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Gift!  作者: 上宮穂高
2/3

2.

  

  

 その夜、私は考えた。

 布団に深く潜って、うつぶせになって。

 お風呂から上がってしばらく経つのに、まだ体はあたたかだった。いつも、入ってすぐは冷えてるベッドの上なのに。

『自分のキモチを大切に……かぁ……』

私はそう、センパイの言葉を頭の中で繰り返してだけいた。

 部屋の中は、もう夜中の零時を回っていてまるで音も立たない。遠く、車の音が気のせいのように微かに聞こえて来る。そんな晩だった。

『キモチを……大切に……か……』

小さなベッドライトの、オレンジの色味がかった明かりをぼうっとして眺める。笠から洩れる明かりが、暗い部屋の中で私の周りだけを柔らかい色に染めた。

  

  

 胸の中は大分スッキリした。

 けどその分、いきなりスッキリして落ち着かない感じもする。整理し切れなかった残りの何かが、頭の中を緩やかに巡っている。

『…………久し振り、だったな……』

私はあの『あたたかさ』をふと思い出した。あの日に初めて知った、あたたかい感覚。最近は……まるで忘れていた。

 少し、体を起こしてライトのビーズ紐を引く。

『………………寝よ』

 明かりが消えると、床から天井までまた闇が広がる。私はナイトキャップがずれないように布団に更に潜る。体を丸めて。

 やっぱり、まだ冬の寒さは身にしみる。目を閉じた。眠気はまだ、不思議に出て来ないけど。今夜は中々眠れそうにない。

 窓のカーテンの隙間から、消灯後あとの星の光が降って来る。

  

  

   〜・〜・〜

  

  

 それからの数日。

 私は、落ち着いたようで落ち着いていないようで、結局どこか落ち着かない状況のまま時間を過ごした。

 だって、学校とか『窓』とかにはやっぱり上島がいる。

 やっぱり、そこには上島がいる。

 思い返すそれだけで私は顔が熱くなるようになった。電話の次の日は幸い(休み時間中、友達に顔をはたかれて目を醒まされたぐらいで)何ともなかったけど。

『何だかなぁ。恵、お前即席のゆでダコみたいになってるぞ』

というのは、たまたま私がぼんやりしてる所を見掛けたお父さんの評。

 センパイ……すみません、何だかんだ言っても落ち着きようがないです……。

「……ーい……おーい……おーい、鍵和田ー、どーしたー? 鍵和田ー?」

「ぇ……ふぇ、あっ! か、上島っ!?」

 とどのつまり、モヤモヤは悪化していた。

 ある時なんて。

「おうっ!? な、何だよいきなり? ビックリさせんな」

「上島こそ、な、何なのっ?! ビックリしたっていうのは、わ……私のセリフっ」

「いや……もう昼休み半分過ぎるんだぜ? 鍵和田、昼休みに入ってからずっとそのまんまだからさ。席でボケ〜ッとしてて。あれ? 昼休み入る前からだったっけか」

おにぎり片手の上島に、声を掛けられる。

 そしてその時点で、私はようやく気付いた。バッと腕時計を見返す…………二十分オーバー。

「あ、あああぁーっ!? 私のコロッケパンっ!」

それは、昼ご飯・購買利用派の私にとっては致命傷だった……というかデッドフラグ。

 絶叫しても空しい結果になるのは見え見えだけど、それでもいい。それでもいい、それでもいいっ! カバンから財布を引っこ抜いてスタートダッシュ。

「鍵和田ぁ、もう購買スッカラカンだと思うぞ〜」

「う、う、ぅ……うるさいっ! 弁当持参派に言われたくないッ」

私は十分赤くなった顔で怒鳴って。返事のシメにピシャッと教室のドアを閉めて走って行った。

  

  

 ……結果報告、

『購買にはパサパサのコッペパン一つ』

『上島には「それみろ」ってからかわれた』

『上島に怒鳴ってたのをみんなに「またホラ、痴話ゲンカ」ってまたからかわれた』

散々じゃん……。

 しかもこの日は、その話がどうしてどうなったのか知らないけど大道寺センパイの耳に入っていた。

『結局それをセンパイにからかわれた』

……グランドスラム。

 私は気付けば、ドキドキするキモチとダウナーな気分とを一遍に味わうっていう、体験したこともない出来事の連続の中で毎日を過ごしていた。

『うぅ……カンベンしてよ……』

で、その数日後の大体の本音がコレ。

 いつの間にかあの電話の日から一週間ぐらい経っていたけど、まだ胸は鼓動をやめない。まるでふやけちゃいそう。

 でも一週間ももったっていうのは、そんなに悪い気分ばかりでもなかったからだった、と思う。

「恵ちゃん……自分のキモチは分かってるのよね」

そう、苦笑い半分呆れ顔半分なのは大道寺センパイ。

「すみません、すみません……落ち着け、なくって……」

「もう、謝るんだったら自分に謝りなさいっ。まったく……恵ちゃんがこれ程のウブっ子大賞だったとはね」

「た、大賞ってなんですかぁっ!」

「そういうツッコめる元気はあるのにね」

指摘されて、私は口をつぐむしかなくなる。



「……でも。前よりは楽しくなったんじゃない? 毎日が」

それで、そう言われると……ゆでダコみたいな顔でうなずくしかない。センパイの言うことは、まぎれもない事実だったのだ。

「それなら一歩前進ッ!」

ってセンパイは笑顔になって、私の頭をクシャクシャと撫でてくれる。

 ――実際、私はその通り楽しかった。これが、さっき大体って言った所の残りの本音。

 いくらみんなや、上島にからかわれたって前より賑やかになった気がするのは気のせいじゃないと思う。

 ううん、絶対気のせいじゃない。

 ついでに……上島が笑ってくれるのが、増えたし。あくまでついでだけど。

 あの、二カッ、と歯を見せて笑うスッキリした笑顔を見ていると……胸の辺りがむずかゆくなるから、不思議。

  

  

 でも実は、もっと言うと――もう一つ嬉しかったことがある。今までの成果、って言ったらいいんだろうか。


 忘れられない、上島の笑顔。

 確かに感じ始めた、自分のキモチ。



 それが私にとってのキーワードになっていた。

 ふとした瞬間に――教室や部活での時間、依然としてチャランポランの上島に、怒鳴ったり何だりしている時、そんな時間に――時折フラッシュバックして来る、一つの記憶。

 前よりは、思い出すことが増えていた。

 上島と初めて出会った時のことだ。

  

  

   〜・〜・〜

  

  

 カランカランカラン!

 その日も、ドアベルの騒々しい音がしていたのを覚えている。確か、やっぱり冬だった。冷たい曇りの日だった。

『いらっしゃい』

『いらっしゃいませ!』

お父さんと私は、いつも通りカウンターからお決まりの挨拶をする。カップを磨きながら。その日もその日で、お客さんの入りはちょっと残念な状態。それで、やっと働ける、と私は意気込んだ。

 でも、予想は見事にひっくり返されることになる。

『……!……!……』

黒いコート姿が、目の前をよぎって店の一番奥の席まで乱暴に歩いて行く。椅子に体を投げる、大きな音に私は少し縮み上がった。お父さんも同じく咄嗟に口を閉じる。

 私達の視線は、店の奥に飛び込んで来て動かないその背中に注がれていた。

(な、何っ? 何が起こってるの!?)

(さぁ……何だかな、深刻な様子には違いない)

たまに、こういうこともあるんだってお父さんはささやいて、流しの方に急ぐ。私は、未だに飛び上がった心臓を抑え切れないまま、カウンターの隅でじっとしていた。

 どうしよう、乱暴なお客さんだったら。

 ううん、乱暴でなくても、危ない人かもしれない! 静かにしてるってことは、誰かに追われて来たのかも!

 でもそれはない、ないよねっ? こんな小さな町で追われるような危険な人、なんて。

 その前にあんな風に突然飛び込んで来たんだから、何か何か、深~い事情があるのかも……。

(恵、恵)

後ろから肩を小突かれて気付く。お父さんが、私のお盆を持って立っている。その上には、お冷や。

 私? と恐る恐る自分を指差してみると、一回きり、首が縦に振られる。

 え……どうして?

(ダ、ダ、ダメだよダメ! 無理だよっ、私)

(それは……分かるよ、こんな来店はあまりないから)

ならなおさらだよっ!

 思いっ切り、首を横に振るけれどもそれに対してお父さんは例の席を指差す。

(あの学生鞄。恵の所のじゃないか)

言われて、そっと視線を向けてみるとそうだった。

 薄い茶色の学生鞄。確かに、私が毎日見ていた中学校の指定鞄だった。

(それに、こういうことはたまにあるんだ。たまにね。だから、いい勉強になる)

ウェイトレスが待たせちゃ悪いだろ、とお父さんは神妙な表情で私を送り出す。

 ……って言われてもっ!

 はっきり言うと、緊張していただけじゃなくてちょっぴり怖じ気付いてもいた。

 確かに、うちの中学校の生徒、っていう少しは危険じゃない人だとは分かった。分かったよ。

 けどどうしても! 席に近付く一歩一歩が震えてしょうがない。カウンター前を横切ったいきなりの後ろ姿が、頭から離れない。

 仕方なく、おっかなびっくりで唾を飲み込んで、言ってみる。

「あの……お冷や、お持ちしました」

と同時に、未だにテーブルに向かって動かないその人のことを、ちょっと覗き込む。

 気付いたのは、その時だった。

(……震えて、る?)

小刻みに、震えるコートのままの背中。

 テーブルに乗せられた両手が、固く握られているのがチラッと見えた。

 私は、足が止まった。

  

  

 ――泣いて、るの?

  

  

 それに、近くから見たおかげで思い出した。

 コートの、襟の辺りから覗いている濃緑のブレザーは、やっぱりウチの中学校のヤツ。

 それにあのツンツンした髪型……見覚えが、ある。

『か、上島……君?』

私の小さな問い掛けに、沈んでいたその後ろ姿はすぐ反応した。

『…………鍵、和田?』

――そこにいたのは、私のクラスメイトの上島カズヒロだった。

  

  

『げっ、か、鍵和田あぁっ? お、お前どうしてこんな所にっ』

『えっ、だってここ……私んちがやってる喫茶店……だから』

上島は、袖で目の辺りをひたすらこすりながら驚いている。

『そ、そ、それにしてもっ!? だ、ど、どうしてだ、だから……』

『え……だから?』

『だからな……っ、いや、何でもねぇよ!』

上島は、性格に似合わず顔を真っ赤にして、コートのボタンを慌てて外し出した。

 私は、どう反応すればいいか分からないでいる。

 そこにいたのは、いつもは見ることのなかった上島だった。何があったのかは知らなかったけど、戸惑いを隠せなくて――言葉も出せずに立っていた。

 相手が上島だって分かるなり余計緊張で動けない。この分なら、知らない人の方がまだマシだったかもしれなかった。危ない人だったら、それはそれでマシじゃないけど。

 テーブルのそばで、小さくなって黙り込んでいる。

 気まずい時間が流れる。

『……んじゃブラックコーヒー』

一言。ハッとして顔を上げると、上島は怒っているような、悲しんでるような、決まり悪そうな、恐い表情をして私をねめつけていた。

『コー、ヒー?』

『コーヒー。思いっきし苦いヤツで』

ここ、喫茶店なんだろって言ったっきり、上島はバツが悪そうに座り直して背中を向ける。

 私は、う、うん、分かった、って生返事をするとカウンターの方に目をやった。それはお父さんにも聞こえていたらしくて、私が見ると何も言わずにうなずいた。

 また、私はすることがなくなる。仕方なく、上島をチラチラと目で気にしながら、同じテーブル席に腰を下ろす。もちろん、気付かれないようにほとんどうつむきっぱなしだけど。

 上島はただ、こっちに背中を向けて黙っていた。震えるのはやんだけど、何か不安げなその背中が、私は気になってしょうがなかった。

  

  

『……鍵和田ってさ』

『ふぇっ? え、な、何?』

驚いて上島を見ると、上島は頭の後ろで手を組んで椅子の背にもたれていた。

『こうして話すのって始めてだよな』

『えっ!? あ、あ〜、ウン、そうだよね、中々話さない、よね』

言葉の合間、また見る。

 上島は、私の方には目を向けずに天井のどこかを眺めていた。そして、それきり話さなくなった。

 私はますます困り果てた。確かに、上島と私は同級生だった。2年A組。席順も五十音順だから、割合近かった。

(……確かに……そうだよね)

でも話しはしなかった。日頃あまり接しもしていなかったと思う。いくつかの机を隔てて、上島は男子と、私は女子と交わっていて。極端に言うと世界が違かった。

 私の緊張の原因の一つはそこにある。胸が縛り付けられたように痛かった。

『……ね、今日はどうしたの?』

……だから、いきなり地雷を踏んでしまったのかもしれない。というよりその緊張のせいだ。

『今日?』

上島はさっきの姿勢のまま、面食らった顔をこっちに向けている。

 失敗したぁ!!

 私は心の奥底でムンクの叫びよろしく叫んでいた。

  

 何言ってんの私っ?!

 緊張してるからってよりによってその質問!

『ホ、ホ、ホラこんなとこあまり中学生は来ないでしょ!? だ、だからだから、何かあったのかなってね?』

余計失敗したぁ!!

 上島君が一番触れてほしくない話題じゃないソコ!

  

 私は手振りもできない手をフラフラさせて、必死に上手い言葉を考えようとするけど無論! 混乱状態の脳内にはそんなものが都合よく閃くはずもなくて、ただ酸素不足の金魚のように口をパクパクさせていた。

  

 ダメだよ……ダメダメだよ私。上島君の目の前で、面と向かってあんなことを……。

  

 それが頭の中でぐるぐると渦巻いていて、私は上島さえろくに見れていなかった。

 けど。

『……あ〜、やっぱり分かっちゃってたか?』

そんな、あっけらかんとした声。

『いや〜、実はな? 今さっきちょっとある人に告って来たとこでさ』

そして、底抜けな明るい笑い顔。

『え、えっ、告って、って告白っ!?』

『そーなんだよ。一つ上の先輩でさ、恥ずかしいけど片思いってヤツ、かな。ホラ、もう三年は卒業だろ? だから、もう後がねぇ! ってヤケのヤンパチで行ったらさ、見事玉砕。いや〜、当たって砕けたね! 砕けたけどせーせーしたって。あんな鼻の高いヤツはやっぱり性に合わない、って言うかなぁ? 第一、大体あっちがな……』

その時、上島は私が聞いたことがないくらいの勢いで喋り出した。

 失敗談、のつもりだろうけど、ほとんどは……相手への不満。チキショー、っていう言葉も混じっていた。

  

  

 ――上島……君?

  

  

 今度はこっちが、キョトンとする番だった。

  

  

 上島君?

 いきなり、どうした……の? 何でそんなに喋ってるの? フラれた、んでしょ?

 何でそんな、笑い顔するの?

 上島……君?

  

  

 ――私は、上島の笑顔を見て少しも安心する気持ちが湧かなかった。

 逆に、分かっちゃってたか? って返されたその瞬間、周りに流れる時間がプツンと途切れる思いがした。目の前の景色が、上島も含めてだんだん色を失って行った。

  

  

 わ、私って……バカ?

  

 バカだよね?

 上島君に、あんなこと言うなんて。

 だから上島君はこんなに喋ってるんだよね? いつもの、調子で。誤魔化して……いたいから。

 そのきっかけ、きっかけを作ったのは――誰?

 誰?

 私、だよね?

 な、何やってんだろ? 私、私何やってんだろ……。

  

  

 さっきまで無駄に熱かった心臓が、急にしぼんで冷たくなる。寒くなり出す。丁度、その時窓の外を吹き抜けていた木枯らしのように。

 それで私は、うつむいたままだった。

 つくづく、私ってバカだ。

 この場の空気とか、上島の気持ちとか何も考えてない――そう、心で繰り返す。何度も何度も。

 その間のサイフォンの音が、嫌に長く続く気がした。それに、まだ上島は喋り続けていた。

  

 聞きたくないよ……上島君。そんな、無理に喋ってるのなんて、ちっとも聞きたくないよ……。

  

 なのに上島は、やめない。これが、上島なりの忘れ方だった。気の紛らし方だった。

 上島は、クラスではいつだって男子の輪の中心にいる。賑やかなのが人一倍好きなヤツで、何があっても気にせずにバカみたいな底抜けのスマイルで話しまくる。何があっても。

 それがいつも。

 その時も、表面上じゃ変わりはない。けど、表情でムリしている。隠し切れない影があった。でも人のこと考えて、自分は明るく振る舞ってる。

 そう喋り続ける上島から離れたくて、それからコーヒーを受け取ろうとして、カウンターに行く。私がいつもの銀盆を差し出すと、

『……はい、コーヒー一つ。ブラック、とびきり濃いの』

ってお父さんが置く。

 ありがとうございまーす、って声が後ろから聞こえる。でも、それだけじゃなくて。

(後、もう一つオマケ)

……タップリ。ミルク色のホイップクリームがトッピングされたコーヒー。

 その時もう一つ盆に乗せられたのは、カフェモカだった。

(……お父……さん?)

私は上手く声が出なかった。私の好物の、『窓』特製カフェモカ。それを、渡されたまままじまじと見る。

(……頑張るんだぞ)

顔を上げると、お父さんのささやかなスマイルがあった。私は、もう一度銀盆の上を視線を落とす。

 ブラックコーヒーとカフェモカ。黒と白のコーヒーが、二つ並んで同じように豊かな湯気を立てている。

(……分かったら、行っといで)

お父さんがウィンクする。私は何も言えずうなずいただけで、カウンターから出た。

  

  

 悲しさと戸惑いが、混じって胸に立ち込める。

 『分かったら』――そう言われたけど私は、分かったようで実際はあまり分からなくて。

 本当の所は『分からない』。でも、漠然とした何かが私を動かそうとしているのは、確かに感じられていた。

『お、来た来た、コーヒーコーヒー』

席で待つ上島は、未だにさっきの表情のまま。もう……いいよ。

『って、コーヒーもう一杯あるけど? カフェモカ、か?』

『……私の』

『ふーん』

お待たせしました、って私は常套句を呟いて、二つのカップを置く。

『コーヒー、ブラックです』

『おー、鍵和田似合ってんじゃん! 流っ石喫茶店の看板娘』

『……お世辞言っても何も出ないよ』

そうかなぁ、真面目に似合うけどな、って言う上島を私は見て見ぬふりをする。

 そう言ってくれたって何も……何も出ないんだから。

 そんじゃ、いただきます! なんて言って上島は、一口、コーヒーを飲む。何だか知らないけど目を閉じて。

 でも少しして、カッと見開く。

『うまっ! うまいじゃんここのコーヒー!』

一言目が、それ。

『あ〜、うまっ! 何で今までここ来なかったんだろ? マスターさん、コーヒーありがとうございます!』

上島がそう言うと、お父さんはゆすいだサイフォンを拭きながら、笑顔で軽く頭を下げた。

『……そんなに?』

『ああ、家のよりかは断然! 安いフリーズドライよりは……ちょっと値は張るけど、それぐらいの価値がある! この深みとかコクとか、豆の香りとかも、それがまたな……』

……それを聞いて。私は、ちょっと驚いてカフェモカをすすった。ほっぺたの辺りが、湯気のせいかほんのりあったかい。

  

 上島君……嬉しそう。  

 そう感じた。確かに、さっきより機嫌よさそうに。

 褪せて消えていた嬉しそうな輝きが、また上島の笑顔の辺りに戻っていた。

  

  

『……また、来ればいいよ』

――それを見た、せいかもしれない。私は思わず口を開いていた。

『ん?』

『また、来ればいいんだよ。ここに。いくらでもコーヒー、ごちそうしてあげるから』

自然に、自分でも何を言ってるかよく分からないけれど、自然に。

『……鍵和田?』

呟くようだったけど。確かに一言一言を、上島に向けて口に出した。

『気に……入ったんでしょ。ここのコーヒー。なら……この先も……もし何か、辛いことがあったら! 愚痴って行けばいいんだよ、聞いて、あげるし……ここで……。だから……その……』

外は――雲が晴れたみたいで、私と上島にも日の光りがさして来る。

『また……来てね?』

その時。

 その時だけ、私はチラッと上島を見た。うつむきっ放しで、目線だけをそっと向けて。上島は、少し呆気に取られた表情……だったけど。

『ああ、当ったり前だって! サンキューなっ、そう言ってくれてすんげー助かるわ』

すぐ、二カッ、と歯を見せて笑う。

 日に照らされているせいなのか、上島の笑顔はとても眩しかった。

 影なんてなかった。

  

  

  

  

 ――この、上島が笑ってくれた瞬間に。

 私の胸は、トクン、と少しあたたかに鼓動し出した。

 それは、生まれて初めての経験。そんな風に感謝されたり、心臓が鳴ったりするなんて、今までなかったこと。

 だからなのかもしれない。その時私は……不覚にも、上島に恋してしまったらしい。

  

  

   〜・〜・〜

  

  

 ……そんな随分前のことがふと、頭の奥にチラリと覗いて見える。

 成果、って言うより変化かもしれない。

 上島のことばっかり、考えているからなんだろな。最近は昔より上島、上島、って上島のことばっかり。

 私、どうかしちゃったのかも。そう感じるそばで、誰にも見えない所で私はもどかしいくらい嬉しかった。

「……鍵和田? どうかしたのか」

「え、あ、ううん!? 何でもないって!」

「そうかぁ、顔がニヤけてたんだぜ」

「うっ……うるさいうるさいっ! 何でもないのっ!」

「わ、だからお盆はやめろってお盆は!」

……もう、あれからどれくらい経ったんだろう。あれが中二の時の出来事だから、もう四年ぐらいの付き合いにはなる。

 四年。長いようで意外と短かった。その中で、上島と過ごした時間は……多分その四年のほとんどかもしれない。こうして、いつも私は上島と『窓』で時間を過ごしていたんだから。

「鍵和田、もう一杯おかわり!」

「あのね……これで何杯目? コーヒーの飲み過ぎって胃に響くんだってよ」

「俺は胃は丈夫だから。ってことでな、これもツケで」

「まぁたツケ?! 上島ぁ〜、いくらここの馴染みだからって許されていいことと許されないことがね……」

「だ、だからお盆はやめろって! シャレになんないから! 第一次の日には払ってるだろっ」

「問答無用! 金があるなら今すぐ取って来いっ!」

ガツン!

 上島のバカは今日もまたコレを食らった、か。

 今じゃこの通り、上島はツケも利く常連客になった。今日も新たなターゲットに向けての一人対策会議をしていて。その時はそれをお開きにした後、丁度塾の課題をしていた所だった。

 お父さんは、そのそばで『備品はだからよしてほしいんだけどなぁ……』なんて苦笑いしながら準備する。

 お父さんの、上島からの呼ばれ方も今は『マスターさん』から変わって『おじさん』になった。私だって……って私は変わってないか。でも今私は、上島を堅苦しい君付けで呼んでいない。

「んっとにもう……んじゃいいよ。もう明日で」

「え? マジでいいのか?」

「きちんと払ってはもらうからね? もう、結構銀盆アタックしたからすっきりしたし」

「何だよ……俺って殴られ損、」

「そこ~。何か言ったかしら、今?」

「いや、何でもないっス、何も言ってませんっ」

私はもっと、上島に近い存在になりたかった。あの四年前の冬の日、上島に笑いかけてもらった時の……あの胸の『あたたかさ』を感じていたかった。

「でも、それにしても。何か悪いな、いつもいつも」

「いつもいつもだから、こっちももう慣れっこなのっ」

私は椅子の背にもたれ掛かって言う。

 今日も疲れた。大方目の前にいるコイツのせいだけど。

 横を見ると、窓の外で空が夕暮れの景色に変わっていた。暮れ時の薄紅と、夜の始まりの薄青がその境目で解け合って広がっている。もう暗くなりかけている。

 私は、店でヒートアップした胸を冷ますようにそれを眺めていた。

「何だよ、疲れたのか」

「あったり前です、これでも接客業の端くれですっ」

上島といれれば、これくらい何でもない……なんて、そんなことは言えないか。

 私の胸は、まだ火照ったようになっている。

 いくら冷ましても……こればっかりは冷めないから、もどかしい。

  

  


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