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翼竜とドワーフの国にて

 女王が国王の顔を焼いた理由を知ったのは国境に差し迫った頃であった。

 かつて、翼竜の国に侵攻しようとしドラゴンの卵を奪ったからだという。

 その侵攻によって、翼竜の国が強力な同盟国となったとマイラは言い聞かされていた。

 女王によれば「真っ赤な嘘」らしい。

 男あまりの国の蛮行は翼竜の国以外にも及んでおり、周囲からは反感を買っていた。反感どころじゃない。恨みも買っていただろう。

 よってこの度の騒動、否国家の転覆は周辺国の狙いだったというのだ。

 辺りはとっぷりと宵闇に包まれ、梟の声も風の揺れる音も何も聞こえない静寂だけが広がっていた。


「ジルヴァン、レディ・ミラを下ろせ。服を着替えさせる」

「え?」

「御意に」


 マイラは先に下りた夫となったばかりのジルヴァンによって鞍から降ろされた。


「とは言っても私の服も、お前たちの服のサイズも合わなさそうだな。こっちに来なさい、全て脱ぐんだ」

「ど、どうして」

「翼竜の国の国民になるからだ。異国のものを身に着けた者を迎え入れる事は竜騎士の花嫁とて許せぬ。それに、靴のサイズも合っていないだろう」


 言われるがまま、マイラは女王の方へと歩いた。

 鞍に積んであった荷物の中を探してから彼女は器用に一人で馬から降り立ったが、あ、と呟いた。


「着替えを隠すマントが必要だな。誰でもいい、誰か貸してくれないか」

「では、私のを」

「団長、それはお受けいたしかねる。彼女は私の妻だ。匂いが移られては困る」


 マントを取ろうとした団長を阻止したのはジルヴァンであった。

 彼の言葉に団長は「悪いことをしたな」と謝ったが、ジルヴァンの瞳はどこか苛立ちさが籠っていた。


「若さ故よ。ケイリー、コーディ、お前達でこれを持って私とレディ・ミラを隠せ」

「勿論です」


 男とも女とも呼べぬ見た目をしていた側近は女性らしい。

 マイラは二人の声を聞いてようやくわかった。

 彼女と女王がマントで覆われる前に騎士たちは言われずとも背を向けた。


「はあ、よくこれで馬が乗れたものだ。辛かっただろう?とにかく靴を脱げ」


 言われるがまま、彼女はなるべく手早く着替えた。

 マイラは窮屈だった靴を脱ぐと夜露に濡れた草が心地良い。

 コルセットの形をした金の鎧を取った時、彼女はようやく肺が酸素で満たされるのを感じた。


「自分で選んだのか?」

「い、いいえ。国王の選んだものです。国王は女性らしい体つきが好きでしたから、皆、くびれがわかるようなドレスを着ていたのです。その息子たちも同じです。靴も同じです。小さな足の女が可愛らしいと言って、なるべく足が小さく見えるようなデザインの靴を履かされていました」

「国王に見せる機会はあったのか?」


 マイラは首を横に振った。「幸いなことに」と言って。

 女王の見立て通り、マイラには彼女の持ち合わせのドレスは大きかった。ドレスも合わなければ靴も合わない。

 それでも何とか女王が着られるようにベルトで調整をしてくれたおかげで、肩からドレスがずり落ちるような事はなかった。彼女の背がマイラよりも高ければ、腕も足も長い。袖を何度か折り返せば手をおばけのように隠してしまうことはなかった。女王が好みそうな、実用的な深緑色のドレスだった。

 勿論靴もぶかぶかしていたけれども、ブーツのおかげで歩いていて落ちてしまう事はなさそうだった。


「致し方ない。明日は通り道のドワーフの国で宿を取って、レディ・ミラに服でも仕立てよう。どうせ馬に慣れていない人間だ、速度を落とせる場所では落とすしかないな。ジミー、この服は燃やしておけ」

「わかったよ」


 少年のような騎士の名前はジミーというらしい。

 彼は肩に乗せていた小さなドラゴンを服の方へ向けて放てば、地面に足を着ける前に服はあっという間に燃えてしまった。

 彼女の体をきつく縛り上げていた鎧のコルセットも、靴も、全てが灰へと変わっていった。

 これまでの日々に永遠の別れを告げている様な気持ちになった。灰は風に乗り、天に召し上げられるように空へとのぼった。お揃いの服を常に身に着けていた彼女達は……。


「あの、他の娘たちは」

「彼女たちは妖精の国が保護している。彼女らの望む道を用意するらしい。我々異種族は国王たちに不満があっただけで、国民やそれ以外にはない」


 エウヘニアの答えに彼女は安堵した。

 彼女らも無事ならそれで良い。決して仲が良かった訳ではないが、仲たがいする程険悪でもなかった。

 皆、心のどこかで諦念の感情を抱きながらも、互いを憐れんでいたのだ。彼女らも皆、自分と同じようにある日突然攫われ、異国に連れ去られた。中には婚約者が居たのにも関わらず連れ去られた娘もいたくらいだ。愛する人間が居て連れ去られるのは堪え難いだろう。いや、婚姻前でも辛いは辛いが。

 幼い頃に連れ去られて、全てを忘れてしまった自分はまだ幸福かもしれない。マイラは自分の傷口を自分で舐めながら、目の前の炎を見つめ続けた。

 マイラはジルヴァンのマントを両腕に抱えたまま、自分がつい先ほどまで着ていたドレスが燃え終わるのをじっと見つめていた。


 ◇


 竜の騎士、ジルヴァンは妻になったばかりのミラが燃え上がる自身のドレスを見つめている横顔を見ていた。

 男あまりの国はここ数十年と異国から娘を連れ去っていた。年は物心つく前の娘から、年頃の娘まで。

 国を問わず、基本的には見た目の美しい娘を連れ去っているというのは有名な話であった。

 言わずもがな、ミラもその一人である。


「ミラ、マントを」

「あ、ごめんなさい」


 燃え尽きたのを見計らってジルヴァンは妻に話しかけた。

 彼女ははっとしたように彼のマントを返してくれたが、自分のマントには彼女の匂いがわずかに残っていた。すん、と鼻を小さく動かすと幼い頃の記憶がよみがえった。


 男あまりの国には美女が集まるというのは有名な話であった。

 その美女は国王たちが奪ってきたものだから、俺らにも奪う権利があると猛々しくいう者もいた。

 ジルヴァンはそれはどうなのだろうか、と幼いながらに思っていた。

 ある日、五つ離れた従兄がその美女たちを見に行く、と言ったのだ。従兄はよく言えば元気がありあまる、悪く言えば素行の悪い子どもだった。当然従兄の友人もそうなる。数が多い方が良い、と幼きジルヴァンは従兄とその友人達に引きずられる形で男あまりの国を目指して飛んだ。

 そこで不運にも彼だけが捕まってしまった。翼竜の皮膚は高級な物として人気があった。

 自分は皮膚を剥がされて殺されてしまうのかもしれない、と罠に引っかかった前足を見つめながら絶望の淵にいたのをよく覚えている。

 狩人は意気揚々と檻に入ったジルヴァンを国王へ献上した。


『未来の花嫁たちに、子ドラゴンを見せてやろう』


 ジルヴァンは豪華な城の中を篭の中で堪能したのち、従兄達が見たかった花嫁の園へとたどり着いた。

 小さな鉄格子の向こう側から顔立ちの良い少女たちが彼を覗き込んできた。

 一気に見世物となった彼は益々嫌な気持ちになり、怪我をした足が痛くてたまらなくなった。

 でも少女たちは暫くすると飽きてしまったらしく、散り散りになった。しかし、その隙間をぬって一人の少女がやって来た。幼きミラである。

 彼女は監視の目が死角となる場所を知っていたらしく、篭をそこへ運んで緩んでいた鍵を器用に開けてくれたのだ。


『絶対に帰ってこないで。逃げて』


 菫色の麗しい瞳は力強かった。

 彼女はポケットの中から軟膏を取り出して、手早く手当てをしてくれた。それから彼はやや足を引きずりながら、空へとぐんぐんと飛び立ち男あまりの国から脱出した。

 あの後、彼女がどうなったかはわからない。従兄から聞くには行動の殆どを制限されているから、彼女は酷く罰せられただろう、と。

 彼はずっと、その事が気がかりだった。気がかりだったし、自分を救ってくれた彼女の事が全く忘れられなかった。成人をし、立派な体を手に入れてもなお、ジルヴァンの心はミラの存在があった。


 男あまりの国とはあまり交流のない国だったが、機会があれば彼女に会いたい。もっと言えば妻として迎えたいと。でも、それは難しいかもしれない。それならば、せめて元気かどうか知りたかった。

 だから男あまりの国の国王の誕生日祝いの為の遠征の任務にはどうしても参加したかったのだ。

 あの娘が生きているかどうかを確認が出来る!

 彼はエウヘニアに嘆願した。あまり感情を乱さない彼が切に訴えるものだから、女王はぎょっとしたが、彼の熱意に負け頷いてくれた。本来ならば彼は女王が国を留守にする間国境の警備につくはずだった。

 道中、男あまりの国を転覆させると聞くとジルヴァンの胸にある欲望が湧き上がった。


 ミラを奪い去りたい。


 自分の妻にしてしまいたいという思いでいっぱいになったのだ。しかしこれでは男あまりの国のやり方と同じではないか?良くないのではないか?と彼は旅路の間ずっと考えた。

 しかしその冷静さは成長した彼女を見るなり潰えてしまった。

 随分と美しくなったものだ、と彼は感嘆した。同じような服に同じような髪型のせいで、中には『見分けがつかない』という者もいたが、ジルヴァンははっきりとわかっていた。


 忘れもしない菫色の瞳。ドレスの襟から見える鎖骨は華奢で、水を貯めて花でも浮かべられるのではないか、と思ってしまう程だった。大輪の花のような華やかさはなかったが、見る者の心に残る美しさだ、と彼はじろじろとミラを見つめてしまった。

 自分よりも頭一つ小さな妻はあのドレスを着ずとも、体の線が細いと言うのは、馬に乗せる時にわかった。金色のコルセットが彼女の体を、存在を縁どっていたせいだろうか。それらを脱いだ彼女には儚い印象があった。

 元より食が細いと言うよりも、国王のせいで食を控えざるを得なかったのかもしれない。

 こちらの婚姻の申し入れをした時に向けられた敵意をジルヴァンは思い出した。

 牙が生えたような怒りは抑圧されていた怒りを露にしているようなものだった。ジルヴァンそのもの、というよりも彼女の人生を抑圧してきた男達への苛立ち、または憎悪を投影させているように思えた。

 勿論、彼に対しての嫌悪感はあったかもしれない。


「夜は冷える」


 ジルヴァンはそう言って自身の荷物から大きな毛織のストールをミラに渡した。

 彼女は大人しくそれで体を包んだ。いざ馬に乗ろうとした時、隣で同じく馬に乗ろうとしていたジミーに話しかけられた。


「どうして、”男あまり”の国なの?」

「お前は遠征先の国の勉強もしないのか」

「本で読むより、実際に学んだ方と思ったんだもん」

「……百年以上も昔の国王が、妃を殺した」


 事の始まりは百年以上も前。

 当時の国王は美しく才能に溢れた魔女を妃として迎えた。可愛らしい娘二人をもうけたが、国王は不満だった。男児が生まれない。

 国王は妻に隠れて不貞を働き、男児が生まれた。ともなれば妃は不要。国王は妃を国から追放した。しかし国王は小心者であった。魔女の妃からの復讐を恐れ、その妃の心臓を騎士に奪わせた。


「その時に妃であった魔女が未来永劫女子どもに恵まれないよう、呪いをかけたのが始まりだと言われている」


 ジミーの視線はミラに向けられる。

 言わずもがな、彼女は呪いによって子孫を繫栄できなくなった王族が連れ去った娘の一人だ。

「本を読め」とだけ言って、ジルヴァンは馬に乗った。


 国境を超えて、暫くした所で休憩を取る事になり隊列は止まった。

 ミラは馬に乗っている間は背筋をしっかりと伸ばし、一度もジルヴァンに寄りかかる事は無かった。

 攫われて過ごしてきたとはいえ、育った国を出て突然馬に長時間乗るには体力も気力も使うだろう。

 しかし彼女は馬から下りても、座り込まずに立ったまま空を見上げていた。

 ジルヴァンも空を見上げれば、星が空を埋め尽くしていた。


「今夜は良く晴れている」

「よく晴れている……夜なのに、そうやっていうのね……あの国では夜は暗い、という言葉しか使われなかったから……翼竜の国まではどれ程かかるの?」

「五日くらいだろう。次第に道は険しくなる」

「そうなの」

「夜明けには出発する。そう長く眠れるものではないが、少しは休んだ方が良い。明日の昼にはドワーフの国に辿り着くだろう」


 空を見つめる彼女の顔が少しだけ、寂し気だった。

 連れ去られたとはいえ、人生のほとんどを過ごした国だ。多少なりとも、愛着や、悲しさといった感情を生み出す事もあるのではないかとジルヴァンは考えた。

 考えたが、今は聞くべきではない、と判断し黙る事を選んだ。



 翌日、陽がちょうど真ん中に上った頃。

 ジルヴァン達はドワーフの国に辿り着いた。

 建物すべて、ドワーフが使いやすいように作られており、通常の人間のサイズから見ればおもちゃの国に入り込んでしまったように感じられた。

 通常の人間でも問題なく寝られる宿を取ってから、ジルヴァンはミラを誘って二人で街へ出た。


「ドワーフの住まいはドワーフの体に合わせた造りになっているが、商業に関わる場所の多くはケンタロウスが入れるくらいは大きく造られている」


 きょろきょろと辺りをみていた彼女に声をかえると、彼女は肩を跳ねさせた。

 いやにミラを怯えさせている様な気がして、彼の胸はちくり、と痛んだ。


「驚かせたのなら謝る……」

「い、いいえ。別に。人の往来が多い国なのね」


 決して多いとは言えないが、男あまりの国から来た者からすればそうなのだろう。


「良い靴屋があるから、あなたの足にあう靴を買おう。それから、服をいくつか揃える。女王の服のままでは道中過ごしにくいだろう」


 しかし、ジルヴァンは次第に男あまりの国で、花嫁候補として過ごした事による弊害に気がつき始める。

 好きな物を選べ、と言うとミラはひどく迷うのだ。

 眉間にしわをよせて、可愛らしい唇を噛みながら悩まし気に並んだ靴を見つめるのだ。

 無理もないだろう。彼女の行動基準は国王やその息子たちに気に入られるかどうかだった。

 見かねた靴屋の娘が、ミラに靴を見繕ってくれた。


「足の形に合わない靴を履いていたの?それは大変だっただろうに。旅が続くなら歩きやすい靴がいいね。馬の上にずっと乗っていたとしてもだよ、踵の低い靴を履くのさ。騎士様、二足くらいは大丈夫かしら?」

「勿論」


 ミラの表情は強張っているように見えた。

 靴屋とジルヴァンの会話を探ろうと神経を張り巡らせているのではないか。そう思わせるくらいに彼女の表情は硬かった。


「この子の雰囲気に合いそうなものを選ぼうね」

「私に?」

「……靴の主になるのはあんただよ、お嬢ちゃん」


 選んでもらった靴に足を入れ、裾を持ち上げて姿見で彼女は自身を確認した。

 鏡越しにジルヴァンはミラの表情を見ていたが、彼女は全く気が付かなかった。

 初めて、自分に似合うだろうと言われた靴を履いている事に唖然としているようだった。

 かといって表情に否定的な要素はない。彼は少しだけ安堵し、二足分の靴代を払った。

 店から出たミラの足取りは心なしか軽そうだった。


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