3・幕間 魔術師はほっとする
(エドのお話で、3・1と2の間の出来事です)
リリアナが書斎を出ていくと、ナイフが満面の笑みで、
「よかったですなあ」と声をかけてきた。
「ああ……」
急に体から力が抜けて、机に突っ伏してしまう。
「魔術師様!?」
「心配するな。ずっと緊張していたから、どっと疲れが……」
「ああ、なるほどですな!」
すべてが想定外だったんだ。
生け贄が俺の屋敷への滞在を望んだことも。
ひとは温かくて柔らかいものだと思い出したことも。
あっさり恋に落ちたことも。
そして告白したことも、リリアナがそれでもここにいると言ってくれたことも。
「ついに魔術師様に、ご伴侶ができるやもしれませんなあ」
感慨深げなナイフ。
いやいや、どこからくるんだその楽観的思考は。
「それはない。リリアナが俺の気持ちを知っても出て行かなかったことだけで、俺は十分に幸せだ。これ以上は、望まない」
「そうなのですかな……」
明らかに気落ちした声を出すナイフ。
思わず苦笑する。ナイフは――ナイフだけじゃない、スプーンもフォークも、俺を好きだからな。何百年も共にいるのに、いまでも俺の幸せを考えてくれている。リリアナがここに住む決断をしたことを、俺以上にカトラリーたちが喜んでいたくらいだ。
もっとも、カトラリーたちはリリアナを心底気に入っている。彼女がスプーンを見ても顔色ひとつ変えなかったからだ。ほとんどの人間が、彼らを見ると悲鳴をあげる。多少の分別がある者とてあからさまに動揺し、怯える。あの銀色の肌を恐れて。
だがあれは、どうにもならないのだ。なんとか人肌に変化できないか、何度となく試してきた。だが成功することはなかった。
カトラリーたちは言葉にはしないけど、人間に怯えられるたびに傷ついてきたはずだ。なのにリリアナは、同じ人間のように接している。そりゃカトラリーたちも好意を抱くというもの。そして俺も。
俺がこんな外見になってしまったのは、自業自得以外のなにものでもない。だからといって、怖がられても平気なわけじゃない。あれから千年が経って、さすがに諦念はしている。だがそれでも、慣れることはないのだ。
リリアナはきっと、心優しい人間なんだろう。そしてそんな親に育てられた、幸せな令嬢でもあるのだ。
彼女と一緒にいられることは、舞い上がってしまいそうなほど嬉しい。けれど同時に、彼女は俺なんかにはふさわしくない、と自戒する。
――お前はどうしてこうなった。
――おのれの美貌に溺れ、傲慢になったせいだろう?
だが――
「少しくらいは、この奇跡を楽しんでもいいよな」
そう言うと、
「そうですとも!」とナイフの元気のよい声が返ってきた。「このナイフ、僭越ながら魔術師様の恋をめいっぱい応援したいのですぞ!」
「気持ちだけ、もらっておく。ありがとな」
「ところで魔術師様。このあとは晩餐ですぞ。ご一緒にとられては、どうですかな?」
「そうか!」
飛び起きる。食べることに興味がないから、すっかり忘れていた。
めかしこんで、普通の友人のように共に食事をとるというのは、とても楽しそうだ。ここ一週間ほどはずっと彼女を避けていたしな。たくさん会話をするのにも、いいだろう。
「よし、今の流行の格好をしよう」
「そんな時代物のローブでは、陰気に見えますからな」とナイフ。
ん……?
「お前、俺を陰気だと思っていたのか?」
ナイフが飛び上がる。
「ち、違いますぞ! ローブの話ですぞ!」
「これが俺の一張羅じゃないか!」
ナイフが失言に、あわあわしている。
まったく。気が利くんだか、間抜けているんだか。俺のカトラリーたちは、底抜けに可愛い。
「もういい、ナイフ、怒っていない」
「申し訳ありませんぞ」
しょぼんとしたナイフを励まして。それから呪文を唱え、城の様子をのぞき見る。
「いいか、これから最新流行をいくつか着るからな。一番俺に似合い、リリアナに好かれそうなものを、ナイフが判断してくれ」
「そ……それは自信が……。スプーンかフォークが適任だと思いますぞ」
「三人の中ではお前が一番年上だろ!」
見た目年齢だが。
「生まれたのは同じですーー!!」
ナイフの悲痛な叫びが上がる。が、さらっと無視だ。
「いいか、まずはひとつめ――」
せっかくなんだ、リリアナに良い印象を持ってもらいたい。崩れた顔はどうにもならないんだから、せめて見た目だよな。
そうだ、エスコートを申し出たら、どうだろう。
嫌がるか?
だがリリアナなら、喜んで受けてくれそうだ。
考えるだけで、心が華やぐ。
まさかこの俺が、また恋ができるようになるとはな――




