嘘つきのままでいさせて欲しかった
どさり
……一人の魔術師が膝をついた。魔王と戦った末の事だ。
魔王は肩で息をしている。数多の傷を負いながら、しかして魔の王として立っていた。
勇者は腹が裂けている、聖女は胸に穴が空いた、格闘家は四肢が吹き飛んだ。まだまだ若い命が伏している。魔術師の喉には棘が刺さったままだ。ただの牽制の斉射を受けて、自慢の呪文が唱えられなくなっていた。
「見事だった。我は汝らを決して忘れない」
魔王の言は、勝利宣言であり、勇者たちの祖国への暴虐を続ける宣告だった。
それは、勇者たちの旅が無為に帰したことを示した。はずだった。
「光魔法【輝望奉】」
遠く、遠く、空に一雫の光が飛んでいく。魔王が仰いだ空から、光の粒が降り注ぐ。
魔術師としての最期の魔法だった。男の喉は破れ、呪文の対価に命が漏れ溢れる。まもなく血の海に沈むだろう彼は、それでも魔王と見合い、笑った。
「忘れ、るな゛。か、必、ず、我、らは、ゔまれ、かわり、暴、虐を、斃す」
そして遂に彼も死んだ。その言は、信憑性のカケラもない筈の転生魔法を示唆していた。事切れた四人の英雄は蘇ると言ったのだ。誰も見付けられていない筈の魔法、神が許す筈のない魔法。しかし男の死に際が、魔王に『あり得る』と思わせた。そして畏れを抱かせた。
勇者たちは、魔王が侵攻を始めた齢十五まで剣も握ったこともなかったのに、僅か三年で、奇襲してきた魔王の命に掠めたという事実がそこにあったから。もし、そんな者が、物心ついた時から鍛えたなら、必ずや斃されると解ったから。
歴史では、魔国の三年間にわたる侵攻は止まり、人と魔との間に和平条約が結ばれた。しばらくは小競り合いもあったというが、互いにうまく互いを利用して、発展していき、とうとう勇者たちの目指した、暴虐のない平和な世界となったのだ。
そして、男の友人という人物が、大道芸でとある魔法を使って大騒ぎとなった。空に一雫の光が飛び、光の粒が降り注ぐちんけな魔法だった。
――――――――
「そう、魔術師の魔法は嘘だったのです。しかし、騙された魔王を含めて、誰も怒りませんでした。何故ならこの嘘が、誰も傷つけないためにつかれた嘘だったからです。男は嘘で魔王を止め、世界に平和をもたらしたとして、今も『嘘光の魔法使い』様と讃えられています。めでたしめでたし。
……さて、今のお話を踏まえて聞きますよ。アナタのついた嘘は、魔法使い様のように立派なものですか?」
「はい!」
「拳骨!!!!!」
鈍い音が教会裏で響いた。
ラック・アンクレーンは小さな雑貨屋の次男であった。今日は親父が詐欺に遭いかけてたから逆に詐欺り返したところを、偶然通りかかったシスターに見つかり連行されて、ありがた〜いお説教を受けていたのだ。あと拳骨も受けた。
「まったく。ラック君はあの魔術師様と一緒で光魔法が使えるのですから、いつも誠実に生きることを心がけなさい。そうでなければ神様にお仕置きとして魔法を没収されますよ?」
「シスター、光魔法がなくっても誠実に生きなきゃダメだよ」
「言葉尻を捉えないの。まったく、後ちょっとでケーサたちも帰ってくるから、顔を見たらお家のお手伝いに戻りなさい」
「あっお兄ちゃん来てる! 今日はお家のお手伝いじゃなかった?」
「こんにちは、お兄様。本日はご商談の付き添いだったかと思いますが、私わたくし達に会いに抜け出して来てくれたのですか?」
「兄さん、会いに来てくれて嬉しい。たとえシスターのお説教のついでだとしても」
「ケーサ、ミミカ、トツキ、何度も言うが俺はお前らの兄じゃない。後、奉仕清掃のあとは汚れを落としなさい」
「あら、そうでしたわ。【浄化】」
ちょうど帰って来た幼馴染のうち、ミミカの魔法により薄汚れた3人とついでにラックが王族専用エステ終わりもかくやと綺麗になった。と同時にケーサが勢いよく、ミミカがしずしずと、トツキが縮地で後ろからラックに抱き付いた。
元気娘ケーサ、おっとりミミカ、クールなトツキはラックと同じ7歳の孤児だ。物心ついてラックが家の寄付について行って知り合ってからの仲で、何故か俺を兄貴分として慕ってくれている。
同い年であると言うのに、ケーサは剣技優良で各種魔法も万能に使え、ミミカは並び立つもののいない補助魔法を使う聖女見習い、トツキは拳で鎧に穴を開けられる武の申し子だ。たかが幻光魔術師のラックには兄としてやるせない。兄じゃないが。
十秒ほど抱きつかれた後、ラックは全力で3人を振り解いた。全力でなければ剥がれなかったとも言う。
「わかってるだろうが俺は家の手伝いの続きだ。また暇ができたら遊びに来るよ」
「えーっ! ……我慢するぅ。でもでもお兄ちゃん、あれ、あれだけやって!」
「聞き分けよくって助かるよ。じゃあ、紐だして、って3人ともか」
「当然です、兄様」「ちょうだい、兄さん」
3人が指で摘むようにして持った紐の先端に、いつものように魔法をかける。
「【僭光花火】」
安定した不安定な魔力が、パチリと紐の端で弾ける。光を灯したまま、しかし時折揺れて火花を散らす様は儚く、静かに見守っていたいものであった。
静かに灯る光をじっと見つめる3人の邪魔をしないように、ラックはそっと教会を後にした。
「あの3人を見てると、あの頃を思い出すな……」
――――――――
ラックは前世で詐欺師だった。薄汚い裏路地で稀有な光魔法を詐欺の手段として悪用していた悪党であった。嘘は言っていない、ただし本当のことははぐらかす。その罰なのか、攻性魔法は一切使えなかった。
魔王侵攻が始まって一年経った頃、前線から少し離れた町で詐欺師はタヌキ商人にカモられそうになっていたパーティを見るにみかねて助けた。助けてしまった。
元気いっぱいな勇者に気に入られて、聖女が賛同し、格闘家に引きずられるように相談役、そして魔王軍と戦うようになってからは魔術師としてパーティに連なった。
幻光魔法でミスディレクションを仕掛け、小道具で刺す。そんなみみっちい戦術は、なまじ過去の英雄が派手に光魔法を振るっていたために初見殺しとして活躍した。慌ただしくも楽しい旅路だった。
そして魔王侵攻から3年、パーティに加わってから2年、呆気なくその旅路は終わりを迎えてしまった。
最後に放った【輝望奉】は、詐欺師な人生を通しての初めての嘘であったが、後悔はしていなかった。
『嘘をつけば光魔法は神に没収される』そんな噂もあったが、魔術師にとっては最期の魔法で、勇者への恩返しも兼ねていた。
だから、魔術師、ラックにとって本当に転生してしまったことは考えもしていなかったことなのだ。
――――――――
「……まあ、こうして平和を享受出来るんだから良しとしておこうか」
ラックはひとりごちて自宅の雑貨屋にたどり着いた。ただいま、と中に入ると両親と兄が何やら篝火を準備していた。
「何? ……ああ、終戦記念日か」
「お、ラックが帰ったか。ちょっと待ってな、外に出したら次の手伝いをお願いするからな」
3メートルほどの高めの篝火は、英霊への弔いであり、終戦の立役者である勇者達の象徴とまでなった【輝望奉】を模したものだった。勇者が亡くなった日はこうして篝火を焚き、和平が結ばれた翌日は国主体で祭りが催される。ラックはいろんな出し物がされる2日目の方が好きだ。
「毎年2、3件はボヤ騒ぎが起こるのによくやるよな、それ。て言うか外で組み立てろよ、出しにくいだろ」
「……あ」
夜、ラックはいつもの3人に連れられ教会の屋根上にいた。ケーサが押しかけ、ミミカがにこにこし、トツキが担ぎ上げた。
「いっつも思うんだけど、強引すぎない?」
「だってお兄ちゃんに口で勝てないもん」
「お兄様はすぐ、はぐらかしますからね。お相手しないのが勝つ秘訣かと」
「兄さんは軽いから、持ち運ぶのが一番効率がいい」
情けないが、これが実状である。あとラックは軽くない、標準だ。
「それよりほら、ここはちょっと高いからよく見えるよ」
「ん、ああ。……確かに、綺麗だ」
ケーサの言う通り、背の高い教会の屋根からは街一面の篝火の群が広がっていた。転生したラックとしてはピンとこないが、天上のご先祖様はこれを見て喜んでくれるだろうか。
ひゅう、と領主の屋敷から空に一雫の光が飛んでいく。4人が仰いだ空から、光の粒が降り注ぐ。続くように、各地で同じように光が飛ぶ。ラックもまた、光魔術師の端くれとしてその魔法を打ち上げる。名を
「【内空げ花火】」
一際高く高く空に飛んだ一雫の光が地の果てまでも光の粒を降らせるのを、懐かしむように眺める。
「……兄さん、【輝望奉】の名前、また間違えてる。フレークって薄っぺらって意味でしょ?」
「ちげーよ。こっちが正しいの。あっちは俗称」
「斜に構え続けても仕方がなくって?【輝望奉】が主流ですわよ、お兄様」
「お兄ちゃん、折角魔王様が喧伝した逸話の魔法名なんだから【輝望奉】使おうよ。かっこいいよ?【輝望奉】」
「魔王様も魔王様だよ。和平結ぶだけだったらそんな詳しく話すことないだろ。薄っぺらな魔法に込められたすっからかんの中身。一から十まで嘘っぱちな魔法だぞ」
『はーぁ』と溜息を出すラック。人生最期にして最大の黒歴史をガッツリ人類史に刻まれている小っ恥ずかしさは、他の誰も共感できないだろう。
「……お兄ちゃん、私たちは10歳になったら旅に出るの。お兄ちゃんも一緒に来て」
「『来てくれる?』じゃなくって『来て』とはな。……俺なんていても足しになるか?」
「利益だけでお願いしているわけではございませんよ。それに、お兄様の頭の良さには沢山お世話になっていますもの」
「うん。お店を継ぐつもりもお手伝いに殉ずるつもりも二号店作る気もないんだからちょうどいい」
「ミミカは兎も角トツキは酷い言い草だなぁオイ」
脱力しながら頬をついて遠い目をしてしまう。視界の端で固定の甘かったらしい篝火が倒れてボヤが起きている。……もし人魔和平を上回る伝説が生まれた時はこんな事故が起こらないようなイベントを作れるエピソードであって欲しい。
「ま、いいか」
それを含めて、今の世は平和なのだろう。ラックはそう思うことにした。
ラックは知らない。勇者達もまた転生していることを。
ラックは知らない。魔王を嗾けていた邪神なる存在を。
ラックは知らない。また伝説兼黒歴史を作ってしまうことを。
ラックは知らない。過去の旅路が『勇者ハーレム+おじさん』ではなく『おじさんハーレム』であったことを。