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翼竜と手紙

 ジルヴァンは堰を切った様だった。

 かなりご機嫌で、彼は寝室に向かって寝衣に着替えても尚マイラの手を取って、腰に手を添えて踊る様にして彼女を抱き締めていた。酒を多く飲んだ訳ではないのに、酒の中に飛び込んだ後かの様に嬉しそうだった。幸福の止めどない泡沫。彼はそれに包まれているとマイラは思った。ただ彼に抱き締められているだけだったが、それだけで自分を必要とされている気になった。自分と言う存在が彼の中に根付いている。彼の心の中に住んでいる。不思議な感情だった。

 マイラは花嫁候補としての順位としては下位の方だった。体が薄く、多産の体には見えなかったというのが理由だった。しかし体が薄くても中には王子に見初められて結婚していく娘もいた。そういった娘は大輪の花を背負っているかと見まがう程の美女か、何か珍しい魔力を持っているかどうかだった。自分はそんな美女でもないし、とっくに力も失ってしまった。


「ミラ」


 俯き加減の暗く湿った風を感じたのか、ジルヴァンに呼びかけられる。

 彼女は彼の胸板から顔を離すと、額に口づけを落とされた。


「俺の手を取ってくれてありがとう。あなたは俺の人生で最も愛おしい人で、美しい人だ……あなたの誕生日も祝える日がくるように努力する」


 ぎゅうっと腕に力が籠められ、聞き慣れない言葉に喉が不意に熱くなる。ここで何か言葉を発したら、泣きだしてしまいそうな気がした。自分で出来る事は殆ど無いのに、こんなにも自分を大切にしてくれる。こんな日が来るなんて彼女は夢にも思っていなかった。彼に何かしてあげたい。そういう気持ちがマイラの中で大きくなっていくのも当然であった。

 その翌日、マイラはボジェナに炊事か家事を学びたいと宣言した。彼女は驚いたようだったけれども「教えるのは大好きよ」と言って、優しく教えてくれた。じゃがいもやりんごの皮すらまともに剥けず、実を随分と削いでしまっても彼女は「初めから出来る人なんかいないわ」と励ましてくれた。男あまりの国では"出来ない"を認めない所だったから、学びたいと言ったくせに怒られるかもしれないと怯えていた。だからまさか、怒られないなんてと驚くと同時に自分のいた場所はやはりおかしかったのだ、とマイラはゆっくり理解していった。自分にとっての異国とは言え、人生の殆どを過ごした場所だ。外の世界にとっての異常も、マイラにとっては常識になってしまった。


「肩に力が入り過ぎよ。失敗したからって、誰も怒らないわ」


 彼女には癖があった。肩に力を入れてぎゅっとあげてしまうのだ。

 怒られないようにしないと、間違えないようにしないと、と思えば思う程体が緊張して力んでしまう。

 マイラはなんとか肩の力を抜こうとするが、中々出来ない。無理もない、彼女はずっとそういう場所にいたのだから。


「この失敗があなた自身を決めるなんてないのよ」


 ボジェナは気付いていたのかもしれない。

 マイラが何かに恐れるようにして、炊事や家事を学んでいる事を。今日だって洗剤の量を間違えていっぱい泡立ててしまった。ボジェナは「私も経験があるわ」と言って大笑いした。せっかくだから、と彼女は洗剤が使い切れるだけ、家にある布類を洗う事にした。勿論、マイラもその作業を手伝った。

 庭には洋服や布が沢山並び、はためいていた。


「ごめんなさい、余計な仕事を増やしてしまって」

「いずれ洗わないといけなかったんだから、良いのよ!」


 二人はいつも午後のおやつを取る。

 今日はマイラが切ったりんごと紅茶だった。りんごの形はお世辞にも綺麗だとは言えないが、ボジェナは食べ応えがあっていいわ、と褒めてくれた。

 その後、二人で街へと出て夕食の食材を買いに出かけた。木々の葉が染まり、夕方近くなると冷える事も増えた。マルシェが開かれている場所の近くには服飾店や薬局があった。服飾店には薄水色のすずらんの刺繍が入ったワンピースドレスが売っていた。顔の無いマネキンに飾られているが、マイラはものすごくそのドレスに惹かれた。このドレスを着られたら、どんなに嬉しいのだろうと想像を膨らませた。

 近くでは絵を描いている娘がいる。絵を売っているらしく、たった今ちょうど一枚の絵が売れた。八百屋の向かいにある薬局ではハーブを調合してお茶を作っている娘もいた。彼女たちが着ている洋服はどれも素敵に見えた。喋ってはいないが、選ばれた洋服たちが彼女たちを誇らしげに見せている気がした。

 ぱちり、と薬局屋にいるその娘と目が合った。そばかすのある人懐っこい顔をした娘だった。彼女はマイラににっこり、と笑みを向けてくれた。マイラが微笑み返すと、薬局屋の娘も笑みを返してくれた。


「素敵なお洋服ね」

「これ?この間ボーナスが出たから、ずっと欲しかったのを買ったのよ!嬉しいわ!」


 マイラが褒めると彼女はその場でくるり、と回って洋服を見せてくれた。

 今すぐにでも踊り出せてしまいそうな程生地がたっぷりと使われている。洋服が誇らしげに彼女を見せているのも当然な気がした。マイラは憧れにも近いような感情を抱いた。

 その帰り道、彼女はボジェナに尋ねた。


「私が働きたいと言ったら、ジルヴァンは嫌がるかしら」

「……別に働かないでも大丈夫なくらい、あの子は稼げますよ?」


 ジルヴァンの給料が良いのはマイラもわかっている。

 騎士団の中でも彼はそれなりの階級に居るし、不自由はない。でも、ずっと彼に頼りっぱなしなのが嫌だった。今までと変わらないような気がして、マイラは今までの自分とは違う自分になりたかった。


「でも、私自分で何かを得てみたいの」

「まあ。レディ・ミラ、夢をお持ちになったのね。素敵だわ。どんな事をしたいか、聞いても?」

「絵を仕事にするのは無謀かしら」

「そんな事ありませんよ。それでこそ夢だわ。あなたは絵がとっても上手ですから、きっと上手く行きますよ」


 まだ始めた訳でもないのに、マイラはたったその言葉だけで嬉しくなった。ボジェナは彼女に街にある求人の掲示板の場所を教えてくれた。そこには正規の募集もあれば、たった一日だけの助っ人募集!といったものもあった。結婚式の化粧、髪結い、レンガ職人、料理人、ベビーシッターなどあらゆる職業が書いてあった。別に経験者でなくても良い、というので中には外れを引くこともあるらしいが住民は大いにこれを活用しているようだった。仕事をしてみたい、という感情は嘘ではないが、報酬に見合うだけの力を発揮できる自信はなかった。だからまずは小さい依頼を見つけたら、応募する事に決めた。


「魔女の国への嘆願書を書こうと思っている」

「え?」

「魔女の国に出す嘆願書は女性が書いたものしか受理されない。あなたが書く必要がある。テガンの言った通り、魔女達はあらゆることに詳しい。何かわかるかもしれない」


 その後の決断をマイラに委ねているようだった。

 魔女の国を彼女は知らない訳ではなかった。男あまりの国の王子たちと国王が最も恐れていた国だった。いつかあの国の魔女に首を取られるかもしれない、と唯一恐れていた。だから、花嫁候補に選ばれた娘たちには何か武力になり得そうな力を持った者はいなかった。男あまりの国を岩の国に変えてしまった魔女の子孫が住んでいると言う国だ。命ある木々と緑を吸い尽くすなんて、どれ程強靭の力を持った恐ろしい魔女なのだろう。そんな国にジルヴァンと一緒にいけないのをマイラは恐ろしいと思った。行きたいとはいったものの、自分一人では魔女に会っても満足に受け答えが出来ないのではないか。彼女達にうつけだ、と言われて見限られるのではないかと不安に苛まれた。


「別に今すぐ決めなくても構わない。俺は明後日、任務で青の国に行くが、そこもあなたの故郷の候補の一つだ。魔女の国にいかないからと言って、答えが見つからない訳ではない」


 恐ろしい国と思うと同時に行ってみたい気持ちはやはりあった。記憶を覗けるかもしれない魔女が居るなら、忘れている記憶を引っ張り上げて欲しい。


「私、行ってみたい」

「わかった。食事を終えたら嘆願書を書こう」


 マイラとジルヴァンは食事を終えた後、ボジェナを見送った。

 それからテーブルを綺麗にふいて、一枚紙に嘆願書を書いた。この行為は決してマイラにとって希望に満ちた行為だったとは言えなかった。自分の過去を紙にしたためるというのは辛い作業だった。自分の過去を思い出して文字にしようとすると、当時の事をありありと思い出してしまうのだ。その時に感じた感情はまだマイラの胸の中で生きているらしく、事実を書くだけなのに感情がついてくるせいで彼女を苦しめた。塞がっていない傷口の瘡蓋を自分で剥がす様な、そんな行為だった。マイラは涙を目の淵にためながらも文字を連ねて行った。

 男あまりの国から転覆する真中で逃げ出したこと、祖国と両親をさがしていること、幼い頃に連れ去られたせいで記憶が殆どないこと。祖国を見つけ出すための手がかりを探していて、力を借りられたらと思っている事をマイラは素直に記した。書く度に、自分がどれ程生まれた故郷に帰りたくて、どれ程両親に会いたがっているのかをありありと実感し、彼女は何度も筆を止めた。その度にジルヴァンは背中をさすってくれた。


「魔女達もわかってくれる。テガンも優しい魔女だったから、大丈夫だ」


 ジルヴァンは彼女を励まそうと思ったのか、帰り道に買って来たという小さな貝殻の形をした焼き菓子を出してくれた。紅茶を入れてくれて、二人は運河の見える窓辺に腰をおろしてそれを食べた。運河を鏡にして自身の姿を確認している月が見えた。

 嘆願書を出してから過ぎ去る日々は変わらなかった。ただ、そわそわとして落ち着かない日が多かった。ジルヴァンは任務で三日ほど家を空けた。別に彼が居てもいなくとも、と思っていたが実際は違った。マイラは自分が思っている以上に、彼と過ごしている事を好意的に思っていたのに気が付いた。彼のいない夜はなんだか落ち着かなくて、何度も寝返りを打った。なんだか家全体が寂しく感じられた。別にジルヴァンは多弁ではない。なんなら寡黙な方だけれども、彼が居ると居ないのでは違った。家も翼竜達のサイズに合わせて作っているし、マイラは両手を腰に当てて高い天井を見上げた。家が大きすぎるせいで寂しく感じるのかも。なんて。

 彼女は寂しさを紛らわすために、玄関ポーチに置いた椅子に座って絵を描いた。向かいにある木の下で犬が寝ていたのだ。犬はまだ怖いが、眠っている姿は可愛らしく思えた。起きたらすぐに家に戻れば良い。そう思って、手を動かしていると小さな訪問者がやってきた。


「お姉さん、なにを描いているの」


 何度かみたことのある、近所に住んでいる子どもだった。

 頬は薔薇色の様に赤く、巻き毛は両方に高く結い上げられている。


「そこで寝ている犬の絵を描いているのよ」

「見てもいい?」

「いいわよ」


 子どもはポーチの階段をのぼり、マイラの隣に腰かけた。

 腰かけるなり彼女は「わあ!そっくり!」と瞳を輝かせた。彼女は礼を言ってから、筆を進めた。描き終えると、子どもは拍手をしてくれた。すると私も描いてほしい、と子どもがねだった。断る理由などどこにもなく、マイラは描き、子ども渡すと頬を丸くして満面の笑みで「ありがとう!ママに見せる!」と言って家の方へ駆けだしてしまった。その拍子、犬が起き上がったのでマイラは家の中へ入った。

 後日、一人の髪の短い娘がやってきた。猫のような吊り目に、翼竜の娘にそんな事をいうのは良くないのかもしれないが鋭い瞳が美しいと思った。


「ボーイフレンドに私の近影を見せたいから、描いて欲しいの。あなたの絵、上手だったわ」


 マイラはぽかんとした。


「彼、異国に留学しているの。中々かえって来られなくて。でも髪の毛を切ったから彼に見せたいの」

「わ、わかったわ……」


 そうか恋人に自分の顔を見せたいのか、とマイラは目から鱗だった。


「私みたいな可愛いガールフレンドがいるって忘れさせたくないの。浮気されたくないでしょう」


 自信満々に自分を可愛いと言える事にマイラは驚いたが、彼女の自分に自信がある様はまるで夏の太陽のようだった。それを示すかのように、玄関ポーチで彼女の絵を描いている間に通りかかる者の多くが彼女に声をかけていた。いずれも彼女の友人の様だ。こんな明るいなら、誰もが彼女に魅力を感じるだろう。マイラはその性格が伝わるといいな、と思いながら絵を描いた。


「どうでしょう」

「……すごい!私ってこんなに目が輝いているの?」


 娘はマイラから絵を受け取ってそれを胸に抱きしめてくれた。


「ありがとう!あなたって素晴らしいわ。名前は?マイラね。また今度お願いするわ」


 そう言って彼女はマイラの手を握ったが、離れると手の中には金貨が何枚もあった。

 貰い過ぎではないだろうか。彼女が顔を上げた頃には、娘は既に歩き出してしまった。


「あの、レディ!私、こんなに受取れないわ!」

「商売にする資金にしなさい!絵の具でも買ったら?」


 ぴしゃり、と言い返されてしまったが彼女は唇に手を当ててからマイラに口づけを送ってくれた。彼女の人生で初めての報酬だった。そしてその娘の言う通り、マイラは絵の具を買う事を決めた。後に分かった事だが、この娘は辺りで有名な商人の家の令嬢だった。マイラは彼女からもらったお金で絵の具を買い、記憶の限り娘を描いて色付けをして届けた。この一枚の絵が評判を呼び、マイラは次第に絵描きとしての仕事をこなしていくようになるきっかけとなった。

 ジルヴァンが任務に出て三日目の夕方。今日は彼が帰ってくる筈だったがそれよりも先に郵便屋が手紙を持ってきた。差出人を見るとなんとも豪快な文字がつづられている。


 ―ジル……ジルヴァン!


 マイラはまさか彼から手紙が来るなんて思っていなかったので驚いた。

 青の国の景色が描かれた絵葉書である。青色の塗料が有名な国らしく、青色の家々が並んでいる景色が描かれている絵葉書だった。


『ミラへ 

 ここは人の優しい国で、食事も美味しい。いつかあなたにもこの国を見せたい。愛を込めて』


 ミラ、という綴りをみてマイラは頭の中がむずむずするような思いに駆られた。

 理由はわからないが、自分はこの字列をマイラと呼んではいなかった気がする、と思い始めたのだ。でも、それよりも今の彼女の心を掴んでいるのはジルヴァンからの手紙だった。

 短い手紙だったけれども、マイラの心を温めるのには十分だった。でも、たった三日家を空けただけなのに手紙だなんて、と思ったがジルヴァンの優しさが何よりもうれしかった。


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