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婚姻の申し入れ

「マイラ、早くしてよ」


 名前を呼ばれる度に頭がぼんやりとする。


 ―私の名前はマイラではない。


 でももう、本当の名前を彼女は思い出せない。


「足が痛くて歩けないの」

「いつも履いているじゃないの、そんなの」


 いつも履いている、といっても新品の新しい靴では早く歩けやしない。

 国王とその七人の息子達は小さな足の女が好きだから、という理由でマイラを含める十四人の花嫁候補はそれを強制されている。

 今日は男あまりの国の祝日だった。


 国王の誕生日で近隣諸国の王達を呼んでの祝宴が催されるからだ。


「早くしないとまた、”姉さん”達に怒られるわ」


 姉さん、とは言っても血縁関係はない。

 いずれも皆、血縁関係はなく出身地はバラバラだった。

 何故なら花嫁候補達は連れ去られてこの国にやってきた所以である。


「遅かったじゃない。さっさと並びなさい」


 三番目に並んでいたアドリアが目を尖らせてマイラとリリーに言った。

 国外の王族とその臣下達を迎える為、大広間に立たなくてはいけないのだ。

 花嫁候補は左右に七人ずつ並んでいる。


 国王に近ければ近いほど、寵愛を受けているという事になるがマイラは左側の七番目に立った。

 彼女が自身のサンドベージュの髪を腰まで伸ばしているように、他の花嫁候補も腰を隠すほどの長い髪をこさえている。

 そして皆一様に金色のコルセットの形をした鎧を身につけて、クリーム色のサテンオーガンジードレスを着ている。いや、着せられている。


「麗しのセシリアよ、お前の美しい花の魔法で夢を見させてくれ」


 純金のピアス、ネックレス、親指に嵌められた指輪。権威と富を表すかのように彼はいつも飾り立てるのが大好きだった。

 国王様のお言葉にはなんなりと、セシリアは彼の頬に口付けをしてから踊り子のように手を振り上げた。

 美しい彼女に相応しい美しい花びらが広間中に舞った。

 その花びらに合わせて音楽隊は音楽を奏で始め、来賓客を出迎えた。


「月明かりの国よりーーー」


 入場した順に名前が読み上げられる。

 その度に花嫁候補達は恭しく礼をした。

 彼女達の近くに控えている侍女達も礼をしたが、花嫁候補より目立たせまいと国王の命令により喪に服すような黒いドレスを身に纏っていた。


 来賓国は様々だった。

 人間もいればエルフもいる。かつては侵略を試みた国にも招待状を出したらしく、世界覇権をおおよそ掌握している国王の機嫌は損ねられないのだろう。殆どの国が出席していた。

 ケンタロウスの国王のように笑みを浮かべない王族もいたが。


「続いて翼竜の国よりエウヘニア女王陛下、竜騎士団長ダミアン殿!」


 一際注目を集めたのは小さなドラゴンを国王の誕生日の贈り物に連れてきた翼竜の国であった。

 招待しておきながらなんだが、翼竜の国と男あまりの国は長年の軋轢があった。

 広間中の視線を集め、皆がまだ柔らかな鱗を持つ子ドラゴンに見惚れていた時である。


 マイラだけが竜騎士団の一人を見つめていた。

 その男が彼女を無遠慮に見つめているからだ。

 すみれ色の瞳には屈強な騎士がうつっていた。

 アルビノだろうか、銀灰色の髪は短く刈り上げられ、鋭い青と黄色のオッドアイの瞳を際立たせるかのように睫毛までもが白い。

 にもかかわらず、瞳には力強さが漲り、爛々と光っているのだ。


 竜騎士のその男は謁見の間だというのに、自国の女王の祝いの言葉なども聞き入れずマイラを瞬きもせずに見つめているのだ。


 精悍な顔には左頬から右目に向かうようにして傷が残っていた。

 その傷が彼に雄々しいという印象を与えていたのは言うまでもない。


「エウヘニア女王、そなたの贈り物は素晴らしい。一等の金の杯で飲み明かそうではないか!」


 マイラの集中力は国王の声で途絶えた。

 慌てて竜騎士から目を逸らしーそれでもなお男は彼女を見つめているー上機嫌な国王に視線を向け唇の端だけをあげては拍手をした。



 宴はやかましいくらいに賑やかだった。

 権力と富を来賓に示すかのように国王は高級な食材を使ったものばかりを振る舞った。

 酒など飲みきれもしないくせに、国中から集め並々とカップに注いでは水のように飲んでいる。


 花嫁候補達は七人の息子達と交互になるように座らさせられ、来賓客と隣り合う場合は間に既婚の侍女を座らせていた。


「エウヘニア女王、マイラは予知能力があるのですよ」


 隣に座った未亡人の侍女が笑みを浮かべながら言った。

 国王とその息子達の話題にあまり入れないマイラを哀れに思ったのだろう。


「予知能力?それは珍しい」

「仰るとおりでございます。まだ今はその力を開花させる道半ばでございますが、是非彼女の力をご笑覧ください」


 マイラは侍女の“粋な”計らいに目を丸くした。

 目の前でカトラリーを置いてこちらを見つめるエウヘニアの金色の瞳は期待に満ちている。


 ピンク色のアイシャドウに、彼女金色の瞳を太陽に見立てたかのようにゴールドのグリッターラインが瞳を中心に放射線状に描かれていた。


「近頃は……あまり調子が良くなくて……」

「まあマイラ、そんなに自分を小さく見せないで」


 そうではない。


 マイラは謙遜でもなんでもなく、自身の予知能力が消えていくのを感じ取っているのだ。

 この国に連れ去られた幼い頃から、歳を重ねるごとに力が砂のように手のひらから抜けていくのだ。

 なんとかこの場を凌ごうとしたが、四番目の息子がこちらの様子を見つめている。いいや、監視している。


 マイラはエウヘニアの瞳をじっと見つめた。

 そうせざるを得ないのだ。

 当たるにせよ外れるにせよ、見つめれば何かしら浮かぶが彼女の金色の瞳を見続けても何も浮かばない。


 ー本当に力がなくなってしまったのかもしれない


 その焦りを抑え込むように、マイラは自身の手を強く握った。


「レディ・マイラ。我々ドラゴンにはその力は効かない。あなたが目から血をこぼしても、敵わない。それがドラゴンだ。騙して申し訳なかったな。許してくれ。あなたの真剣な可愛い顔が見れてよかった」


 鎖かたびらの頭巾を被っているせいで、エウヘニアの髪型はわからないがどこかハンサムな口ぶりに彼女はどきり、とした。

 同時に安堵した。エウヘニアが周囲のものと乾杯をし、四番目の息子すら笑顔にしてくれたからだ。


 気の抜けない食事を終え、花嫁候補達は侍女達に見送られ離れへと戻ることになった。


 国王とその息子達、または侍女以外の立ち入りを一切禁じられている離れは、重厚な扉と高い壁に囲まれている。

 女の力だけでは決して逃げ出せないような造りなのだ。

 塀の中に囲い込まれているものの、花嫁候補に与えられた離れの家は豪勢な造りであった。

 足はひどく痛み、鎧のサイズも彼女にとってはきつすぎる為、一刻も早くも部屋に戻りたかった。

 満月輝く静かな夜、広間ではまだ宴が繰り広げられているのだろう。


 でもマイラはそれよりも静かなこの夜の方が好ましかった。

 彼女らの住まう離れの扉まであと数歩、突然の砲撃音に彼女たちは歩みを止めた。

 振り返ると先程まで居たはずの場所から煙が舞い上がっている。

 宴の声ではなく、悲鳴や怒号が壁の向こう側から漏れ出しているではないか。


「レディ、はやく、こちらに」


 ただならぬ気配に侍女は慌てて、花嫁候補たちを離れに入れようとしたがどういう訳か、どこからともなく数多のケンタロウスの戦士たちが城の中へとなだれ込んできたのだ。

 これでは侍女達も、彼女らより若い花嫁候補たちも冷静ではいられない。

 皆、突然開かれた扉から散り散りに逃げ出した。

 列の一番後ろに居たマイラは開け放されたままの扉に飛び込んだ。

 凄まじい勢いでトロールの集団が城に入り込んできたからだ。

 そのまま彼女は悲鳴と何かが破壊される音を後ろに、城の外まで逃げ出した。


 十何年ぶりの外、夜空は明るい。

 城から燃え上がる炎のおかげで明るく照らされているだけだ。

 真っ暗な空に浮かぶまんまるの月が、マイラには夜空の瞳に思えた。

 この国の崩御を見届けるつもりなのか。まるで片眼鏡をしてオペラを鑑賞するように。

 城を取り囲む橋の下、川辺の近くでマイラは呆然と燃える城を眺めた。

 しかし瞬間。蹄の音が近づくと同時に、彼女の体は力強く抱き上げられた。

 翼竜の国の、あの、彼女を不躾に見つめていた男が彼女を馬の上へと拾い上げたのである。


 幼い頃、連れ去られた時の記憶が蘇る。


「放しなさい!!おろして!!!」


 今はもう幼い子どもではない。

 精一杯の力を振り絞っても腰に巻き付けられた腕は払えない。


「無駄だ」


 諦めさせるのに十分な程に冷たい声。

 次第に馬は早くなり、城から遠ざかっていった。

 連れ去られた先は彼らの野営地だった。

 竜騎士は彼女を小麦をたっぷりと詰めた袋の様に担ぎ上げ、静寂の中で悠然と座っている女の元へ歩を進めた。


「陛下」


 マイラは下ろされるなり、逃げだそうと踵を返したが行く手を阻む様に幾人もの竜騎士が立っている。

 扉の前にはより屈強な男が二人。背丈は二メートルあってもおかしくない。

 彼女が右の隙間から抜けようとすれば、一人がこちらに歩み寄る。では反対側へ、と行こうとすると同じようにもう一人が歩み寄った。

 やめよ、と制止を促す声がした。聞き覚えのある、声だ。


「レディ・マイラを委縮させるな。ただでさえ、突然の事で驚いているのだから」


 鎖帷子を脱いだエウヘニア、翼竜の国の女王が椅子に腰かけていたのだ。

 ワインよりも赤い長い髪だ。美の女神を彷彿させるほどたおやかで、春の海のさざ波のようにウェーブがかっていた。

 彼らは用意された客間ではなく自身で用意した野営地に寝泊まりするつもりだったのだろう。

 二メートル近くありそうな大男たちが立っていても窮屈さはなさそうな、天井の高いテントだ。


「お前がやけにこの任務に就きたがる理由がわかったよ」


 女王はやれやれ、とため息を漏らしながら銀色のゴブレットに葡萄酒を注いだ。


「とはいえ、尋ねる必要がある。竜騎士ジルヴァン、お前の申し出は何だ」

「レディ・ミラを妻として迎える事のお許しを頂きたい」


 マイラは咄嗟にこの男、ジルヴァンに掴まれた腕を引こうとしたが彼女の腕はびくともしなかった。

 力強く握られている訳でもないのに、彼の手の力は強かったのだ。


「幼い頃に俺を救ってくれたあの日から、ずっとあなたを想い探していた」

「わ、私は、あなたのことなんて」

「忘れているだけだ、ミラ。あなたは怪我をして、囚われていた俺を救って国に戻してくれた」

「人間を助けた覚えはないし、私はミラじゃない」

「そうだ。あなたの記憶は正しい。何故なら俺は人間ではなく、ドラゴンだからだ。しかし、あなたはミラだ」


 突然の求婚。

 覚えのない人助け、いいやドランゴン助け。あまつさえ、名前も違うと言い張っている。


「何をお前にここまでさせている?」


 終わりの見えない議論に女王が口を割った。


「彼女が私を国に戻してくれました。彼女が私を助けてくれなければ、今日はありません」


 ジルヴァンの言葉にテントの中に居た騎士たちがどよめいた。


「……なるほど。お前が戻ってこられたのは、このレディ・マイラのおかげだと言うのか」

「陛下。お言葉ですが、彼女はマイラではなくミラです」


 女王は足を組みなおし、深く椅子に腰かけた。


「何故そう言う?」

「ミラが正しい発音です」

「ではレディ、それは事実か?」


 騎士の毅然とした態度にマイラは胸がざわざわとした。

 ずっと胸に秘めて来た違和感を見抜かれている様な気がしたからだ。

 でも悲しい事に、それが正解であると首を縦に触れる程の自信はなかった。


「……わかりません。幼い頃の記憶がありませんから、物心ついた頃にはこうやって呼ばれていたのです」

「なるほど。どちらで呼ばれたい?レディ・マイラか、レディ・ミラか」


 女王はそう気が長くないらしい。

 マイラのどっちつかずな態度を打ち切る様に「お前が言うならミラだな」と勝手に決断した。


「さて、レディ・ミラ。この男の申し出を受け入れるか?」

「う、受け入れられません。私は彼を存じ上げません」

「あなたは私を忘れているだけだ」

「いいえ、忘れてなんかいないわ!ドラゴンだったあなたは知っているけれども、人間のあなたは知らない!」


 マイラは自分でも驚くほど大きな声で叫んでいた。

「威勢が良いな」と後ろに立っていた騎士から聞こえる。

 突然、闘牛場のような場所に投げ出され見物にされている気分になった。

 城が燃え盛る瞬間を見たせいか、彼女の感情の蓋はずるり、と落ちた。


「勝手すぎるでしょう!私はあなたを覚えていない!なのに結婚だなんて!」


 幼い頃に自分よりも遥かに大きな男に無理矢理連れ去られ、『王子様の花嫁になる為に選ばれた』と言われたのだ。

 自分はそんなの望んでいない!そんなの知らない!と激しく抵抗し、酷く泣いたのを覚えている。

 誰も助けてもらえず、侍女たちに『寂しいだけよ』と慰めの声をかけられた。

 寂しいのではない。怒りだ。

 その怒りの灯火は連れ去られ日から一度も潰えず、静かに彼女の胸の中で燃えていた。


 しかしあまりにも彼女は幼過ぎた。

 両親の顔も、自身の名前も、本当の出自も全て薄れてしまった。

 忘れてしまったと言っても過言ではない。

 その事がより一層、彼女の怒りを増幅させた。


 感情にのまれて大声をあげたのは久しぶりだった。いや、初めてだったかもしれない。

 マイラは我に返り、冷静さを装うと髪の毛を耳にかけた。


「それもそうかもしれない。ジルヴァンよ、お前の婚姻の申し入れの仕方はわが国では既に古風だと言われている……お前の望みが彼女を妻とするのであれば、このレディ・ミラの望みも聞かねばならないし、私よりも先に彼女の同意を得る必要があると思わないか?」


 エウヘニアの赫々たる瞳が向けられる。


「それもそうだぞ、ジル」

「無理強いは許されないぞ」


 周囲に立っていた騎士たちが口々に言う。

 レディ・ミラに謝れ!とまで言う声が聞こえたが、彼らの口ぶりは茶々を入れているのではなく、騎士としての振る舞いに怒っているようだった。

 ジルヴァンはテントの中にいる人ひとりを見逃さないように視線を滑らせる。

 襟を正すかのように彼はマントを翻してから、騎士らしく跪いた。


「レディ・ミラ。まずは手荒な真似をした事を許してほしい……突然の申し出であなたを困らせてしまったと思うが、俺の妻となってほしい。あなたが頷いてくれれば、俺は自分の心臓をあなたに捧げよう」


 銀色の鎧の胸元に手を当てながらマイラに婚姻を申し入れる様は真剣そのものであった。


「どうして、どうして私なの」

「あなたが俺を救ってくれたからだ。幼い頃、力の使い方もわからなかったドラゴンの俺は迷ってしまった。厳しい監視下に置かれている筈なのに、それも厭わずあなたは俺を助けてくれた。その時から、俺は自分の心臓をあなたに捧げようと決めていた」


 超然たる面持ち。

 こんなに美しい瞳なら忘れる事などないだろうに、彼女は全く思い出せなかった。


「あなたが俺の婚姻を受け入れてくれれば、あなたの望むものは何でも叶えてみせる。あなたがこの国を燃やせと言うのならば、燃やしたって構わない」


 その言葉に女王は「なんて小僧だ」と呟いたが、その表情はどこか楽し気であった。

「あなたの望みを、願いを教えてくれ」

「望み……」


 ジルヴァンは頷きもせず、じっとこちらを見つめるばかりだ。

 急にそんな事を言われても。

 マイラはたじろいだ。だって、今まで誰も彼女に望むものを尋ねてくれた事がなかった。


「竜は愛した相手の願いならなんだって叶える生き物だ。ジルヴァンにはその覚悟があって、あなたに婚姻を申し出ている。だから、レディ・ミラ。あなたの望みを言うのだ」


 望み、願い。

 胸の中にこさえた怒りの灯火の下でずっと、輝いている小さな星があった。

 とっくに空から撃ち落され、命短いであろう星だ。マイラはそれが自然と潰えていくのを待ち、それすらも忘れてしまおうとしていた。


「何でも、というのは本当に何でもしてくれるの?」

「二言はない」

「私が、両親を探してほしいと言ったら?」


 予想していなかった言葉だったのか、ぱちり、とジルヴァンの瞳が瞬いた。

 睫毛は長くはないが隙間なく生え揃っているのが、この時確認できた。


「……私の両親と生まれ故郷を探し出してくれるのなら、婚姻を受け入れます」

「あなたが望むなら、あなたの両親を見つけよう」


 ジルヴァンの瞳に光が差し込んだ。

 はっと息をのむような美しい瞳にマイラは思わず見とれた。彼の手が差し出され、彼女は侍女から習った通りに手を差しだした。

 ゴツゴツとした無骨な手は所々皮がむけており、決して握られて心地良いとは言えなかった。

 彼の唇が彼女の甲に触れようとした瞬間である。彼女は咄嗟に手を引っ込めた。


「見つかるまでは白い結婚であることを誓って」


 おお、と彼女らを見守っている騎士たちが再びどよめいた。

 女王は手をはためかせ、騎士たちを黙らせた。


「誓おう。あなたの両親と生まれ故郷を見つけるまで、白い結婚を続けることを」


 マイラは頷き、再び自ら手を差しだした。

 ジルヴァンはその手を取り、唇まで寄せるのではなく、自らの頭を下げて彼女の手の甲に口づけをした。


「では番の契りが必要になるな」

「番の契り?」

「そうだ。互いの右手首を切り、そこから流れ出た血を互いに飲む」


 女王の言葉にマイラは身を縮めた。

 なんて野蛮な、と思ったが表情にそれが出ていたらしい。


「自身の血が相手の血に刻まれる。ドラゴンは配偶者の血を自身の体に留めておくことができるのだよ。それによって、ジルヴァンはあなたを永遠の一人とすることになる」

「その契りを、拒んだら?」

「わが国では夫婦として認められない。婚姻を受け入れた以上はあなたにも行ってもらう」


 そう言うと、男とも女とも言えぬ彼女の側近が布に包まれたものを差し出した。

 女王はそれを受け取り、布を取ると短剣が姿を現した。

 剣格の部分は大きな女性の顔が彫られている。謎めいた笑みを浮かべているせいで、マイラに不気味な印象を与えていた。


「両者、前へ」


 跪いていたジルヴァンが立ち上がり、女王の方へと一歩近づく。

 女王も立ち上がっては、マイラにこちらへと手招きをしている。

 彼女は誘われるがままジルヴァンの隣へと立った。


「女王エウヘニアの名を持って二人の愛の証人となろう。まずは口づけを」


 女王が司祭のかわりなのだろう。

 出会って間もない男と口づけをする事に嫌悪感が無いと言えば嘘になるが、国王やその息子たちと口づけをするよりはましだ、とマイラは自身を慰めた。

 彼は身を屈めて、彼女の唇に触れるだけの口づけをした。


「それでは妖瞳を持つ崇高なる騎士、ジルヴァンよ。お前は今夜ここで永久の契りを交わす。右手を」


 ジルヴァンは何のためらいもなく、甲冑を取り外してから自身の右手首を差し出した。

 女王が手首に刃を立てれば一本の血の筋が生まれる。


「迷子の麗しき花嫁、ミラよ。あなたは今夜ここで永久の契りを交わし、自身の道を歩み始める」


 マイラは思わず女王の瞳をじっと見つめた。


 ―自分の道を?私が?


「レディ・ミラ、手首を」


 マイラは慌てて手首を差し出した。

 震える手を取られ、手首はジルヴァンと同じように刃が立てられた。

 肌を裂く一瞬の痛み。白い肌の内側から現れたもの赤く、運命の瞳を見た気がした。

 内に眠っていた願いを叶える時が来たのだ。

 マイラはジルヴァンの身長に合うように手を少しだけ高く掲げた。

 彼の唇が彼女の切り傷に触れた。彼は啄むように口づけをしてくれた。そしてマイラも、恐る恐る自身の目の前に差し出された彼の切り傷に唇を寄せた。


「血を口にするのだよ」


 女王は短剣の先に手を添えたまま言った。


「吸血鬼の様に飲み干す必要はないが」


 マイラは言われた通り、おずおずとジルヴァンの血を舐めた。

 鉄の味が口腔内いっぱいに広がったのは言うまでもない話である。

 彼女は顔を思わずしかめると、彼の瞳と目が合った。

 ジルヴァンは彼女の肌に唇を這わし、大きな舌で彼女の血を拭った。


 ぞわり、と背筋が震えた。

 気味が悪いと思って震えるのではない。

 何か熱いものがじわじわと背骨をのぼる様な感覚だった。


「永遠の契りが両者の血に刻まれた。ここに夫婦を誕生した事、心より祝福申し上げよう」


 テントの中は祝福の拍手で満ちた。


「さて、悪いが夜明けまで時間が無い。戦火が近づいている暗いうちに国境まで向かう」


 マイラはそうだ、とジルヴァンの顔を見た。


「今宵の宴、誰一人祝いに来た者はいない」


 彼女の尋ねようとしている事がわかったのか、彼は答えを教えてくれた。

 側近の二人は女王にマントを着け直しては、てきぱきとテントの中のものを片付けて行った。


「じゃあ、今夜は」


 マイラの質問に女王は不敵に微笑んだ。


「この国の王に仕返しをするべく、我々も、他の種族の王達も訪れたのだよ」

「ミラ、こちらへ」


 女王の何かを企むような笑みの答えは聞けなかった。

 ジルヴァンがテントを崩すからと彼女を手招いたからだ。

 外には既に出ていた騎士たちが馬の手綱を握っていた。彼によればドラゴンの姿で空を飛ぶのは目立つかららしい。

 結婚をしたという実感を得る間などどこにもない。

 連れ去られとはいえ、長い間住んでいた国が転覆していっているのだ。

 気になる事は沢山あったが、尋ねる時間はなかった。

 翼竜の国の騎士たちは無駄な動きのない身裁きで、この国を出るべくあっという間に隊列を作った。


「そろそろ騒ぎが起こる頃かな」


 ジルヴァンの隣の馬に乗っていた幼い騎士が呟いた。


「騒ぎ?」

「ミラ嬢のパパに悪さをするように仕込んだんだ。あの小さなドラゴン、悪戯好きなんだ」

「あの男はパパではない」


 隊列を作ったのに中々出発しないのには訳があった。

 この幼い騎士が言った通り、彼らは騒ぎが起こるのを待っていたようなのだ。


「陛下!飛んできましたぞ!」


 列のちょうど真ん中にいた女王は顔を素早く上げた。

 マイラも顔をあげると、そこには女王が献上した筈の小さなドラゴンが飛んでいた。

 飛んでいる姿を見るやいなや、女王は豪快に笑いだした。彼女の愛馬も、その喜びを分かち合うかのように両前足を高く上げる。


「してやったぞ、馬鹿な国王め!この私が愛するドラゴンを贈るものか!」


 夜空一杯に響き渡らん声で笑いながら、女王は馬を走り出させた。

 命令を下さずともに騎士たちは忠実に馬の腹を蹴り、彼女の後について言った。


「良かった、あの子は賢いんだ。ちゃんと国王の顔を燃やしたみたい」


 僕達復讐したくて来たんだ、と幼い騎士は微笑んだ。

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