【マルティナ視点】第5話 異世界者☆
「何なんだ! この恰好は!」
異世界者が宿泊しているというアプル村の宿屋。その一階にある食堂にて私はそう声を荒げた。表情に怒りを滲ませながら自身の恰好を見やる。フリルのドレスに胸当てやガントレットなどチグハグの姿。今にも下着が見えそうなスカートや剥き出しの胸の谷間を抑えながら私はなお激昂する。
「どうしてこんな格好で異世界者に会わなければならない!? きちんと説明しろ!」
「異世界者――勇者殿に気に入られるためだ」
私の怒りなどまるで気にも留めず、ゼルーシア教の使徒である男がさらりと言う。
「騎士団員の制服はお堅く色気がない。それでは勇者殿もお気に召さないだろう」
「は!? 色気って――何を言っているんだ!? 騎士に色気など要らないだろ!」
「いいや必要だ。少なくとも彼らはそれを当然のように考えているだろう」
「どうしてお前にそんなことが分かる!」
「それは私がこの文献を所持しているからだ」
使徒が懐から一冊の本を取り出す。困惑して本の表紙を眺める。だが奇妙な記号らしきものが書かれているだけで判然としなかった。
「これは以前、この世界に舞い降りた異世界者が所持していた聖書だ。この本には異世界者の性格や資質、異世界者が転移先の世界に何を求めているのかが全て記されている」
「……聖書だと?」
「私たちゼルーシア教は総力を尽くし、この本の解読に成功した。本のタイトルは『異世界転移~チートで無双してハーレム築いてスローライフで俺の人生やり直し~』とある」
「……意味が分からない?」
「異世界者は高度な文明社会を生きてきたと推測される。我々が理解できなくとも無理はない。だがこの本こそが異世界者のバイブル。これを熟読すれば異世界者が我々に求めていることが分かる」
「……それがこの恰好なのか?」
「この本によると、異世界に登場する騎士はほとんどが女性、かつ非合理にも防御面より色気を重視する傾向にあるという。つまり君の恰好が異世界者にとってデファクトスタンダードだ」
「ば、馬鹿らしい! そんなことが――」
「それと君の性格も矯正が必要だろう」
使徒がズビシとこちらに指を突きつける。
「これまでの異世界者の傾向から、彼らは気の強い女性、或いは自立した女性を苦手としている。彼らが好む女性は、異世界者の言うことを何でも肯定して、『すごい』とか『さすが』とか思考力ゼロで言うような女だ」
「どんな女だそれは!」
「それと妙にボディタッチが多く、隙あらばラッキースケベを起こすような女だ」
「だからどんな女だ!」
「とにかく、今回の異世界者が勇者である可能性がある以上、君は彼の機嫌を損ねてはならない。私の指示に従い、彼が求めるであろうヒロイン像を演じてもらう」
ギリギリと歯を食いしばる。この私が、騎士団で小隊長を務めているこの私が、そのようなふざけた女を演じなければならないとは。
「……いいだろう。不愉快だが世界のためだ。その屈辱は甘んじて受けよう」
「結構。君が異世界者の嫌うだろう合理性ある女性で幸いだ」
「……一つ教えろ。私たち騎士団はその異世界者がこの世界に害をなす存在であった時、異世界者の始末も検討している。だがそれは勇者を崇拝するゼルーシア教にとって都合が悪いはず。どうしてそれを知ってなお騎士団に協力する」
「我々は勇者の出現を待ち望んでいる。だが君たちに殺されるような異世界者ならば、それは真の勇者とは言えないだろう。ゆえに君たちの行動を咎める必要などない」
「……なるほど。つまりお前たちは私たち騎士団の邪魔をしないと考えていいな」
「君たちの好きにすればいい。だが君たちが異世界者を利用するつもりなら我々の指示に従うのが得策だろう。では早速異世界者と面会しよう。これを付けたまえ」
使徒が小さな小石を取り出す。透明感のある碧い小石。私は使徒から小石を受け取り眉をひそめた。
「……何だこれは?」
「通信石だ。転送石の簡易版で音だけを転送させることができる。異世界者との面会は君だけで行う。私は隣の部屋で会話を聞きながらその通信石で君に適宜指示を出す」
「……分かった」
「くれぐれも普段の調子を表に出さないでくれ。少しだけお馬鹿な女を演じるんだ。それでいて最低限の礼儀はきちんとこなし、異世界者の機嫌を損ねないように頼む」
「……難しいな」
私は深々と溜息を吐いた。
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「サイシュウ・ツルさん――ですね。ではツル様とお呼びして構わないでしょうか」
異世界者の基礎情報を聞き出した後、私はそう無感情な笑顔を表情に貼り付けた。意味なくニコニコと笑って愛嬌だけをふりまく。馬鹿な女の典型を演じている私に――少なくとも私はそう考えている――、異世界者の男が「う……うん」とどもりながら頷いた。
「職業はコウコウセイっと――えっと、確認なんですが、コウコウセイとは学校のことなんですよね。ツルさんはもしかして元の世界ではお金持ちさんだったんです?」
「え……や……違くて……」
「? でも学校に通えるのは貴族など一部の人間だけですよね」
「その……お、俺たちの世界だと学校には誰でも通えるんだ」
「そうなんです? それはスゴイですね。羨ましいです」
「そ、そうかな? 学校なんて面倒なだけだと思うけど……」
異世界者はひどく内向的な少年だった。自身の意見をはっきりと言わず、こちらが訊き返さなければ正確な答えが返ってこない。正直なところ嫌いなタイプの人間だ。
「面倒……です?」
「うん……ほら、学校行くために朝早くに起きなきゃならないし、課題とかを提出しなきゃならないし、テストなんかもあって」
「……それが面倒なんですか? でもそれ普通のことですよね?」
異世界者の表情が露骨に曇る。途端、耳に入れていた通信石から声が聞こえてきた。
『異世界者に正論を突きつけてはならない。話をすぐに逸らせ』
何だそれは。やや苛立ちながらも私は即座に話を切り替える。
「あ、ああっと……それで気付いたらこちらの世界に転移していたわけですね。なるほどなるほど……突然のことにツル様もビックリしましたよね」
異世界者が頷く。その際にちらりと、こちらの胸元と太腿に彼の視線が触れた。ピキリとこめかみが疼く。こんな破廉恥な恰好をしていれば当然かも知れないが、やはり男のそのような視線は不愉快極まりない。
その後も適当に話を合わせながら、異世界者から情報を引き出す。どうやら異世界者の能力は『神の右手』と呼ばれるもので、意識するだけで対象を破壊できるらしい。まったくもって恐ろしい能力だ。
そして異世界者の話で気になったのが、自称女神を名乗っていた女の子の存在だ。いつの間にか姿を消していたというが、一体その女の子は何者なのか。
異世界者はゼルーシア教が信奉する唯一神、ゼルーシアにより選ばれた存在とされている。まさかその自称女神の女の子はゼルーシア本人なのだろうか。
とりあえず最低限の情報はこれで聞き出せただろう。後はダイコール城の奪還の件について話をするだけだ。私は使徒からのアドバイスを参考に、異世界者に向けてぐっと体を乗り出した。
「それで非常に申し上げにくいのですが……ツル様にひとつお願い事があるのです」
「お……おねがい?」
「この村の近辺にはモンスターにより滅ぼされてしまったダイコール城があるのです。今なおモンスターにより占拠されているその城をツル様のお力で奪還してはくれませんか?」
「モンスターから城の奪還?」
「もちろん私もお供いたします。人類はモンスターの脅威より生活圏をどんどんと奪われています。その中、ダイコール城の奪還は人類の反撃の糸口となるでしょう。そのためには勇者様の力がどうしても必要なのです」
「いや……うーん、どうしようかな」
異世界者の歯切れが悪い。まあ確かにいくら能力に恵まれていようと、いきなりモンスター退治しろと言われては困惑もするだろう。そう思っていたわけだが、異世界者の返答は私のその想像の斜め上を行っていた。
「モンスター退治で英雄とかもありなんだけど、スローライフも悪くないんだよね。ほら、何だかんだとモンスター退治って大変そうじゃん。田舎とかでゆったりと過ごすのも悪くないかなって」
「ス、スローライフ……ですか?」
「飲食店を経営するとかもいいよね。料理したことないけど。いやまあ、悪くないんだよ。モンスター退治も。だけどさあ――」
スローライフ? 飲食店? 何を言っているんだコイツは。人類が窮地に立たされている。それを話したばかりのはずだ。なのにどうして、そのようなふざけた発言ができるのか。戦うのが恐い。それだけなら理解できる。一般人なら仕方ないだろう。だがそうではなく、人類が苦しんでいる中で自分だけでもゆっくり過ごしたいというのは――
人として明らかに歪んでいる。
異世界者のあまりに身勝手な発言に咄嗟に怒声が出掛ける。それを食い止めたのは通信石から鳴らされた使徒の冷静な指示だった。
『ダイコール王国の王族を名乗れ』
は? 一体なんの話だ。
『異世界者は姫や聖女など、地位のある女性を好む傾向にある。君が王族の末裔である姫だとすれば、異世界者も君の頼みを無下には断れないだろう』
何だそれは。女の価値を地位で図っていると言ことか。気に入らない。気に入らないが背に腹は変えられない。
『あとついでに泣いておけ。異世界者は女の涙に弱い』
それは異世界者に限らないのでは? ええいもう――やけだ!
「……勇者様」
私は涙を流した。女ならば誰でも嘘泣きができる。と言うわけでもないが、異世界者の発言に感情が高ぶっていたこともあり、案外すんなりと涙が出た。異世界者が露骨に狼狽する。なるほど。確かに異世界者は女の涙に人一倍弱いようだ。彼の動揺を確信して私は口早に言葉を連ねた。
「実は私――ダイコール王国の王族なのです」
「王族……え? じゃあマルティナってお姫様なの」
「はい。ダイコール王国は十年前にモンスターにより占拠されました。私はまだ幼く力がなかった。だから私は騎士団に入隊したのです。いつの日かモンスターから祖国を救い、その雪辱を晴らすために」
「そ、そうだったんだ」
「だからお願いです。どうかツル様のお力を貸してください。ツル様さえその気になれば王国の奪取は容易でしょう。もし力を貸して頂けるなら私――」
あ……勢い余ってなんか言ってしまった。もし力を貸してくれるなら私は何をすればいいのだろうか。ふと考えていると使徒の淡々とした指示が聞こえてくる。
『何でもします――と言うんだ』
へ? いやいくら何でもそれはまずいのでは。だがこれ以上沈黙を続けては異世界者に怪しまれる。ああもう……なるようになれだ。
「ツル様の言うことを何でも聞きます」
異世界者の表情が滑稽なほど輝いたのを見て、私は遅まきながらその失言を大いに悔やんだ。