表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Gift!  作者: 上宮穂高
1/3

1.



 2009ギフト企画参加作品です。




  

  

「はぁ…………」

私は、何度目かの溜息をついた。

 店の中は見事なぐらいにガランガラン。さっき、唯一のお客さんが座っていた席だって綺麗に元に戻しておいたから、店内の風景に全く人気は残っていない。まるで、寂しい風景画でも見ているよう。

 とどのつまり、こんなに客がいないんじゃ店の手伝いの私が働くなんてこともない。

「……、はぁ……」

要するに、することがなくてヒマ、っていう意味の溜息だ。

 カウンター脇の壁に寄り掛かったまま、壁の時計を恨めしげに見上げてみる。時計の長針は『6』の数字を大分過ぎている。

 もう、来てもおかしくないはずなのにな。

「ヤケにつまらなそうだな」

カウンターから、そんな声がする。

「当たり前でしょっ? かれこれ一時間もコレだよ」

声の主は、さっきからティーソーサーを拭いてばかりのお父さん。

 お父さんがここのマスターなんだから、もっと集客に気を使ってよっ、という心の声を込めてひと睨みしてみるけれど、ダメだった。まるで呑気だ。

「そう文句言うな、こんな商店街の隅の喫茶店じゃな」

そしてまた、ソーサーを取り替えて言う。

「そんなにつまらないなら、学校で部活なり何なりしてればいいんじゃないか」

「そ、それはダメっ!」

真っ先にその提案をつっぱねる。この質問になると決まって、反射的に否定してしまうのは私の癖になっていた。

「ダメなんだってば」

夕方、この喫茶店でこうして時間を過ごしているのは、私にとってはもう大事なお決まりごとみたいなもの。今更やめる気もない。

 ない、けれども。

「……理由は?」

そう返されると、言葉に詰まっちゃう。何も言えなくなって、不機嫌顔でおしまい。お父さんは、ヤレヤレってでも言いたげに肩をすくめる。

 もちろん、こうして暇を持て余してまで居続ける理由は、しっかりあるにはある。

 ……でも言えない。きっと言えない。こんな理由は。

 私は、そんなこんなでこの小一時間口を尖らしてばっかりいる。

 ここで、ここで待ってないとダメなのに。もう。

  

  

 今日も、商店街の隅っこのビルにある喫茶店『喫茶・窓』で私は夕暮れ時を過ごす。

 ここは私の家で、そして私の職場。まだお手伝い程度だけど。

 店主はお父さん。

 いつも通り、ジーンズに白シャツ姿で、海老茶のベストの上からデニム生地のエプロンを着てカウンターに立っている。

 私も私で、制服のブレザーとリボンタイだけ取って、お揃いのエプロン姿。真面目な喫茶店なんだから、キャピキャピしたウェイトレスさんの格好なんてしないよ。

 学校から帰って来たらパッパとこの格好に着替えて、髪もうなじで一つに結び直して。それでさぁ店へ、なんていう生活を私はかれこれ小学生ぐらいからしている。今私は高校二年生だから、もうキャリアは五年以上になるかな。

 こじんまりとした、それでいてシックでレトロな店の中には、お父さんが流すCDの曲が静かに聞こえている。

 古い洋楽。多分、私が生まれるより前の曲。たまには最近のポップスもかけるけど、いつもかかるジャンルはお父さんの趣味のものがほとんど。

 でも嫌いじゃない。その、どこかのんびりとして優雅で、しょっちゅうざらついている音を聞いてると、何故か落ち着く。

 私は溜息ついでに壁際で、目をつぶってそれをじっと聞いている。

 外は、買物客でにぎわってるんだろうな。気付けば、もう季節は十二月。商店街に、リースやイルミネーションで、赤白緑の三色があふれ始めている。クリスマスのざわめきが、聞こえて来る。

 でも、この店の中は別空間のように静か。単に、客もクリスマスの飾りもないだけなんだけど。

 コーヒー豆や紅茶葉の匂いが、そこへ仄かに染み付いて香って来る。

 これも昔からのお馴染みだけど、今日はいつもとは何か違う。何となく、寂しい。

 私は待ちくたびれて、ふと目を開ける。そしてそばの硝子窓の外を見た。

 冬は日が沈むのが早くて、窓の外の町並はもう真っ暗闇の中。通りの裏手に開いた窓の向こうには、冷たく澄んだ夜空と黙り込んでいる家並みがずっと続いている。

 私はそれを、手元に置いてあったスノーグローブをいじくりながらぼんやり眺めた。硝子の球の中に、白のかけらが音もなく降る。

 時計の針が、また一つカタンと進んだ。

 ……遅い。

 寒くないかな。

 ここまで来るのに。

  

  

「チキショーっ!!」

そんな、バカデカイ声が聞こえて来たのはそのすぐ後。噂をすれば。

 真鍮の鐘が急に、カランカランカラン! って目が醒めるぐらいの音で鳴り出して、私はちょっと驚いた。

「いらっしゃい」

「チキショーチキショーチキショーっ!! 何でダメなんだよ!?」

お父さんの言葉が掻き消えてるよ。何でそんなに騒ぐのかなぁ……。

 その、店に入って来たヤツは一番奥のテーブル席までズカズカと歩いて来る。まるで、私達のことなんて見ていないみたいに。多分、見えてなんていないんだろうけど。結局そのままの勢いで席に座り込む。

「なぁにがダメだったのかなぁ……キメ台詞が悪かったのか? いや、クラスのヤツラに聞いたりしたからな……」

 そして早速、腕を組みながらブツクサ呟いている。

「あ゛〜!! やっぱ格が違うか!? でも再アタックすればな……あ〜、どーしたものかッ!?」

近所メーワクだよ。毎度毎度、一人で騒いでるのも大概にしてよね。ホンット、仕方のないヤツなんだから。

「店の迷惑になる方はご退場いただきますっ」

私は取り出したお盆を振りかざして……ゴン!

「なっ!? あ、痛ってーっ!! 何で盆で叩くんだよ?!」

「店で五月蠅くする方にはご退場いただきますっ」

「怒るなよ! 第一、角で殴るなよ角で!」

問答無用っ! って私がもう一回振りかざすと、上島は『ちょ、ちょっとタンマ!! 暴力反対!!』ってイッパイイッパイの拒絶をする。

 それなら五月蠅くしないでよ、もう。

  

  

 今、自分の頭を押さえながら片手でコートのボタンを外しているこのバカは、上島かみしまっていう本物のバカ。ついでに私の同級生。

「痛ってーなしかし……頭腫れてんじゃないか?」

「それならケッコウ! コブ冷やすついでに頭も冷やして来てよ」

「ひっでーなソレ!? さっきやかましく入って来たのが悪いのか? それとも他に何かあんのか!?」

他に、って思い当たるんなら思い当たっただけ土下座してよ。

 髪の立ったボサボサ頭を押さえている上島を横目で睨んで、私はカウンターへ行く。

「今までがあり過ぎて忘れたってば」

背中越しにそう言って、咄嗟に棚から取り出して来た銀盆を元に戻す。

 私のこのアタックだって、上島のせいで磨きがかかっちゃったんだからね。勘弁してよ。

「……にしても、カズヒロ君叩くのに店の備品使うのはよしてほしいなぁ」

お父さんも何悠長なこと言ってんのよっ。コップ磨きながら。

「ですよねぇおじさん! 話分かる! あ、後いつものお願いします!」

何気なく注文なんかしないでよ。お客さんの注文取るのは私の仕事なんだからっ。

 ハイハイ、とお父さんは苦笑顔でコーヒーの準備を始める。

『……何よっ、しれっとして』

今まで散々メーワクかけて来たくせに。今日だってこんな遅くになって来たし。

 立って睨んでいるのもバカらしくなって、私は上島と同じテーブル席にドカッと腰を下ろした。

「それで。今回は何が敗因だったのよ」

「う〜……聞いてくれるのか鍵和田かぎわだ?」

そうして、お父さんのコーヒーを待っている間のこと。

「何よ、愚痴聞いてもらいたくて来たくせに」

「さっすが鍵和田! そこん所の話分かるな!」

テーブルに突っ伏していた上島は、急に顔が輝き出す。

 話分かるかどうかはいいにしても、そのテンションはやめてよね……。ま、いつものことなんだけど。しょーがないか、って心の中で言うと、私は両手でほおづえをつく。

「いや〜、今回は自分でも凝ったつもりなんだけどな?」

「ハイハイ、どーいう風によ」

「そりゃ台詞から何からだって! シチュエーションもわざわざ部活の活動場所から遠く離れたとこで雰囲気のいい昇降口の……って聞いてるか鍵和田?」

「ハイハイ、聞いてるよ」

なんて言うけど、本当は情けをかけて聞いてるだけ。

 どうせ。いつもみたいに誰かを口説き落とそうって企んで、返り討ち食らったんでしょ。学校のブレザー姿のまま、ってことは家にも帰らず速攻取り掛かって、ってとこかな。

 私はそう思っていた。

 よくこうも、遠慮も恥もなく失敗談話せるよね……。

「やっぱり難攻不落っていう噂は伊達じゃなかったな。幾多もの先輩方がオトすのに挑戦したって言うけど、そのたんびに玉砕だって話だぜ? ウンウン、やっぱりそのせいか」

もっともらしく腕組みをしながら、真面目にウンウン言ってうなずいている上島は、やっぱりバカだなと私は思った。

 本ッ当にいつもと変わんないよね。私は少し、からかい気味の笑い顔をしてみもする。

「あのねー。もうやめたら? これで先輩方にアプローチして断られたの何回目?」

「軽く……五十は超えるな! でも後悔はしてないぜ、これが青春男子の勲章ってもんさ」

間違った意味での、青春の勲章ね。

 上島は、そこから今度は自分のカガヤカシイ遍歴なるものを演説調で語り出した。私が聞かせてって言った訳でもないのに。

 からかってはみたけど……何したって上島は、結局このマイペースの独壇場になる。いつものことだ。ニヤつきも醒めて、私は何と言うでもなく元の表情に戻る。

 ホンット、そこまで何度も恥知らずに出て行けるアンタが、うらやましいくらいだよ。上島。

  

  

 こんな風にダメな青春の輝きを放っている上島は、その言葉通り相当な女好きだった。特に上級生に関すると目の色が違くなる、みたい。

 今まで何回も数多の先輩方を追っかけ回して、プロポーズを繰り返しては流れ星のように散って行った、っていうどうしようもない経歴を持っている。

 正確には。カノジョ、お茶しない? なんて声かけたのも含めればその数百二十九回。私の知ってる限りだと。きっちり数えたんだからね。

「で、今度は誰に告ったの……」

それで、演説がまだ続いているその途中。

「ん、それはな……って鍵和田! 寝んなよ、そこ! 」

「だって上島の愚痴聞いてんのも疲れるんだもん」

「愚痴ってなぁ! 今のには愚痴入ってないだろっ?」

それでも何分間続けたと思ってんのよ。カップラーメン二つ三つできるぐらいは軽く語ったんじゃない?

 テーブルの上、私は組んだ自分の腕に顔を沈める。

 もう、フられる度にここにやって来ては愚痴だか反省だかをこぼして行く。それでなくても、ほぼ毎日何かにつけてこの店にやって来る。

 私にとっても、それは日課みたいなものになっていた。愚痴で来たんだったら、来たからには聞いてあげないと、なんても思う。もちろん同級生のよしみでだけどっ。

 その代わりに毎度のこと私は、ざまぁみろ、なんて心の中でニヤついている。さっきの笑い顔だって、そう。

 でもね。

 流石に、いつもずっと聞いてるだけだったら、だけだったら結構イヤになるよ。やっぱり。しかも、私がどんだけ言ってもアタックやめないし。

 いてくれるだけならいいよ。

 でもそういう話は、イヤ。どうせ女子の私には何もならない話でしょ。毎度思うけど、よく私の前で話せるよね、そんなこと。

 顔を伏せてる陰で――わざとそうしてるのが半分、本音でそうしてるのが半分、の私のほっぺたはもう餅のようにふくれていた。

 まだかなコーヒー。サイフォンのコポコポッて音だけしてるけど。

  

  

「ったく。そうつまらなそうにすんなよ、今回はお前も知ってるヒトなんだって」

「……誰よ」

顔は、上げない。

「鍵和田の先輩だって、大道寺先輩」

でも。この時ばかりは私はハッとした。

「ふぇ……? え、えー!? 大道寺センパイぃ?」

「そうだ、ってあんまり身乗り出すなよ」

乗り出したくもなるよ!

 あの大道寺センパイ?

 正気っ!?

「ま、なんたって一高のウグイス嬢って有名人だもんな。容姿端麗品行方正、ウチの校内じゃもちろん、噂じゃ他校にもファンがいるって話だし」

解説者さながらに、上島はセンパイについてアツく語り出す。

 そのそばで、私は体を乗り出した格好のまま。

 呆れてるのか、驚いてるのか、自分でも分からないぐらいにボーッとして上島をただ見ている。

 大道寺センパイっていったら、確かに私が所属している部活――放送部のセンパイで、部長兼部のエース。

 サラサラで長い黒髪、宝塚役者みたいな整った顔形、そしてその澄んだ声がトレードマークの、まさに何段も何十段も上のランクにいるセンパイだぁ……。

 そのセンパイに、遂に? 遂に……!?

 全身から湯気でも抜けて出ているみたいに、私はガタッと元の椅子に座り直す。

 後ろでは相変わらず、コポコポっていう音だけが単調に続いていた。

「んでさ、まぁ言い寄って来る男子がワンサカいるっていうのは認めるさ? でもそれにしても! 『まだダメね、キミは』でどっか行ったんだぜ? 軽くあしらい過ぎじゃないか!? 言わせるだけ言わせといてな……」

でもそのクールさがまたいいんだよな、憎めないんだよな、一部のヤツには大ウケだし……なんてことをそれから上島は延々喋っていた。

 こんなに上島がこだわってるのは、珍しい、って言うより滅多にないよ!? まだ諦める気じゃない……のかな?

 上島がテーブルをバシバシ叩きながら説明に熱中しているのに、私はツッコミを入れる気も起こせなくて、ただ目を丸くしていた。あの、大道寺センパイに……?

「わ、私だって放送部員だよっ?!」

「わ、いきなり何だよ!? ビックリするじゃんか……まぁ、鍵和田と先輩じゃな、違うもんがあるんだ」

「……な……ぁによっ」

「声もルックスも違う」

何よっ! 真面目な顔で言うなっ!

 って、私は言い返そうとしたけど。反論の言葉が胸の奥ですぼんで終わったんじゃ、どうしようもなかった。

 私は、座った椅子の上で小さくなる。

  

  

 ――何で?

 何でこんな変なこと言ったんだろ私?

 強がりなんか。

 私は、その数秒間に出て来た自分の言葉が分からなかった。

 何か……いきなり頭の中がボーッとし出して、熱くて。 私のお得意のキッツイ視線じゃなくて、その時は、ホニャリとしたヤワな視線しか私は上島に向けられなかった。それで、また腕組みなんてしている上島から目を離せずにいた。

 ここまで変な気分になったの……初めて。

めぐむ。恵、できたぞ」

ホニャリとしっ放しだった私は、お父さんのその一言で引き戻されたみたいにハッとした。

 振り返ると、サイフォンの片付けをしながらお父さんがカウンターを指差していた。その先を辿る。私お馴染みの銀の丸盆が置かれていて、その上にタップリのコーヒーが注がれたカップが二つ乗っている。

 何分か経ったのかな。ついさっきサイフォンの音がしてたと思ったら。

 私は慌てて椅子から立つと、何も言葉を口に出せないままそれを取りに行った。

「あ、できたんッすか? いつもいつもありがとうございます!」

「いや、いいんだって。もう常連さんだしね」

私は、そんなやり取りを後ろに盆を手に取る。

 砂糖もミルクも入っていない、ストロングのブラックコーヒー。

 もう一杯は、多めのホイップクリームを軽く浮かべたカフェモカ。

「それ、恵の分。飲めば少しは落ち着くんじゃないかな」

お父さんが小さな声で言う。カフェモカ……私の好きなヤツ。

「……ありがと」

多分、私を気遣ってくれてるんだ。あの時と同じように。

 そうは分かっても、お父さんのささやかなスマイルを私はボーッとしてしか見られなかった。

 二つ並んだ白いコーヒーカップからは、香りたっぷりの湯気が静かに立ちのぼっていた。

  

  

「……ハイ」

「お〜、サンキューっ。そこ置いといて」

んじゃ、仕方ねーかなって言う上島は学生カバンの中をゴソゴソ探り始める。

「何すんの」

「ん、塾の予習。今日休塾日だから、その分」

椅子に腰掛けて見てみると、『受験英語』だとか『数学難点克服』だとかタイトルにあるオレンジ色のテキストが、次から次へと出て来る。

「ヘー、イロコイ話の次は勉強。熱心ですこと」

私は、カフェモカのカップを取ると上島の方を見ないで口を付ける。アチッ、と引っ込めるけど。入れたてなのよね。

「そりゃ、俺だってやりたくないぜ? 家に帰ったらやる気になんかなれないでゴロゴロしてるよ」

だからこそここでやるんだ、なんて言う上島。確かに、ここは学校の図書室並みに静かだし、学生御用達。

「あ、それともアレか? 俺の輝かしい恋愛遍歴でもまた聞きたいか?」

「ケッコウです」

そこだけ顔輝かせないでよ。

 チェッ、つれないな、なんて言ってまたカバンをゴソゴソするけど、ここは喫茶店! 百歩譲って勉強できるとこではあっても……やっぱり、愚痴を披露するお悩み相談所じゃないんだからっ。

 スプーンで少しかき混ぜて、ふーふー、と吹いて、私はまたカフェモカに口を付ける。

 ……なんか今日は甘ったるい。いつもは好きなのに。

「そういや、鍵和田はいーのか?」

シャーペンをカチカチと言わせながら、上島。

「何が」

そっぽ向いたまま、三口目を口に含みながらで、私。

「勉強」

「勉強? 私の? 私は上島よりできるもん」

そして、自然に口調が意地っ張りになる私。

 実際、上島には悪いけど私の成績は結構いい。店に出ている分の埋め合わせは、夜中にやってるから両立は完璧だった。

「あ〜そうですか、そーだよな、そこが不思議なんだよな。俺だって手一杯なのに。世の中の謎だ」

最後〜、何ですって〜?

「何か言いました〜!?」

「あ、いや!? 何でもないって」

陰で銀盆をちらつかせると、コーヒーを一口すすって白々しくテキストにペンを走らせ出す。

 ……最後に一言多いのっ。もう。

 私はまた、カップを口許に持って行く。さっきから飲んでばかりじゃない、私。

 同時に、店内に流れていたBGMの音量がスッと下がる。見ると、お父さんがカウンターの陰で身をかがめている。今は勉強中だから、ってことだよね。

 私は、それが合図のように黙り込んだ。

「あ、なんだったらさ」

「……何よ」

「俺の勉強、見てくんないかな、ってさ」

その台詞も、そんな時。

「……!! な、何よっ?! 勉強ぅっ!?」

私は。

 私は、突然の台詞で心臓が一瞬止まりかけたかと思った。

 何なのよっ!?

 思わず、コーヒーを噴き出しかける。

「おい、大丈夫かよ?」

「な、何でもないっ! それより何なのっ、今の!?」

「……、ジョークだよ。ジョーク。まさか、俺がいくらピンチだからって女子の手借りるなんてしないって」

テキストに目を走らせながら、シレッとして言いのける。

「じゃあ言わないでっ」

私はグイッ、とカフェモカを一気に飲み干すと、お父さんにカップを突き出した。

「おかわりっ!」

「もう? 早いな、いつもはもっとゆっくり飲むだろう。一気で熱かったんじゃないか」

熱くないっ。少し舌痛いけど。それに早い日もあるのっ、今日みたいな。

 呆気にとられてメガネのブリッジを上げ下げしているお父さんに、それでもなお私はカップをズイッと突き付ける。

「……ハイハイ、分かったから。入れるよ、今度はタップリと」

お願いしますっ。

 私がカップをカウンターに持って行きながら、チラッと見ると――上島はペンで頭を掻きながら唸っていた。

  

  

 私の方は見てないね。

 ……当然、か。

  

  

 さっきああ言ってたのに結局熱の入っている上島を、私はムスッと黙り込んで見ていた。

 それから少し経って二杯目が入ると、私はそれにチョビチョビ唇を付けながら今度こそ言葉を何も出さなかった。

 視線は、気付かれないように上島に向けて。

 誰も喋る人がいなくなったせいか、店の中は――ペンの音、BGM、お父さんが食器をカチャカチャ片付ける音――それぐらいが微かに重なって耳に届くくらいだった。

 上島はさっきから、何だよコレ、とか何とか言いながらルーズリーフの上の数式をペン先でつついている。

 分からないのかな。それぐらい楽勝なのに。積分の面積問題でしょ? 六分の一公式使えば一発じゃん。

 なんて、誰に聞かせるでもないアドバイスを脳裏に燻らせている。

 私は横目でそんな様子を見ながら、そのそばで心の辺りがゆらゆらするみたいで……妙に落ち着けなかった。

  

  

 ――そっか。

 あの、大道寺センパイに、か。

  

  

 もう終わった話題かもしれないけど、私の頭の中はそれでイッパイだったって言っていい。

 色んな女の子を追っかけ回してばっかの上島のことだから。センパイのことは知らないはずがないとは思っていた、むしろアプローチしない訳がないよねっても思っていた。

 前に、そこの所を聞いたことがある。その時の答えは、

『いや、あの先輩は相当な難関だぜ? お堅い性格って聞くし、今までフった男の数は数知れず、って言うしな……でもいつかは絶対オトしてみせる』

って。

 熱く拳握って宣言してたけど、やっぱり本命か何か、だったんだ。諦めてもいなさそうな雰囲気だし。

  

  

 ……それにしても突然過ぎるじゃない。

  

  

 店の時計が、長針を『10』の数字にカタンと向ける。もう七時……何だか早いよ。時間が経つのが。

 私は、湯気のなくなったカフェモカを、ちょっぴり口に含む。やっぱり甘ったるい。ホイップクリームも、コーヒーも。

 七時、ね。

 そういえば今夜、大道寺センパイから連絡あるんじゃなかったっけ。明日の昼の放送のことで。

 そう思い返して、私は少し震えた。

 思い返して、また気持ちはしぼんだ。

 センパイのことがイヤでも頭のスクリーンに出て来る。私は、部の新入りだった頃から何度もそのお世話になっているから、よく分かる。上島の言う通り、お堅くて高く留まった性格って言われてるけどそんなことない。

 部内じゃ、男女はもちろん、上級生下級生の隔てなく優しく接したり指導したりしてくれるし。昼ご飯だって、女子部員のみんなの輪に交ざってキャイキャイお喋りしながら食べてくれる。

 それで加えてあのプロポーションでしょ?

『叶わないよ……』

私はそう、心の中で呟いてまた一口すすった。もう大分、ぬるくなり出している。

 センパイは、私達にとっては憧れの存在。私だって……密かに。

 上島がホレるのも……無理ないかな。

 うん。無理ない、よね。

 私はカップをカチャリと置いた。

「……頑張ってね」

「え? 何か言ったか?」

力のなくなった声で、言う。

「センパイのこと。大道寺センパイ。またアタックするんでしょ」

上島には、視線も向けなければ……その答えだって待ちはしない。

「だから頑張れ、って」

そう。これでいいんだ。

 色々なものを飲み込もうとして、またカップを口元に持って行こうとする。

 けれど。

「……鍵和田? どうかしたのか」

 その一言に、一瞬遮られる。上島が、正面から私を見ていた。

「……え、どうって」

「何かヘンだぞ? いつもと違う」

その目線や言葉は、私には真っ直ぐ過ぎた。耐えられずに私は、すぐカフェモカをグビッと飲む。

「な、何がよ。いつも、っていつもの私知らないくせに」

「ヘンなこと言うなよ、俺は鍵和田のこと随分前から見て来てんだぜ? ここにいる時とかさ」

……何よ。言わないでよっ、そんなこと。

 私は、口に付けたままでいるカップの縁を、唇で噛む。

「……ヘンじゃないもん」

私はそのまま、もう一口グビッといった。

 そのそばで上島は、そうかなぁ……なんて首をひねって、またコーヒーを一口、そしてテキストに向かい出してる。

 そうだよ。

 ヘンじゃないよ……。

  

  

  

  

 私は少し震えた。

 今まで気付かなかったけど、夜になって大分冷えて来たらしい。やっぱり冬、だから。

 遣る瀬無い視線を窓に向けてみると、夜の深い蒼色に染まった屋根瓦の波が、星降る空の下に続いていた。

  

  

   〜・〜・〜

  

  

『――それで、明日の昼のCDは根岸ちゃんが持って来てくれることになったから』

「例のワムのヤツですか?」

『うん、やっと見付かったみたい。やっぱり、クリスマス期間放送には見合った曲がないと! だから、恵ちゃんはミキシングお願いね』

「あ、ハイ。分かりました」

その夜。上島が予習を終えて帰って、店も閉まった後。

 私は、前にも言った通り自分の部屋で大道寺センパイと電話で話していた。

 私の家は、『窓』がある建物の三階。ちなみに『窓』は二階。小さなビルだから、私の部屋だってせせこましい。

『でも、どうしようかと思ったわよ』

「ふぇ? 何がですか?」

『デ、ン、ワ。七時頃に、って言ったのに。いつまで経っても携帯、留守録の声しかしないんだから』

「だから、さっきも言ったじゃないですか〜、手が離せなかったって」

どうかしらね、ってセンパイは笑う。

 私は丁度風呂上がりで、この頃愛用しているブラウスに袖を通しながらそんな会話をしていた。

 もう、机の目覚まし時計は十時を指している。十二月の夜の寒さは、まだあったまったままの背中にすぐおおいかぶさって来る。

『そういえば、最近どうなの?』

「え? 最近って、」

『最近よ。部長としても後輩のことは気になるじゃない』

「……別に、取り立てて何もなく、ぼちぼちってとこですよ。勉強もそこそこ上手く言ってますし」

『勉強かぁ……そういうことじゃないんだけどな』

「どーいうことですかそれっ。それより、センパイだって受験で大変なんじゃないですか?」

『……痛い所突くわね』

私はまとめた髪の上からナイトキャップをキュッとかぶると、ベッドに背中からダイブした。

 何か、今日一日で大分疲れたみたい。お風呂に入ったのに、ちっともスッキリしない。

 その原因は、自分では分かってる。分かり過ぎるくらい分かってる。

 でももういい。

 もういいんだ、あんなこと。

 センパイと話しているから、余計そんな風に心の中で声がこぼれる。諦めてる、というか自分に言い聞かせてる、というか。

 当の上島も帰り際に、またチャレンジはしてみるか、できる限りな、なんて言ってたしね……。

 他愛のない会話を受け流しながら、私はただ寝転がって灰色の天井を見ていた。

 電話なんて、早く済ませたい気分だった。

  

  

『……ね』

「えっ?」

『恵ちゃん、何かあたしに言いたいことない?』

ええええぇっ!?

 私は思わず、ガバッと起き上がった。

 突然今までのことが一気に頭の中へ溢れて来出して、それが驚きに変わる。

「え、ぇ、い、いぃ言いたいことですかっ!?」

『そうよ。何で驚いてるの?』

「い、いえっ! べ、別に、何でも……何でも……」

私の声が小さくなるのを確かめるみたいに、ウフフッ、ってセンパイの笑い声が聞こえる。

 センパイどーいう意味なんですかそれっ?! なんても頭の中で叫んじゃう。

 メランコリーな気分から一気に変わって、私は寝てるのをはたき起こされたみたいに驚いた。

「な、な、何にもないですっ!」

『ホント?』

「ほ……ホントですっ」

『ふーん』

私はその言葉に、さっき起き上がった姿勢のまま。心臓が一言一言の度に飛び跳ねて、落ち着けなかった。

 慌ててた。混乱してた、って言った方がいい。

『ホントにないの?』

「ないです……ってば」

ヘー、ってだけ、受話器の向こうからは返って来た。

 ……センパイ、わざとやってるのかな。

 私の脳内には、オドロキについでそんな不満が湧いてふくれて来た。

 こんな口調、センパイは普段なら絶対にしないよ? いつも喋る時はなめらかでフレンドリーだもん。それがこんな突っ掛かるなんて……絶対、私のことをからかってるんだよ……。

 私はそんな口に出さない文句をこぼしながら、そのもうかたっぽではドキドキしっ放しの胸に困っていた。自然にほっぺたがふくれる。

「……センパイ、何でそんなこと聞くんですかっ」

『ん〜、聞きたい気分だったから、かな?』

おちゃらけないで下さいっ。

 思わず、上のパジャマの裾をギュッと握り締める。ほっぺたも、ますますふくれる。

 こんな時に……こんな時に言って来るだなんてっ。

 その時、私の中には自分でも分からない何かが込み上げていた。上島が好きなのはセンパイなんだって思う程に。

 そしてそれは、どうしても遣る瀬無い感情。

 私の『気持ち』をセンパイが知ってるかどうかは分からないけど、そんなの関係ない。

 ヒドい。

 ヒドいですよ、センパイ……。

  

  

『……んー、それじゃあ恵ちゃん、あたしも言いたいことあるのよ』

「……何ですかっ」

『そう怒らないでよ。もう、いつまでウソついてる気』

  

  

  ――えっ?――

  

  

「え、センパイ……ウソって」

『ウソ、ついてるんでしょ。あたしに言いたいことなんかない、って。じゃなきゃさっきあんなに驚かないでしょう?』

相変わらずの変な小悪魔調で、センパイはそんなことを言う。

 私は突然の言葉に、頭が上手く回転しないでいる。

 私が、『ウソ』、を?

「……な、な、何言うんですかっ、いきなりっ」

私は目をグシグシと袖でこする。それで反論するけれども。

『あら、外れてたかしら? 恵ちゃん、あたしが上島クンにアタックされたの知ってるんじゃないの? だからあたしのこと気になってるんじゃないかなって』

ズバリ。言い当てられて私はグウの音も出ない。

 数秒間、口も開けっ放しのまま何も言えなくなる。

 音が耳元に聞こえるぐらい、心臓が大きく鼓動を始める。

「……セ……センパイ、どうしてそれを?」

私の口調には、いつの間にか元気も反発もなくなっていた。恐る恐る、聞いてみる。

『うん。あたしね、実を言うと恵ちゃん家の近くが帰り道なの。それでアタック断って帰る途中に通りがかったら、聞こえたのよ。大声で』

聞こえた? ……あ、まさかっ!?

『チキショーッ、って盛大な声。上島クン、よっぽど悔しかったみたいね』

やっぱりぃ……。

 近所メーワクになるなる、って言ったらこんな風に周りに聞こえてたなんて。

 私は、自分のことじゃないのに顔にボッと火がついたようだった。

『それでね、そういえば前から聞いてたな〜、恵ちゃん家の喫茶店に、フラれた上島クンがよく愚痴をこぼしに行くって、って思い出したのよ』

「……センパイ……その話、どこから」

『どこから、って恵ちゃん、お昼ご飯の時いつもそう言ってたじゃない』

……確かにそうでした。

 今更のように思い出されるのは、昼ご飯のおかずにパクつきながら気兼ねなく話をしている私。

 いつもはだって! そんな上島のメーワク話なんて、愚痴とか笑い話とかそんな感じで話してるんだから……うぅ。こんな風になるなんて思ってもみないよ。

 自分の思いや、センパイの言葉、それからいつも普段の自分の姿や上島のこと……そういう色んなことが、頭の中で渦になって駆け巡る。その度、私は顔の辺りがどうしようもなくどんどん熱くなるのを感じていた。まるで、火照りに火照って、爆発しそうなくらい。

 そして、遂に。

  

  

『恵ちゃん。上島クンのことが好きなのね』

  

  

 それがトドメで、私の頭からは蒸気が吹き出した。

「い、い、いぃいえっ!?!? そ、そそそんなこと、」

『いいえ、絶対そんなことあるわ。……フフッ、そんなに慌てちゃって。カワイっ』

その時。私は完全に、センパイの手の平の上にいた。その言葉の一つ一つに踊らされて、手出しの一つだってできない。

 あうぅ……顔がアツくて目が回るよぅ……。

「ふぁ、わ、あ、私はですねえっ?! 上、かみ、か、上島のことなんてっ!! 少しも、少しも……その……少しもっ!」

まさに私は、オーバーヒート状態。自分でも、何を言ってるのか全っったく分からない。

『あ〜……恵ちゃん? 落ち着いて、まだそう言うの?』

って、うわの空の向こうでセンパイのなだめ声がする。しまったな〜、こんなにウブだったなんて、っても聞こえる。小さく。

 誰がウブですかっ! なんてツッコミを入れたいけど私にはそういう余裕なんかこれっぽっちも出て来なかった。

「お、落ち着けるも何もっ、な、何が何ですかっ?! わ、私はもう何がどうでも上島はっ!?」

だからこの通り。言語バランスも何も、もう頭の中でグジャグジャになっていた私。

『……、恵ちゃん! いい加減落ち着いてっ?!』

「ひっ?!?!」

そんな私の耳に、その一声は耳元にスピーカーを当てられたぐらいに響いた。

『……もう、やっと落ち着いたのね? 落ち着いたんなら、ようっく聞いてよ』

 一息ついて、センパイはそう言う。

 ベッドの上、思いっ切り取り乱して取り乱し切った挙句に私は、再びホニャリとしてへたり込んむ。停止ボタンでも、押されたようだった。

 耳には、受話器を当てたまま。

  

  

『いい? まず、恵ちゃんは上島クンのことが好き。そうでしょ?』

「だ、だ、だから何ですかっ!? 今ここで言わなくてもっ」

『言わなくても、ってことは好きなのは言いたくないけど確か、ってことよね』

揚げ足取らないで下さいよっ。

「……からかってるんですか」

『もうっ、スネないで。あたしの声聞こえてるでしょ、そんな風に聞こえる? ……この際がこの際だから。喋って踏ん切り付けなさい』

私は――その言葉に少し躊躇して声が出せずにいたけど――センパイの声音がいつもよりずっと厳しくて鋭いのと、もう胸が溶けそうに熱いので。

 本音を言うと、いくらスネても……もう耐えられなかった。

  

  

「…………、そ、その、通り……です」

  

  

 おずおずと。今までないっていうぐらい小さなスネ声で、そう一言だけを口にする。

 すると、安心したような息をつく音がする。

『……よく言ってくれたわね。それなら上出来』

センパイは、ただ落ち着いた声を私に聞かせてくれていた。

『それが分かったら。もう自分のキモチに正直になりなさい? 喋るのでも、何をするのでも。キモチに嘘なんかつかないで』

「…………、自分のキモチに……嘘?」

私は、それを珍しく素直に聞いていた。センパイの言葉が、耳を通って胸までホトホトと落ちて行く気がする。

『そ。自分がああしたいこうしたいって思ってるのを、自分で否定してどうするの。案外、上島クンだって脈アリかもしれないのよ?』

私の胸は、それに突然騒ぎ立つ。

 脈アリ。この一言のせいだ。

「え、え、そ、それってっ!? あの、どういう……」

『それはだって。上島クン、フラれた愚痴をこぼすのに毎回恵ちゃんとこ行くんでしょ? 同情したり励ましたりしてもらうんだったら、別に男友達のとこでもいいのに。な〜んで恵ちゃんのとこ通い詰めてるのかしらね』

そ、そういえば……何でなんだろ? 毎度のこと毎度のことって気にもしなかったけど。そこは私が思い付かなかった所だった。

 一際大きな鼓動が響いた頭の中に、その疑問がぐるぐる渦を描いて駆け巡る。

『……まぁ、それは一つの可能性だからどうでもいいの。だから結局ね、「好き」って言うキモチは自分じゃどーにもできないもの、ってことなのよ? ……実際あたしだってそうじゃないかな』

「え、えっ……センパイも、ですか?」

『ウン。あたしだって女子なんだから。少し前までそりゃもう先輩にアタックしまくり』

「先輩に……ですか」

『バスケット部のね。小柄だったけど、活躍してた上にサワヤカカワイイ系で、人気高かったし。あたしね、その頃は今みたいに表立ってた訳じゃなくて、どっちかって言うと地味だったの。だから数で勝負っ、て二百回ぐらい』

「に、二百回っ!? 」

『……ジョークよ。でもそれくらいアツかったってことなのよ』

それで、あー、何言わせるのよ、ハズカシイ、ってセンパイは盛り上がってるけど……私はある意味ショッキングの嵐。

 上島が、上島がもしかしたら……? ううん、あの上島に限ってそんなことは! でももしかしたら……?

 それにそれにっ!

 センパイはそんなにアタックしてたのっ? しかも二百回って……あの上島よりも上? センパイが昔は地味だった、ってだけで驚きなのに……。

 その時、私の心臓は今度は、確かな音でトクトクトクトク、っていう速くて小さな拍子を刻み始めていた。

  

  

『あ〜、喋っちゃったか…………ってそんなのはどうでもいいの。要は恵ちゃん、自分のキモチを大切にしなさい。伝えもしない内に諦めちゃダメ。自分で消そうとするなんてもっての外なんだからね、苦しいだけよ?』

 電話の前と今とで、――センパイの声を受け取りながら、私は感じていた。

 頭や胸をパンパンにふくらませていた、何かがいつの間にか消えてなくなっている。

 体が火みたいに熱かったのも、勢いがまるで小さくなって心地いいくらい。

 一体、何なんだろ……コレ?

 ベッドの上に座り込んで動けないまま、その、上手くは言い表せないけどあたたかい感覚の正体を、私はぼんやりと考えていた。

『……例えいつになったってね。相手が答えてくれるまで、そのキモチをどうやってあっためておくかが大切。もちろん、相手が振り向いてくれるようにモーションかけるのもね。上島クンに、自分の方を向いてもらいたいんでしょ』

「あ……で、でも上島は、センパイのこと……あの、その、まだ諦めて……ないみたいで」

『なになに、恵ちゃん珍しく弱気ね? な〜んの為にあたしがお膳立てしてあげたと思ってるの?』

え……『お膳立て』?

「……センパイ、お、お膳立ていうのは……」

『あれ、まだ気付いてなかった? あのね、あたしが上島クンのアタック断ったの。知ってるでしょ?』

「……ハイ」

『それ。どうしてだと思う?』

  

  

 ちょっとした質問、のつもりなんだろうけど。

 私のすっかりふやけた脳じゃ分かるはずもなくて、あの、その……なんて私は小さな声で繰り返す。

 すると。

『フフッ、恵ちゃんのキモチが分かってたからよ』

っていう楽しそうな声がする。

「え……私のキモチが、ですか?」

『そうよ。ありがたく思ってね? このあたしが身を引いてあげたんだから。これから、恵ちゃんからアプローチしてかないと許さないわよ〜?』

「え、そ、そんな……私から、アプローチって……」

そして、私が慌ててる合間には、笑い声も、聞こえて来る。

 センパイ……やっぱり優しい。

 やっぱり私の憧れ。

 かなわないな、なんてつくづく思う。

 でも、そのセンパイが励ましてくれてるんだから……。

 私の心は、少し前を向き始めていた。

『それにね、恵ちゃんも恵ちゃんだけど、上島クンも上島クン。こういう、いたいけなオンナノコの恋心も分かんないようじゃね。あたし、だから断る時に「まだ早い」って言ってあげたの』

「え……それって」

『あ、それも聞いた? それはそういうイミなのよ』

 私の心の中にあった糸の絡まりが、次第に解けて行く。何もかも、センパイのおかげだった。

 今まで、胸の奥底に押し込めていた自分のキモチが、ふっと浮き上がって来る。

 私は、上島のことが好きだったんだ。

  

  

『……まぁ、どんなきっかけだったかは知らないけど。ファーストラブは女の子にとっては生涯一度の特別なモノ。後々まで引きずるのよ? ……だから、焦らなくてもいいから。その分しっかり頑張りなさい』

さっきまで早鐘のようだった鼓動は――もう落ち着いて、確かな胸の響きを体中に伝えていた。

 それはそのまま、確かに私の『好き』っていう気持ちの音だった。

「……ハイ、私頑張ります! ありがとうございます、センパイ!」

『いいのよ。後輩の面倒は先輩が見てあげなくちゃいけないしね』

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

『……それにね。この際ついでに言っちゃうとあたし、上島クンみたいなのはタイプからちょこーっと外れるのよ』

「え、タイプですか?」

『そうなの。さっき言った人みたいな、カワイイ系があたしの好み。上島クンみたいな、サッパリ元気ハツラツな子も、好み、って言ったら好みなんだけど……』

……えー、えーっと……センパイ?

『やっぱりカワイイ系に限るわね。庇護欲って言うのかしらコレ? まぁあの人は先輩、つまり年上だったけど、今は後輩とか、年下の方が、いーっぱい世話できていいかなぁ、って思ってたりもするのよ……ウフフフフ』

「セ、センパイ? 今何か、唾すするみたいな音が、あの……じゅるり、って」

『あ、そんなこと言うんだったらあたしから上島クンにモーションかけちゃうわよ?』

「え、そ、そんなぁ、待って下さいよっ」

  

  


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ