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五品目――消えちゃいたい日のブールドネージュ――

クリスマスなのでお菓子の話にしてみました。

タイトルの通りいつもよりちょっと暗い話かもしれません。

 別に、いつもと比べて特段辛いことがあったわけじゃない。


 別に、何か大きな失敗をしたわけじゃない。


 ただ今日はいつもよりちょっとだけ、ほんとにちょっとだけ声を弾ませ歩く恋人達や、買い物袋を抱え笑い合う家族連れ、素敵なワンピースと綺麗にセットされた髪で歩く人……とにかく色んな人が目について、勝手に惨めになってる。


 最近急激に寒くなったことや、今日の曇り空や、気圧のせい。きっとそう。


 そうやって理由をつけてみても、勝手な自己嫌悪とそれに伴う「どこかに消えちゃいたい」って思いがどうしても頭の中から出ていってくれない。


「はーあ」


 ため息はふわりと白く現れて、瞬きの間に消えた。幸せが逃げてくのがもし目に見えたらこんな感じかしら。

 そんなセンチメンタルなこと考えたところで、明るい気持ちになるわけでもない。


 まだ明るい駅前で、何が悲しくてボタンが一つ取れたコート着て突っ立ってんだよ。せめてもっと生産性のあることしろよ役立たず。


 自分にチクリと棘を刺してみたって、どうしても足を動かせない。


 朝からなんだか気分が晴れなかった。そういう時って、一人でいても嫌な考えが浮かぶだけでろくなことにならない。だから他人がいるところで何か作業に没頭してた方が余計なこと考えずに済むし、仕事の日でラッキーくらいに思ってた。休みの日がそんな謎のモヤモヤモードで潰れるの最悪だし。



 午後から大雪の予報で、電車が止まる可能性があるみたい。だから、遠い人と急ぎの仕事ない人は今日昼には上がって。


 なのに下った帰宅命令。お弁当も重い体引きずって冷蔵庫にあるもの詰めたのに。チクショウ。今日じゃ無きゃ飛び上がって喜んでただろうにな。


 一人になった途端、脳内を巡る自分を否定する言葉の数々。


 はいはいそーですね、私なんぞいなくなった方が清々するのは自分が一番わかってますよー。


 痛いのも苦しいのも嫌だから、自分で生きるのを終わらせようなんて考えたことはない。

 だけど、たまに心を支配する「消えちゃいたい」って思いは、いつからか私の根っこの部分にずっと居座っている。


 言葉に出すと心配されそうで、誰にも話したことはない。そうやって今日も今日とて何の変哲もない社会人に擬態して生きている私には、急ぎの仕事がないことが把握されている以上おとなしく帰る以外道はなかった。


 駅までのたいしたことない距離だけでも、ネガティブな考えばかりが頭をぐるぐる。さっき部署の人に「お疲れ様でした」を言う時まではちゃんと笑えてたのに。足取りは非常に重くていつもなら十分かからないくらいの道のりなのに、多分十五分以上はかかってた。


 なのに、最悪なことって重なるもので……。たどり着いた駅の階段で躓いて、近くを歩いていた人にぶつかって舌打ちされた。それだけならまあ珍しくないことだけど、その人が持っていた鞄の金具が当たったみたいでおろしたばかりだったコートのボタンがどこかにすっ飛んでいっちゃった。


 なんかそこで、プツンと糸が切れたのだ。ちょっとでも気分を上げようとお弁当袋に入れたお気に入りのチョコレート菓子も、一目惚れしてボーナスで買った滅多につけていない腕時計も、特別なとき用のリップも。

 今日を乗り切るためにやったこと、全部、全部無駄に思えてきて、溢れそうになる涙を隠すために電車で揺られている間ずっと下を向いていた。


 そうして最寄り駅にたどり着き、今に至るというわけです。


 寄りかかった街灯に、背中が吸い付いて離れない。空気がどんどん冷たくなってきてるのを肌で感じるから、そのうち本当に降り出しそうだな。


「ありがとうございましたー!」


 どれだけ空を眺めていたんだろう?わからないけど、カランカランというドアベルと元気な声で私は現実に引き戻された。音の出所を探して振り返ると、一つ信号を渡った先のお店から人が出てくるところ。手に持つ箱から推測するに、ケーキ屋さんだろうか?


 それをドアから身を乗り出してお見送りする白い服を着た人。満面の笑みを浮かべて手をブンブン振っている。あの、なんだっけ?名前が出てこないけどケーキ作る仕事してるのかな?

 十中八九そうなんだろうけどさっきの元気な挨拶といい、勢いの良いお手振りといい、なんかケーキのお店ってよりラーメン屋さんの雰囲気を醸し出してる。


 なんか興味深くてしげしげと眺めてしまったのがいけなかったんだろう。私の視線に気づかれてしまったみたいで、ケーキ屋さん(推定)がこちらに顔を向けてきてバチンと目が合った。


「こんにちはー!よかったら新作もあるんで覗いていってください!」


 途端に満面の笑みで今度はこちらに手を振ってくるから、道路を挟んでいるとはいえ流石に逃げられない。

 都合が良いというべきか悪いというべきか……あまりに狙ったようなタイミングで青になった信号に、思わず「お前もグルか?!」と問いただしたくなった。


 最寄り駅のすぐそこにあるお店とはいえ、家と反対方向だから入ったことはない。わざわざ帰り道に一旦逆方向になんて行きたくないし。

 存在は知っていてもどんなところだか全く知らなかったから、ある意味良い機会かもしれない。なんてちょっとだけ気分が上向きになって、横断歩道を渡って甘い香りのする未知の扉へと向かう足取りはさっきまでよりちょっと軽かった。



 **************************************


「うわあ!」


 カランと軽快な音を立てて開いた扉の先は、色とりどりでまるで宝石のようなケーキに名前は知らないけどテレビで見たことのあるおしゃれな焼き菓子、そしてコロンとしたボタンみたいなマカロン。


 思わず子供みたいな感嘆の声が漏れてしまった。

 ケーキ屋さんなんて、いつぶりだろう?最近はコンビニやスーパーでもおいしいスイーツが買えちゃうから、それこそ実家を出てから初めて来たかもしれない。


「いやあ、そんな良いリアクションしてくれるとこっちも作りがいがあるってもんです」


 そうカラカラと笑い照れくさそうな顔をする店主さん(推定)は、ケーキが並ぶショーケースの方へと戻っていく。


「それじゃ、ごゆっくりご覧ください」


 さて、流れで来ちゃったけど何を買おう?ケーキ……て感じでは正直ないんだよなあ。なんか、あんまり食欲もない。だけど何も買わずに出るわけにもいかないし……。最悪明日の朝食べても良いし。どれもとっても綺麗で魅力的だから、この際どれか一ピースだけでも買っていってみる?

 店内には私しかいないし、ちゃっちゃと決めないと。


「そうだなー。もし今日ケーキの気分じゃないんなら……これなんかどうですか?」


 ケースとにらめっこしている私に気を遣ったのかケース越しに差し出してくれた籠。中には、かわいらしくラッピングされた白くてまん丸な何か。


「これね、ブールドネージュっていうんです。まあクッキーみたいなもんで、フランス語でざっくり言うと『雪の玉』って意味なんですけど。口に入れたらすぐホロって崩れるから、もう咀嚼もめんどくさーみたいなときでも食べられて良いんですよ。あ、これはあくまで僕の話ですけど」


 ほう、なんかおしゃれな響き。一袋少なくとも五、六個入ってて税込み三〇〇円ちょっとなら、試して美味しかったらまた後で買いに来て職場に持って行っても良いかも。


「じゃあ、これにします。一つください」

「はい!ありがとうございます。それじゃ、こちらでお会計をお願いします」


 手際よくレジ打ちしてくれている間に財布を探ると、中には金額ちょうどの小銭が入っていてちょっと得した気分になった。


「これね、今日から出しててこの冬一押しなんです!寒い中足を運んでもらったのでおまけも入れときますね!よかったらまた来てください」

「あ、りがとうございます」

「こちらこそ。ありがとうございましたー!」


 そう手渡されたブールドネージュとおまけを手に、明るいドアベルとやっぱりラーメン屋さんみたいな声に見送られ、帰路についた。


 ケーキ屋さんが見えなくなったタイミングで、渡された袋の中を覗いてみる。


「……ふふふ!」


 すると、自分で買ったブールドネージュの隣あったのは、小さな袋に真っ赤なリボン。取り出して覗いてみると、中に入っていたのはブールドネージュが二つくっついてできた雪だるま。多分チョコで描かれたニコニコ顔は、眉毛がちょっと下がっていてなんだか困ってるみたいでかわいい。


 そっちを食べるのはもったいなくて、でもなんか食べたい気分になっていたから自分で買った方を開けてみる。歩きながらそのまま一つ口に含むと、さっきお店の人が言っていたとおりあっという間に溶けて消えていった。本当に雪みたい。粉砂糖か何かの優しい甘さがふんわりと舌に残ってる。子供の頃絵本を読んで想像してた「雪の味」ってこんな感じだったかも。


 私の「消えちゃいたい」って気持ちも、こんな風にスッとなくなってくれたら楽なのに。人生そう上手くはいかないものだな。

 まだ今日は週も半ばの水曜日。もし明日が大雪で休みになったとしても、反対に何事もなくて出社することになっても、なんかどっちも同じくらい嫌だから困る。結局このモヤモヤを晴らす薬は時間しか無いってこれまでの経験でわかってるのに、もっと良い解決策をつい探してしまう。


 でもまあ、またあのお店行って会社用の差し入れと自分用にケーキを今度は買ってみたいって小さな野望も生まれたことだし、まあしばらくはこのまま現状維持でいいか。時にはきっと妥協も大事なはずだから、惰性でいいからしばらく過ごしていこう。


 白か黒かはっきり決められないこと、答えが出ないことも世の中には沢山あって、いかにそれを許容していけるか、「消えたい自分」のことを「そんな日もあるしまあいっか」って思える時間を増やしていけるか。

 唱えてみるのは簡単だけど実行するのは難しい。


「ックシュン!」


 コートの隙間から差し込む風がいよいよ冷たくなってきて、今は難しいこと考えるよりこたつにダイブしたい気分。

 今日初めてのやりたいことを見つけて、少しだけ家へと進む足が軽くなった気がした。


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