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翼竜と誕生日

 ルルバーン家は海岸に程なく近く、見張りの崖と呼ばれる大きな断崖のふもとに家を構えている様なものだった。この国での景勝地だと言われており、二人は猫の妖精と別れて、そこに向かった。

 エムロード島はすでに秋を迎えているようで、風は冷たかった。崖は波打つような形をしており、終わりのない大洋の最中で雄大に聳え立っていた。

 薄桃色の花々がところどころ咲いていたが、マイラはそれよりも崖の先に立ちたくなった。船の上とは違う景色に、彼女は溶け込みたい気持ちでいっぱいになったのだ。海の向こうに見える日差しが誘うように、陽の光を魅せている。

 陽の光が海を照らし、この崖が海に影を落とす。なんて美しいのだろ、と彼女は潮の香を肺に一杯貯めてからそこに腰をおろした。

 するとジルヴァンも隣に腰をおろした。


「綺麗ね」

「ああ、素晴らしい景色だ」


 会話はそこで途切れる。しかし、マイラはふいにテガンの事を思い出した。ねえ、と彼に呼びかけると彼はこちらに顔を向けた。


「私の両親も、私の事を一日たりとも、一度も忘れたりしていないのかしら」

「忘れないさ。あなたのことを毎日思い出している。あなたがどこにいるのか、あなたが無事なのか、と思い出している。俺でさえそうなんだ。あなたの両親が、あなたを忘れる訳がない」


 今まで考えたこともなかった。

 自分の両親が自分を思い出してくれているかなんて。自分のことを忘れてしまっているのではないかと心のどこかで思っていたからだ。でも、今日、テガンと会って母親として娘の思う気持ちを聞いてマイラは随分と久方ぶりに両親を思った。思い出すだけで悲しくなるなら、思い出すのをやめてしまおう。この生活に馴染んだ方がマシだ、と自分の心を閉ざすようにした。自分の母親も涙を流していたのかもしれない。

 マイラはジルヴァンに質問をしておいて、返事を考えていなかった。だから、彼女は答える代わりに彼の肩に少しだけ頭をもたげた。しっかりと筋肉の付いた肩だった。少し間を置いてから、彼の頭が彼女の頭の上に乗った。心地よい重さを感じ、マイラは目を閉じて涙を静かに流した。両親に会いたい。両親に自分は無事に生きていた、幸運にも翼竜の騎士の手を取り、無事に今日まで過ごせたと知らせたい気持ちでいっぱいになった。そしてついに涙腺が決壊、マイラは本格的に泣きだしてしまった。

 ジルヴァンが直ぐに気付き、彼女の肩を抱いて背中をさすってくれた。大きくて硬い手だったけれども、彼女の気持ちを温めるのには十分だった。


 その翌日、夜の船までに時間が合った為、二人は辺りを散策した。街の近くに山があったせいか、羊たちが群れを成して移動をしていた。首にぶら下げた大きな鈴が小気味よい音を立てている。羊たちの後ろには犬が居て、マイラは一生懸命道の端に避けた。ジルヴァンはその様が面白いのか、少しだけ笑いながら牧羊犬だと教えてくれた。それから、彼女達は手芸屋に向かった。帰りの船で編み物をしたかったからだ。編み物をした経験がないと伝えると、店主が編み方について簡単に教えると言ってくれた。彼女が差し支えなければ、ノートに書いて欲しいと願うと、店主は快くそれを受け入れてくれた。髪の短い老女だったが、表情は生き生きとしており、編み物を始めようとする客を愛おしむような眼差しが何だか嬉しかった。


 早速帰りの船の上ではマイラは編み物に取り組んだ。

 手芸屋の店主の美しい文字のメモを見ながら、彼女は一生懸命編んだ。食事が終わってもすぐに客室に戻って、彼女はもくもくと編み続けた。ジルヴァンは変わらず本を読んだりしていたけれども、時折こちらを見つめてきたかと思ったら本を読むのをやめてしまった。自分の動きが彼の集中を削いだのだろうか。だとしたら申し訳ないとマイラは思って、彼に尋ねた。


「気になる?やめた方が良い?」

「何故?」

「だって、本を読むのをやめてしまったから……迷惑なのかと思って……」

「全く迷惑じゃない。物が縫われて行くのが面白くて、見ているだけだ」

「本当に?」


 ジルヴァンが何か言おうとして唇を閉ざした。けれどもやはり堪え切れなかったのか、再び彼は口を開いた。


「……本当は真剣な顔をしているあなたを見ていたかった」


 思ってもいなかったことを言われ、マイラは頬が熱くなった。

 そんなことを言う人がこの世にいるなんて!自分をそんな風に見てくるなんて!

 マイラはどうも好意的に言われるのが苦手な気がした。くすぐったくて、どう返せば良いのかわからなかった。


「でも、あなたが不愉快だと思うならがま、いや、やめる」


 我慢する、と言いかけたのだろう。

 ジルヴァンは自分の感情に素直な男だと思った。冷静で表情をあまり変えないのは騎士という職業柄も影響しているのだと思うが、彼は感情をストレートに表現する方だろう。顔には見せないが、行動には表れている気がした。


「私が作業をやめたらどうするの」

「また作業を再開したら見る」


 気になるものは気になる。見たいものは見る。欲しいものは欲しい……。


「見たって何の特にならないでしょう」

「幸せな気持ちになる」


 恥ずかしげもなく、よく彼は言えるものだ!

 マイラは彼と押し問答を繰り返しても無駄な気がして、好きにすれば、と言って再び作業に取り掛かった。

 彼は立ち上がって彼女の隣の椅子に座って頬杖をつきながら毛糸が姿を成していく光景を見ていた。彼が言った通り、彼の視線はたびたびマイラの顔に向けられた。男あまりの国ではこちらを値踏みするような視線を注がれることの方が多かったが、彼の瞳は違った。どういった感情が彼の瞳にあるのかわからないが、ジルヴァンの視線は丸くてどこか甘い香りがしそうだった。最初のうちは彼に近くで見つめられる事に恥ずかしさを感じていたが、次第にマイラは編み物に夢中になり彼の視線は気にならなくなった。それどころか、うまく編めない時は二人で一緒に編んだりした。こうやって糸を潜らせるのではないか、とか、こうするのではないか、と。二人で編み物に夢中になり、夜は老けていき船は翼竜の国へと近付いていった。


 ◇


「魔女の国に行きたい?また随分な国だな」

「男あまりの国の、先代の国王と結婚をした魔女の祖国だと聞いています。ミラの生まれ故郷の手がかりがあれば、と思ったのです」


 短い船旅を終えた翌日、ジルヴァンはエウヘニアと話をしていた。

 エムロード島で会ったテガンが聞いていた話を伝えると、なるほど、と女王は何か思案していた。

 確かに今でこそ男あまりの国は岩の国とも揶揄されているが、かつては緑の国と呼ばれていた。豊富な農作物と多くの自然と豊かな水源。しかし、先代の国王が妻に不義を働いたせいで魔女は怒り狂い国中の緑と水を奪い上げ、それを自らの魔力に変えた。魔力に変え、その力で男達が子を成せないようにと呪いをかけた。


「魔女の国には優秀な魔女はもちろん、我々には手に入れられない歴史書や忘れられていた記録を持っていると言われています。テガンのように心が読める魔女がいるなら、記憶の底を覗ける魔女もいるかもしれない。ミラの生まれ故郷についての秘密がわかるかもしれません」

「彼女は望んでいるのか?」

「まだ彼女には聞いていません。緑の多い国、島国。中には地図から姿を消してしまった国もあります」

「ミラが望むなら連れていけば良い。男あまりの国が転覆したとはいえ、以前のように脱走者がいるかもしれないから、行くならば女の護衛をつけるし、通行嘆願書にも署名しよう」


 ミラの生まれた国を探し出すのは全く簡単ではなかった。

 男あまりの国は多くの子女を攫ってきたが、中には異国のプリンセスも居た。それに心を痛ませた親が鎖国し、国ごと霧の向こうに隠してしまったケースもある。ジルヴァンが記憶していた地図とは異なる地図が、世界中には広がっていた。あの書店に売っている地図にはこう書いてある、この書店の地図はこうなっている。翼竜の探検家が見てきた景色が異なるのだ。故に、ミラの言っている国を探すのに難航していた。概して翼竜は賢いと言われるものの、さすがのジルヴァンも手がかりが少なすぎて困っていた。同じ言語を話すのに時折漏れる聞いたことのないアクセント。緑の多かった国。肌色は手がかりに出来るが、確実ではない。男あまりの国の男達が好んだのは肌の白い娘ばかりだった。でも、たまたまミラが色白なだけで、彼女の生まれた国に異なる肌の色の人間がいたら?その可能性は全く否めない。


「しかし、真面目に解決しようとしているんだな」

「彼女は俺の命を救ってくれたんです。だから今度は俺が彼女の願いを叶えたい。俺はあの時に国に帰りたいと悲しい程願ったの覚えているので」


 エムロード島で初めて見たミラの涙をジルヴァンは忘れられなかった。

 彼女は概してあまり感情を露に出さない。だから、彼女が涙を溢した時は胸が痛んだ。自分の両親が自分を覚えているか、と尋ねた時も彼は切なくなった。覚えているに決まっていると励ましたが、両親を見つけるのが何よりも彼女の涙を晴らせる方法だ。ミラの為にも、早く見つけ出したい。テガンのように娘を想い苦しんでいた母親の胸を軽くしたい。そんな気持ちがジルヴァンには芽生えていた。


「……彼女の願いを叶えられるなら、俺はどんなに危険だと言われる国であっても行くつもりです」

「志の高くなければ、翼は飛ぶ力を授けてはくれない。お前の志の高さがお前に力を与えるだろう」


 エウヘニアの言葉にジルヴァンは頭を垂らした。


 仕事を終え、家に帰ろうとしていた所、部下や上司に止められる。

 何かあったのだろうか、と思ったが「誕生日祝いだ!おめでとう!」と言われ酒をかけられた。ジルヴァンはぎょっとしたが、この時ようやく自分の誕生日だと思い出したのだ。


「結婚して幸せ過ぎて忘れてたんだろ、この野郎」

「いいなージルヴァン先輩は幸せで」

「幸せは幸せだが」


 おい!のろけるなよ!と後ろから他の騎士に絡まれ、彼は危うく転びそうになったがなんとか姿勢を持ちこたえた。炊事班の騎士がジルヴァンの好物の茄子とトマトを釜でよく焼いた料理を歌いながら持ってきた。ケーキを模したように円形に皿に盛られていた。皆が誕生日おめでとうと合唱するものだから、彼は家に帰ろうにも帰れなくなってしまった。





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