にだけ異国の宝石や、服をプレゼントしてくれる。どれも高価なものであったが、マイラの心を射止める事は出来なかった。決して醜い男ではなかったが、自分の思った通りにならないと、激高するのだ。癇癪にふれたように怒り狂い、周囲を威圧させる。そんな男との結婚生活なんて絶対に嫌だった。幸いなことに、四男は父親から「下位の娘などまだはやい」と反対されていた。ちなみに下位の娘、というのは父親である国王が気に入っていないという事をさす。
「マイラ、見つけたよ」
息を切らして湖を覗き込んでいると、四男が姿を現した。
彼女は慌てて立ち上がり、彼から距離を取った。四男は悠然とこちらに詰め寄ろうと距離を縮める。
「お父様も兄達も、弟達もバカだよ。僕達は愛される国ではなかったのに、自ら異国の者を招くなんて、自殺を望んでいるようなものじゃないか。なあ、そうだと思わないか?」
マイラが逃げ惑う様を楽しんでいるのだろう。
彼女の予知能力が衰え、他の魔力を持っていないのを四男は知っている。
「君はおしとやかで、可愛らしい。それに何も知らない。力もない。可愛い女の子だ。僕が守ってあげないと、君は何も出来ない。こんな場所ではなくて、僕と新たな日々を作ろう。国を取り戻そう」
「いや、そんなのいや!」
四男の眉間に皺が寄る。
信じられない、と言わんばかりに顔をゆがめ、こちらを睨んでいる。
「たった数日、外の世界に触れただけでこんなに生意気になったのかい?驚きだよ。外の世界はおしとやかな君をこんなにも粗暴に変えてしまった。君には害悪の世界だ」
「やめて、触れないで!戻るくらいなら死んだほうがいい!」
「マイラ!!」
四男が苛立ち、彼女の胸倉を掴むと同時に左手があがった。
ぶたれる!と思い目を瞑ったが、手は一向に下りてこない。かわりに聞いたこともないような声が聞こえた。低いがよく響き渡る、唸るような声だ。掴まれた胸倉の力が緩み、手が離れていく。
恐る恐る瞳を開けると、四男の顔は真っ青だった。それもマイラの頭の上を見上げている。何事か、と思い彼女も四男の視線を辿るとそこに居たのは大きな翼竜だった。
頭を上げても先の見えない大きな木々の間に姿を現した翼竜は月の表面を剥がしたように、銀色に輝いている。左右異なる瞳の色は爛々と輝いているが、その瞳に友愛と言った優しさはない。しかし、その翼竜、ジルヴァンはマイラを庇うように後ろから頭を突き出し威嚇し続けている。
「よ、よ、翼竜だ」
潮が引いていくかのように魔法がとけていく。
霧はいつの間にか消え、白い日差しが差し込む。マイラに背を向けて逃げ出した四男だったが、彼はどこからともなく出て来た翼竜の尻尾にはじかれてしまった。幼い子供たちがボールで遊ぶように暫く四男は四方八方を緩く飛んでいたが、最後の方は姿が見えなくなってしまった。
マイラは腰の力が抜け、その場に座り込んでしまった。
「ミラ」
大きな翼に覆われたかと思いきや、ジルヴァンは元の姿に戻っていた。彼からすれば、翼竜の姿が本当の姿なのかもしれないが。
「怪我は?」
「何も、何もありません」
「良かった……気が付かなくてすまなかった」
ふいにジルヴァンに抱き締められ、マイラは固まってしまった。
先程子犬に怯え、彼に抱き着いてしまったがそれとこれは違う。
誰かに心配されて抱き締められるなんて、いつぶりなのだろう。わからない、初めてかもしれない。
大きな彼の腕の中にすっぽりと収まったまま、彼女は何も言えなくなってしまった。
「別に私は」
「あなたを死なせたくないから、何か不安な事や心配な事があったら、必ず俺に教えてくれ。あなたの話が俺は聞きたい。どんな些細な事でも構わないから」
彼の額がマイラの額にあたった。
肌と肌がぴったりとくっつき合い、自分よりも熱い肌に彼女はどきまぎした。しかし同時に、彼の体温が心地良いとも思えた。マイラは恐る恐る、自分の体に回っている腕に手を添えてみた。すると、それに呼応するように彼の腕に更に力が籠った。
四男は魔力を無効とする馬車でかつての男あまりの国に還されたそうだ。マイラにとっては強靭な魔法に思えたが、翼竜達にしてみればあの程度の魔法は大した物ではないらしい。ジルヴァンが四男の魔法を破って、姿を現す事ができたのも当然だろう。
その夜は宿ではなく野営となった。
大きなテントが二つ作られた。一つは女王とその近衛兵用に、もう一つはその他騎士達の寝床となる。
マイラはエウヘニアと同じテントに入ったが、寝返りを打っても打っても眠れず、結局見張り番をしているジルヴァンの元へと向かった。
「どうした」
「眠れなくて」
「昼間のせいでは?」
「さあ、どうかしら」
そうかもしれないし、違うかもしれない。
彼女は目の前で爆ぜる焚きを見つめた。でも、四男が現れた時は絶望でいっぱいになった。またあの抑鬱とした日々に逆戻りするかもしれないと思うと堪えられなかった。たった四日。その数日だけでマイラはすっかり自由を知ってしまった。もっともっと、見られなかった日々を見ていきたいという気持ちでいっぱいだったのだ。自分は思った以上に欲深かったらしい。せめて両親が見つかれば、と思っていたのに。
「……ジルヴァン」
名を呼ぶと彼はこちらに顔を向ける。
橙色の炎に照らされた瞳はどんな宝石よりも美しく輝いている。彼のオッドアイは不思議だった。
左目は琥珀色なのに、右目は薄ら青い色だった。琥珀色もただの琥珀色ではない。左目はマーブル上に琥珀色と右目の薄ら青い色が混ざっているのだ。どんな色になっているのか、しっかりと見てみたい。マイラは彼の瞳に惹きつけられるようにして、気が付けば体が前のめりになっていた。でも、はっとして彼女は姿勢を正した。
「ありがとう、助けに来てくれて」
「妻を助けるのは夫の役目だ。俺は責任を果たしたまでだ」
「しっかりしているのね」
「生半可な気持ちであなたを花嫁に望んだ訳ではない」
「私は何もあなたに返せないわ」
「何も?ミラ、あなたは俺をいつも幸せな気持ちにしてくれる」
ジルヴァンは手で自身の胸元を押さえた。
「それで十分だ。ずっとあなたに会いたいと願っていた……乱暴な申し入れだったとは思うが、受け入れてくれて嬉しいと思っている」
マイラは返す言葉がわからず、肩を竦める事しかできなかった。
「……あなたの、故郷について尋ねても構わないだろうか」
両親を探してもらうのだ。当然、彼に話さなくてはいけないだろう。しかし、彼女は何もと言って良い程覚えていなかった。
「殆ど覚えていないわ。両親の声も、顔も忘れてしまった。ぼんやりと覚えているけれども、全く思い出せない。自分がどんな部屋で過ごしていたかも、どんな食べ物を食べていたかも。でも、あの国で食べた物も、言葉も始めは受け付けなかったわ」
「少なくとも食文化が遠い地域だろう」
「そうね。初めての食事の時に食べなれない物が多くて、困ったわ」
「ミラと俺、男あまりの国と翼竜の国の母語は同じだが、時折あなたのアクセントが気になる」
「え?」
彼らが話している言語はこの世界で最も話されている言語のひとつであった。
南部や北部によって発話が異なる事はあったが、ジルヴァンによればマイラのアクセントは彼の知る限りどこにも当てはまらないというのだ。
「どこか知らない、稀有な国の生まれかもしれない。何か景色や、幼い頃の遊び方、歌っていた歌、思い出せるものは?」
ジルヴァンが懸命に手がかりを集めようとしてくれているが、マイラはやっぱり何も思い出せなかった。
眉間に皺を寄せて、記憶の棚を探る。探った後、一つの景色が記憶の棚の底から姿を見せた。
「緑豊かで、木々が沢山?森がいっぱいあった?そんな国いっぱいあるじゃん」
翌朝、思い出した事を話すとジミーが呆れたように言うものだから、マイラは「そうよね」と落ち込んだ。ジルヴァンがジミーに口を慎むよう言ってくれたが、彼の言う通りだ。決して特徴的な記憶でも何でもない。これで探せ、なんて無理があるのかもしれない。
「ううーん、でもまあ、他の翼竜に聞けばわかるかもね。僕たちは空を飛ぶからさ。とにかく砂漠や岩山の国の生まれじゃないってことでしょ。それがわかって良かったじゃん、ね」
こちらを慰めるような言いぐさだったが、少なくとも自分は荒涼とした国の生まれではない事は確かなのだろう。
「顎も大きくはないし、肉だけがご馳走の国ではないのだろう」
横で会話を聞いていたエウヘニアの手がマイラの顎の下に手が添えられ、自ずと視線が上を向いた。
「肌は白い。生まれつきブラウンスキンではない。常夏の国ではない」
まじまじと顔と肌を見られる。
彼女の声はハスキーだったがどこか甘く、色っぽかった。自分にはない余裕と自信がマイラの動きをいつも封じ込める。女王の前ではついつい緊張してしまうのだ。
マイラは黙ってその眼差しを受けていたが、横から強張ったジルヴァンの声がした。
「陛下」
「おお、おお、恐い顔だ。その顔はレディ・ミラに向けるでないぞ」
「向けません」
どんな顔をしていたかはわからないが、エウヘニアの手から解放されると、ジルヴァンに強く手を引かれそのまま馬に載せられてしまった。
彼女が言っている程恐ろしい顔をしているようには見えない。ただ不機嫌そうなのは間違いないようだ。彼もこんな風に不愉快さを全面に出したりするのは意外だった。
それに女王陛下と、その下に当たる騎士なのに。こんな風に感情を露にしても、エウヘニアは気にするどころか面白がっているし、周りも楽しそうに笑っている。男あまりの国ではありえなかった。誰しもが国王やその息子たちの一挙一動に怯えていた。ここでは血が繋がっていなくても、騎士と女王。皆が強い絆で結ばれているのがよくわかった。
「翼竜の国は大きな岩山に囲まれている。四季があると言われているが、基本的には春か冬か、といった所だ」
「夏と秋は?」
「あるが夏も秋も短い。穏やかな夏だ。皆湖で遊び、夜に冷えすぎる事を心配せずに腹を出して眠る。そんな日々だ。秋は天気が不安定で、長袖で十分かと思ったら突然上掛けが欲しくなる。そんな気候だ」
五日目の夕刻、ジルヴァンが言っていた通り岩山に囲まれた翼竜の国が見えた。しかしそれは翼竜の国の入り口までのことで、ここからさらに三日かかるというのだ。王都は国の中心にある為だ。
岩山にも家を建てており、鳥の巣のように家々が岩肌に連なっていた。門を抜けると、岩山からは想像出来ない程緑豊かな景色が広がっていた。
ジミーが「ここじゃないよね?違う?」と笑いながら聞いてくるものだから、マイラはしっかりと答えた。「違うわ」と。彼女の記憶の中に岩肌に家があった光景はない。
王都に辿り着いたらジルヴァンと二人暮らしなのか、と彼女は少し不安だったがエウヘニアの配慮でそれは先延ばしになった。彼女に言わせれば、今のジルヴァンが住む家は夫婦二人には狭すぎるらしく、暫く客人として城に住まわせてもらう事になったのだ。期限は家が見つかるまでの間である。
かくして、マイラとジルヴァンの新婚生活はゆっくりと始まった。