3.
「あ、そういえば」
「……そういえば?」
上島は、きっとそんな私の心を察して……なんかいないんだろうな、ってため息をつく。もちろん頭の中で。
現に、上島は興奮して、
「もうすぐクリスマスだよな」
「クリスマス」
そ、クリスマス、と私に話をふる。
やめてよ、今の私だったらその明るい笑顔だけで参っちゃいそうなんだから……。とこれも心に呟く。
でも、そういえばもう、クリスマス――か。
「この喫茶店も、もうそろそろ飾り付け準備、ですよね?」
「ああ、もう少し……そうだね。明日明後日ぐらいにはしようと思うんだ」
この『窓』も、いくら集客面で寂しいからって言ってもクリスマスシーズンは客足がそこそこ増える。店内も、それ仕様に模様替えをするのがこの時季の恒例だった。
でも、私はこの通り。今までの年と同じように装飾の手伝いができる自信もなくて、その意味では少し上島がうらめしい。そっとにらんでみる。
「あぁ。そういえば明日には、美幸のやつも帰って来るって言ってたなぁ」
でも、このお父さんの衝撃発言には反応しないはずがない。
帰って来るのっ?! と咄嗟に椅子から立つけど、お父さんはそれに対してはまるで悠長だ。
「何だよ、帰って来ちゃいけないようなリアクションだな」
「だだだ、だってそんなこと一言も言ってなかったじゃん! いつあったの連絡!」
「昨日の晩。あっちの予定が早く繰り上がりそうだから、明日には帰れるわ、って電話で」
知らないよ……。そんなことは早く言ってよ、こんなアタフタした状態のままだったら、どんなに恥ずかしいことになるか!
「へぇ、おばさん早く帰って来れるんじゃん! よかったな」
立ったまま私は、まさにアレ、『どうしたらいいのっ?』というパニック真っ最中。
それでいて上島も、相変わらずの女殺しならぬ私殺しのスマイルで喜んでいる。
恥ずかしくても、これじゃ銀盆アタックが……できやしないよ。反則だよ……全部。
~・~・~
『美幸』っていうのは誰か――不思議に思ってる人もいるんじゃないかな、って思う。
けど何のことはない、私の一番身近な人の一人で、かつ私にとっては、一生太刀打ちできっこない天敵のような存在だ。
つまり、私のお母さんなのである。
『うぅ……どうしよう』
と、私がこんなに悩むのも無理はない。
鍵和田美幸。我が家の頼もしいお母さんであり、そのまた別の姿は全日空のキャビンアテンダント。年齢は……後が怖いから秘密にしとこ。
元々は、この喫茶店・窓の一人娘だったんだけど、客として偶然やって来たお父さんが一目ボレして、間髪置かずのアタックの末に恋愛結婚でゴールイン、という話。今は、我が家の家計を支えるのと、幼い頃からの夢を叶えたいの、って言って全世界の空を飛び回っている。
「しかしね。恵の慌てっぷり、面白かったな」
「もうっ。さては、ああなるの狙っててお母さんの話題始めたんでしょ」
まぁ、ね、と唐揚げを口に放り込みながらお父さん。満面の笑みを浮かべて。
うぅ。お父さんのバカ。私が上島のことになると逆らえないの、しっかり分かってる。私も、顔がまた温度急上昇するのをどうにもできないまま、負けじと唐揚げを二三個放り込む。
と、こう言うのも実は、私のイロコイ事情に一番興味津々なのは他でもないお母さんだからだ。ううん、興味津々っていうレベルじゃないかもしれない。もはやアレはストーカーの域だ。
「まさか! お母ふぁんにわたふぃのこと、んっ、話してないよねっ?」
「こらこら。ものを食べながらしゃべらない」
食べたくもなるよっ。やけ酒みたいに、私は唐揚げを次々と口に運ぶ。
「いや、話した」
「ふぇっ!? うっ、ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ……」
「ほら、言わんこっちゃない。まぁ、美幸には話してある、って言ってもごくごくさわりぐらいだよ、カズヒロ君のことで恵がちょっとご乱心ぎみだ、って」
それだけで十分だよっ。
私は、お茶でやっとのこと唐揚げを流し込むと、精一杯視線を鋭くしてお父さんを睨み付ける。
「お、お~こわ……さておかわりおかわり、っと」
逃げたね、お父さん。おかわりってまだ、ご飯半分ぐらい残ってるじゃん。
取り残された私は、何度目か知れない長いため息をもらす。
あのお母さんに、私の恋愛模様というものが知られたっていうことはもうオソロシイことになるのは確定的だ。今で言う死亡フラグ、ってやつかな。
いじくり倒されるに違いない。嬉しそうに上気した、小悪魔の顔が脳裏に浮かぶ。
青息吐息に、私はまた一つ唐揚げにパクついた。もう、ちょっと冷め気味になってるな。喉が詰まったのは流せても、お母さんの前で上島の話題は流せないと思う。ううん、絶対流せない。
もうすぐ、帰って来ちゃうんだよね……。
……と思ったら、その時はあっという間に訪れた。
「めぐちゃ~んっ! 元気にしてた~っ?」
うん、この声この声。階段を上がって来る時点でまるまる伝わって来るハイテンションは、まぎれもなく。
「ただいまっ!」
……ああ、お母さんだ、と直感すると同時に、重たい衝撃が全身におぶさって来る。
「おかえり」
「ただいま~っ! ほんとに久々だわ~、めぐちゃんまた大きくなったんじゃない?」
それはね。こうやって抱き付いて来る、お母さんがお母さんだもの。
「そう? ……でもとりあえず離れてよ、流石に苦しい」
あ、ごめんごめんって回していた腕を解くと、ストンと降りるお母さん。私の目の少し下辺りに、おでこがのぞいている。
「でも、お母さんも変わらないね。元気でよかった」
「うん。嬉しいわ」
そう、笑いかけてくれるのはやっぱり反則だと思う。いくら天敵みたいなお母さんだからって言っても、この笑顔にはかなわないな、って感じる。
「……うん」
私がお母さんには逆らえないな、って思うのは、やり込められるとぐぅの音も出なくなるのと、それからこの『愛くるしさ』にある。
私が言うのも変な話かもしれないけど、実際そうなんだから困るんだよね。
私が身長一五〇代なのに対してお母さんは、その十センチ近くも下。何にも言わなければ、高校生だって勘違いされてもおかしくないくらい。
「あれ美幸、帰って来てたのか?」
「ううん、今返って来たとこ!」
「何だよ、言ってくれれば迎えに行ったのに」
「いいのよいいのよ、康司さんだって喫茶店で疲れているでしょ?」
ほら、私は飛行機の中で過ごして来てタフだから! なんて胸を叩いて言い張ってみるけれど、もう就職して何年も経つ大人とは思えないんだよね。
私は、久方振りに見るお母さんの変わらない姿に、一方では少し呆れ気味で、もう一方では懐かしさで息をこぼした。
「『窓』のお客さん、少ないからそうでもないんじゃない」
「え、そこでそれ言うか恵……」
苦笑顔でいつものとは違うエプロンを広げるお父さん。あ、クリスマスの飾り付けするのかな。
「あ、クリスマスの準備? やるやるっ」
ってなるのも毎度のこと。
こうして、無駄に子供っぽいお母さんが帰って来るのは年に十数日っきりだ。クリスマスからお正月もその中に含まれているけど、フライトの都合によっては年越しも空の上、なんていう年がない訳じゃない。
だからこそ、お母さんは家に帰って来るとはしゃぐのかもしれないし、だからこそ私やお父さんを含めた家の空気が明るくなるのかもしれない。
「お母さんは今日は! 帰って来たばかりなんだから休んでてよ」
「そうだぞ、たまに帰って来れるクリスマスなんだから」
お母さんが帰って来ると、この家には笑顔が満ちあふれる。現に、私だってお父さんだってお母さんの元気そうな声が聞こえた瞬間から前にもまして笑顔でいる。
「そう? そうかしら……。それじゃ、甘えちゃおっかな」
やっぱり、三人揃ってこその鍵和田家。
私は、やっぱりお母さんがお母さんとして元気でいてくれる、それだけでかなわないな、っても思う。そっと、トランクを持つ。
「で」
「え?」
「上島クンとはどうなってるの?」
ところが。
「……ふぇ?」
「ね? め~ぐちゃん。教えてくれるよね」
その後。カウンター席で、座っている丸椅子をぐるぐる回しながら、お母さんは目を細めてこっちに微笑みかけている。
っていうか、まだカウンター席に座って足が床に付かないの?
「お母さん命令。どう? 何かイイトコロまで進んでるって聞いたんだけど」
柔らかい目が、だんだん母性あふれたまなざしから悪魔の目に見えて来る。
冷汗が一筋、背中を伝うのがはっきり分かった。今更だけど、冷汗ってこんなにも冷たいものだったっけ? 何だかゾクゾクする。
「……えーとお母さん? そこのオーナメント取って」
「イヤ」
手が、金縛りに遭ったみたいに止まる。たった一言がここまで恐ろしいなんて、ひょっとしたら魔女なんじゃない? お母さんって、なんて真剣に考察してみる。
「……ダメ?」
「イ・ヤ・だ。話、そらさないでよ?」
観念すればいいの、とその視線が脅迫……もとい、語っている。
前言撤回。
お母さんにかなわないっていうのは、この魔女的な支配力を持つ『お母さん命令』のせい。
それでいて、お母さんは小悪魔です。
結局お母さんはどうしたってお母さんな訳で、噂好きの女子高生さながらの性格は一ミリだって変わりはしないのだった。
「お母さ~ん……毎度毎度言うんだけど、何で私のことばっかり気にするの?」
「それは当然よ。娘の心配を親がしてどこが悪いの?」
んじゃなくて。お母さんの場合、親が心配して声かけてるっていうのとは性質上違う気がする。
第一、お母さんほら、回ってた丸椅子からピョンと飛び下りたでしょ? 背中まで届く綺麗なポニーテールが、歩く度に可愛げに揺れてるでしょ? それ、普通の大人だったら絶対あり得ないと思うんだけど? 絵柄的には学校の同級生か年下辺りが、付き添って恋愛話をせがんでるっていうのが場面として似合うと思うんだけどね。
「それにね恵。私、上島クンと恵の仲はもう出会った時から全っ部知ってるのよ? 今更隠すことも何にもないでしょ」
だからこそだよ。もう絶対、絶っ対に情報一つとも漏らしたくないっていう娘の心をまず分かってよ。
「私にしたら、公認どころかこのままトントンと結ばれるのも決定なのに」
どこからその自信の根拠が湧いて来るの。
帰って来たお母さんは早速、私をいぢくり倒しにスイッチが入ったようで、まるで中学生の外見をフル活用しながら言い寄って来る。私はというと、窓に付けるリボンやツリーのオーナメントの飾り付けで忙しい、ふりをしながら無視に精一杯だった。
「……ほら。そっちがダメならせめて手伝わせて。もう貸しなさいっ、全然できてないわ」
「えっ、お母さん貸しなさいって、さっき手伝わなくてもいいって」
「ダメ。ぶきっちょで見ててられないんだから」
なんて言いながら、んしょ、って低い背丈をいっぱいに伸ばしながら手伝おうとする。背丈から言って、手伝い切れない部分があるのはお母さんにとっては当然のことだった。
もう。何の為に、私とお父さんがせっかくの休み時間をあげたのか、これじゃあ意味が分からないじゃない。
私は仕方なしに、そっと手近の椅子を引っ張ってあげる。
「ありがと、恵」
その、茶色のよそ行きコート姿だって。嫌になるほど似合ってないんだから。
私は、一つ息をついてリボンを結び付ける。私が、上島のことを好きになったんだから私に任せてほしい。告白するかどうかなんて、他の人にとってはもどかしいだけかもしれないけど、私には一大事。
ふと、上島のことが頭に浮かんで、思い切り頭を横に振る。顔はもう、熱くて具合悪くなりそうなぐらい。きっと、お母さんには私の顔がゆでダコみたいに見えているんだろうな、って勝手に考えながら飾り付けに没頭した。
クリスマス期間の為に、特別食材買い足しに出かけているお父さんがうらめしかった。
そんな、私にとっては針のムシロな時間が続くと思っていたら、意外にもお母さんはふと口を開いた。
「……ぶきっちょで、案外強情で。すぐすねるくせに以外とウブ」
ストーブの上にかけた薬缶が、熱せられて小気味良く湯気をふいている音がする――音といえば時計の針の音とそれだけの、騒ぎがみんな過ぎ去った後の店内でのこと。
私は、不意を突いた言葉にふと振り返る。
「もう。康司さんそっくりよ? 若い頃の、」
金色の小さな星をリボンに糊付けしながら、お母さんは独り言のように語り出した。
「この際だから言っちゃうけど……最初はね。康司さん、何度も何度もここに通い詰めてたの。いっつも奥の席で。何度も来るもんだから顔も覚えちゃった」
淡々と口から出る、昔の話。
今までお母さんに、お父さんとの馴れ初めを聞こうとしても、教えられるのは若き日のお父さんがお母さんに猛アタックしたってだけ。具体的に探ろうとするとある意味力のこもったスマイルが無言で返って来るだけだったから、あえて触れない闇にしておいたけど。どうしたんだろう?
お母さんの、久方振りにどこか綺麗に見える横顔に、私は思わず作業の手を止める。
「一発で直感した。あ、これ私のこと好きなのかな、ってね。で、ある時聞いてみたわ。来店してる時につつっ、て近付いて『ね、もしかして……好きなの?』ってだけ」
「……えっ、それでそれでっ?」
「何て言ったと思う? 『いや、あの、その……あなたに気がある訳では』って、思いっきり言い訳してた」
ふふっ、と微笑みが一つ、こぼれる。あのお母さんが……ほんとになぜだか可愛く見える。
「誰かが、プッシュしてあげなきゃダメなのね。今だってそうよ? ……それで、その性格は遺伝でしっかり受け継がれている」
もしかして、私?
恐る恐る自分に人差し指を向けると、あからさまにそうそう、と言いたげな小悪魔な笑顔がまたのぞいた。
「……頑張ってほしいの。ある人を真剣に好きになる、っていう気持ちは人生の中でそうあるものじゃない。その感情自体、神様がくれた特別な贈りもの、って考えてもいいわ」
お母さんが、こうして私を諭してくれるのは、私自身久し振りな気がした。
全部お見通しよ、なんて胸を張れるお母さんだからこそできるアドバイス。そういうことって昔はもっとあったかもしれないのに、今は忘れている。
「神様からの贈りものをもらった子は、誰だって幸せそうに見える。嬉しそうに、時折はしゃいでいるようにも見える。だから、気になるのは当たり前なんだから。めぐちゃんに彼氏ができたとなれば、それは親だもの」
喜ばない訳ないでしょ? と言うお母さんが、その時誰より頼もしく見えたのを、私は言えない。さっきあれだけ不満をぶつけていたのが、お母さんのバカなんて思っていたのが、謝りたくなって来る。すっかりしおらしくなった胸の奥底が、不思議なあたたかさで満たされていた。
「めぐちゃんは。いつまで経っても、そういうたぐいのことが苦手なんだから」
まぁ、お母さんも少しやり過ぎたかしら、と話し終えた、その手の平がほどけるともう一つ星が輝いた。
「応援してるのよ、これでも」
そこにあったのは、やっぱり――小さな頃からずっと好きだった、お母さんの笑顔。私を包み込んでくれるような、優しい笑顔。
向かい合って思う。私は、お母さんにはかなわないんだ。親がいて子供がいて、子供なら誰もがその優しさには太刀打ちできっこない。でも、それでもいいのかもしれない。
ほっぺたが、ほんのり熱を帯びる気がした。
「もう。クリスマスに告白なんて、これ以上のシチュエーションはないのに。無駄にしたらもったいないわねぇ、もったいないオバケが出ちゃうかも」
「もったいないオバケって……私は小学生じゃないよっ」
「あら、今時は小学生だって彼女彼氏言う時代なのよ? めぐちゃんは、クリスマスっていう絶好の告白チャンスに役に立つ、ステキなグッズを持ってるんだから! 上手く活用しないと! さもないと、ほんとにもったいないオバケが出ちゃうぞ~?」
「……グッズ?」
私が首をかしげるとお母さんは、やれやれとでも言いたげに乗っかった椅子から窓の所を指差す。
「あ……え?」
そこには、ひっそりと一つ、小さめのスノーグローブが隠れていた。
~・~・~
クリスマス、当日。
商店街の通りは――肩を寄せ合った店々が、イルミネーションや、ツリー、雪の代わりの綿飾り、赤白緑のクリスマスカラーの光の帯に、彩られている。
いつもはこぢんまりとした、おばちゃん達や子供達の憩いの場になってるけれども今日は特別な日。
雪曇りの下で、みんながそれぞれの思いを胸に秘めて、この聖夜を歩いて行く。微笑みに満ちあふれて時を過ごしている。
私も、その一人……と言うには程遠いのかもしれない。
「いや、今日はありがとな! 何かまた、大道寺先輩へのアプローチ失敗しちゃってさ」
「へー……失敗、し、したんだ」
「そ! 未だに意味分からないんだよ、あの時言われたこともそうだし、今回は『今日は聖なる夜、ホーリー・ナイト、クリスマスなのよ? 一緒に過ごす人はもっと選ばなくちゃ』だってさ」
横文字使われてもな、というのはいつもの上島の愚痴だけど、そういう問題でもないよって思うのは私だけなんだろうか。
上島を今夜、家に誘ったっていうのは、一応友達としての招待のつもりだった。
告白、っていうことは考えちゃいない。というより、考えられないのだ。さっきから、熱がするし胸が苦しい。上島といられるだけで、ここまで重症になるっていうのは私もよっぽどだ。
『窓』の中は、お母さんも結局参加した準備の甲斐あって、穏やかな金色の光流れるあたたかなクリスマスの喫茶店になっていた。
金銀に輝く、クリスマスツリーのオーナメント。
店中を巡る、華やかなリボンの色。
そして、ちょっと古いけどボリュームを下げて、ワムの『ラストクリスマス』が流れている。これも、うちの喫茶店の雰囲気に合わせての大道寺センパイの贈りものだ。今夜限りの借りものではあるけれど、ここまで思いやってくれるセンパイの気持ちは、素直に嬉しく感じる。
……でも。さっきから店の片隅で、いらない視線と野次馬としか思えないスマイルを送り続けている人達が、約二名。
『はぁ……何でこんな時に限って』
さっきから、胸が緊張で爆発しそうになっているのに加えて、なぜか背中がチクチクすると思ったら、ウチのバカ親二人のせいだった。あ~、もうバカって言っちゃっていいよねっ?!
(お母さんっ! お父さんっ! 何でいるのっ)
(何で、ってな。美幸)
(そうよね、康司さん。私達はここの店主店員なのよ?)
しらばっくれないでよ。お母さんは違うでしょっ? 店のエプロン付けてはいるけど、期間限定の『臨時』店員!
(それに。わざわざ、今『休業日』の札出して人払いは完璧にしてやったんだぞ)
(感謝されこそすれ、こそこそ文句をぶつけられる覚えはないわ)
うぐ……今度は恩を売り込むつもりっ?
私は、厄介な両親の重過ぎる善意をひしひしと感じながら、向かいの席の上島さえ恥ずかしさで直視できないでいた。
店の中に、私達四人以外の人はいない。静まり返った聖夜の空気の中にただ、かすれがかった優しいメロディーが響いている。
「何だ? 鍵和田、どうかしたのか?」
その一言にさえ心臓がビクンと飛び上がる。落ち着けようとして、今日もお父さんの出してくれた特製カフェモカを一口飲み込む。モカアートのクリスマスツリーが頼りなく歪んでいる。
「な、何でもないから……ってそれよりもそれよりも!」
「だから態度がいちいち変なんだって……。ま、どうしたんだ?」
「今日、大丈夫だったの? クリスマス当日なのにこんな風に家抜け出して来て」
「だから、それもこれで六回目だって! ウチの家族はオールオッケー、鍵和田の家の喫茶店に呼ばれたから、って言ったら喜んで送り出された」
上島は首をかしげる。私からすればまるでその真意を悟っていなくて、だから何にも知らない上島が気楽そうでうらやましくもあるし、私は上島家にもそういう対象だと見られているんだって考えると顔から火が出る。
私は恥ずかしくて恥ずかしくて、椅子の上で膝を揃えて小さくなっていた。それこそ消えちゃいたいよ、って心の中で叫んでる。多分上島家の人達も、ウチのお母さんお父さんと同じ思惑を抱いてる。
「そういや、あれまだ飾っててくれてたんだな」
「え……あ、あれって」
「あれだよ。そこの窓に置いてある、スノーグローブ」
上島が視線を向ける先には、白い雪を中に散らす水の球があった。これがスノーグローブ。私にとっては上島からの唯一のプレゼント品だった。去年のクリスマス、上島が私に、
『いつも世話になってるから。これでお礼になんのかな』
店で飾ってくれればいいからさ、と少しはにかみぎみに渡してくれたもの。シンプルなデザインで、丸い赤のオーナメントがついただけのミニツリーの梢に、白い服の天使が角笛を吹いている。それだけのものだった。
「やっぱり、地味だったかなぁ? でもこういう渋めの喫茶店にはああいうスッキリした見てくれのが合うと思ったんだけど」
「合ってるよ! バッチリ……だから、置いていて、いい」
私の言葉は尻すぼみになって、最後の方では自分でも何を言っているのか呟いているのか、分からなかった。
やっぱり、私には無理だよ。
上島は沈黙の気まずさが苦手でしゃべり立てるけど、一方で私がその沈黙を作っている。相槌打つぐらいしか、できなかった。
上島がいる、っていうことを塵ぐらいも意識していなかった今までには、もう戻れない。エプロンの裾をきつく握り締める。そのそばにあるポケットは、私の思いが詰まったあるものでふくれている。
大道寺センパイにも、お母さんにもお父さんにも、あんなに励ましてもらったのにまた、言えないのかな……。
私はいつの間にかうつむいて、もうそこから自分では、身動きが取れなかった。
それを。
「あのね、上島クン! 私達ちょ~っと抜けるから」
聞き慣れた声が、固まった空気をごくソフトに打ち壊す。私は耳を疑った。
「そろそろなのよ、めぐちゃんがど~おしても二人っきりになりたいって言ってる時間が。何があるかは知らないけど? 詳細はめぐちゃんに聞いてね、私達はお邪魔することにするわ」
その後に、自分の記憶を疑った。
え?
え、言ってないよ?
そんなこと言ってないよっ?
言ってないよ、聞いてないよ、そんなこと聞いてないよー……!!
私の、声なき否定が届くかというとその答えは『No』。妙にきらやかな笑みを貼り付けて、お母さんとお父さんは手を振りながら奥に引っ込んだ。見事に、動きが芝居がかってる。
「「…………」」
ほんの、三十秒もない間の出来事だった。後に残されるのは、状況をただ受け入れ切れずにぼんやりしてる上島と、石になって崩れ去った私。
「行っちゃったな」
「……うん」
どうしろって言うのよぉ!
私は沸騰中アツアツの薬缶さながらに、もうどこかから大量の湯気をふいていた。間違いない。どこからか湯気出てる! それでなきゃこんなに顔、熱くないもん!
何にしても、私達は二人、喫茶店・窓の中に取り残された。
「おばさん、何のつもりだろ」
「さ、さ、さ、さ」
さぁね、と言うつもりだったのに。言葉が声になってもいなければ、動けば必ずロボットになるくらい、私の緊張は最高潮に達した。
見詰め合う、瞳と瞳。
部屋の中に、痛いくらいに聞こえる鼓動の音。
私の手には――ピンクで揃えた、リボンと袋でラッピングしてある――プレゼント。
もう、どうなってもいいっ!!
「あ、あのね、上島」
「ん?」
視界がぐるぐる回ってそうなくらい、熱さで目がうるむ。
無理、という思いも、確かにあったけど――私は、オーバーヒート寸前。
ガマン、できないよ。
「……好き?」
「………………えっ?」
「だから、だから、だから……この店のことっ!」
「は?」
「だからっ! 何度も言わせないでよ……好き、でしょ? この」
「窓?」
「う、うん」
……しくじった?
私は自分で、自分の口から出ている緊張任せの声が信じられない。
でも。
「あ~、何だよ。そういうことか。だったら好きだぜ? 気に入ってる」
「そ、そう……?」
「あぁ。コーヒー安いし、ウマいし、勉強から暇つぶしまで何でもできるし。何よりツケが利く」
「うっ!? う、う……ツ、ツケは利かにゃいっ!」
「うおっ? ど、どうした鍵和田、ってイタタ、殴って来るなって」
私は……この瞬間、自分を締め付けていたたがが外れた。利かにゃい! と口走るのも、どうかしてる証拠。
その代わり、蒸気が吹き出し切って、上島に食ってかかる力が抜けると――私は上島の襟元にしがみついて、見上げる格好になっていた。
センパイに告白して玉砕して来た帰りだからだろうけど、いつもの制服姿をしていた上島を――ちょっぴり、かっこいいと思ったのは――あの日がまだ、忘れられないせいなんだろうか。それとも、クリスマスの魔法、みたいなものがあるせいなんだろうか。
今夜だけ、今夜だけはそんなことがあってもいい、そう私は思ってみる。
「……鍵和田。どうしたよ? 何か、今日変だぞ」
ハッとして、上島から飛び退く。
何でもないっ、っていう空威張りの声。それから同時に『私、何考えてたんだろ』っていう心の声。
湯気の残りがまだ頭に立ち上ぼっている私は、手の中に握り締めて準備していたあるものを突き出した。ほんとに私は、オーバーヒートしちゃったらしい。
「……今日は、これ受け取ってもらうだけだから」
「え? 何これ」
「だ、か、ら! 早く受け取ってっ! 開けたら分かるから」
「あれ、スノーグローブ」
「透かして見ないでっ。い、一応、上島がくれたのと同じ種類のやつだからね。大変だったんだよ、探すの! ……それ、去年のお礼だからね」
その時、私は初めて上島のことを正面から向き合って見た。呆気に取られて、何も言えない口が半開きの表情は……少し、かっこわるかったけど、もう絶対忘れない。
息を少し吸って、終わりまで言い切る。
「……それと。これからも、またここに来てね、っていう意味のプレゼントだから」
~・~・~
「恵? おーい、恵ー……」
お父さん? もういいよ。ほっといてくれればいいから。
「まさか……めぐちゃん。告白しないで終わったの?」
お母さんもいいよ。私に元気をくれたのは感謝してる。『ありがとう』って一言が口にするととても嬉しく思う。
けれども今は、テーブルに突っ伏しているしか撃沈状態を立て直す、すべが……なかった。
「どうしてかしら……めぐちゃん、そんなに自信なかったの?」
「あったよそれは! でも」
「でも?」
……言葉に詰まった私は、テーブルの冷たい板の上に顔を乗せてみる。そっと。私の顔がどれくらい火照っていたかが肌で伝わって来る。
だけどそれで落ち着けるかって言うと、それは到底無理な相談で。私は少し視線を二人に向けてみても、すぐ組んだ腕の中にうずめることになる。
「恥ずかしい、っていうかどうしても……打ち明け、られなかった」
恥ずかしがっている素振りとしか思えない。最後の最後まで、肝心なことを上手く言い出せない性格は直らなかった。天板に押し付けてるほっぺたを、不満そうにふくらます。
私は変わらなかった。
周りの人にどう元気付けられても。
せっかく支えてもらっているのを生かせなくて、罪悪感に似た後ろめたさも感じずにはいられなかった。
でもどこか私は、今までとは違うという点を一つ確信している。
好きな上島に向かって、ひそかな一歩を踏み出せる力だ。
今までいくら思いが通じないからって、いじけてふさぎ込んでいた自分がバカみたいに思える――詰まる所、思いが通じないからといらついていたのも、自分が反省して努力しないのが悪かったんだ。それも、教えてもらったこと。
新しくみんなから勇気をもらった気がする。それが、私の中でのたった一つの大事な変化。
「結局。いつまで経っても、めぐちゃんはめぐちゃんね」
窓辺のスノーグローブを指でつるりとなでながら、お母さんは窓の外に視線を送る。
上島は、ついさっき家に帰って行ったばかりで、逆に残っているのは店内にかすかに流れる『ラストクリスマス』。思いでの詰まったスノーグローブ。そして――いつしか曇り空のはざまから舞い降り出した、白いかけら。
「カズヒロ君とはそれじゃ、埒が明かないぞ? まぁ、恵がこんな純情娘である内は、もう少し待ってあげてもいいか」
お父さんは腕組みしながら。お母さんは窓辺からふとお父さんに寄り添って。
いつまで経ってもとか、純情娘とか文句は相変わらずだけど、お母さんもお父さんも私の大好きな両親には違いない。そして、その二人がこんなにあたたかく見守ってくれているんだから、多分それはもう確信に近い。
上島への思いでいっぱいの胸の中は、知らず知らずの内にほどよくあたたかになっている。久々に、微笑み返しというものをしてみた。
「……ありがとっ」
上島だって、きっと待っていてくれる。
私が上島への思いを忘れていなければ。
大道寺センパイを超えるくらいの、魅力的な女性になることができたなら。
きっと。上島はきっと。
「でも絶対、上島クンとめぐちゃんは結ばれるわね」
「確かにな」
一騒動が終わった後、お母さんとお父さんはそう嬉しげに笑い交わしていた。
「もう、お父さんもお母さんも話進め過ぎっ」
「どうかしらね」
本当にそうなるかもよ? と言うその笑顔は意味深だった。何か二人だけの、秘密の情報でも共有しているような素振りで、私は当然そこを、
「んじゃどうして? そう言えるの」
と尋ねてみる、けれども。
「それは、この喫茶店の魔法が働いているからだよ」
……からかわれてるの、私? ウィンク一つ付け足して、そんな意味不明な返事を伝えるお父さんはあからさまにうさん臭い。
頭の中に?マークが点滅し続けている私のそばで、お母さんはさも楽しそうに笑いをこらえている。
私だけ、何にも理解できていないのは気になって気になってしょうがない。右に左に首をかしげてみても、さっぱりだ。
「めぐちゃんは、この喫茶店がどうして『窓』って名前なのか、知ってる?」
知る訳がない。『窓』ができたのは、私が産まれるよりずっと前、私に問い掛けてる当のお母さんでさえ小学生ぐらいの時、って聞いている。
でも、『窓』って言われると何となく、あの一番奥の席に視線を注ぐ私がいる。スノーグローブが外の光を吸い込んで、深い夜の色を真球の中に見せている。
「ふふっ、実はね。ここって『窓』になる前も喫茶店だったんだけど、たった一席! カップルが座ると必ず結ばれるっていう噂の席があったの」
『必ず結ばれる』? 『噂の席』?
もしかして、とひらめいた私が二人を振り向くと、二人ともに笑顔でうなずいた。
「そうだ、今まで恵とカズヒロ君が使っていた、その一番奥窓際の席だよ」
――この席に座っていることは、そんなにすごいことだったのかな。改めて私は唖然とする。
まだ、テーブルの上には空のカップが二つ残っている。私と上島の分。
『運命』というものがもしあるとすれば、この小さなテーブル席の上にあるに違いない。私はそっと、天板をなでる。よく磨き込まれたせいかすべすべとして、ちょっと古臭い感じもする。幸福の色、とでも言うのかもしれない。
私は、ここで上島と会って、そしてこれからを歩き出すんだろうか。とまで言うのは、大袈裟だけど。不思議な気持ちだった。
惰性のように、私は窓辺に視線を注ぐ。可愛らしいスノーグローブが、外に降り出した雪をその硝子の表面に映し出す。クリスマスの聖なる夜を彩る、白い粉雪を。