【ツル視点】第1話 プロローグ
俺は西周鶴。今年十六歳になるどこにでもいる高校一年生だ。
当たり前のように学校に通い、当たり前のように勉強して、当たり前のようにそれなりの会社に就職して、当たり前のように家庭を持ち、当たり前のように死んでいく。
そんな当たり前の人生を歩んでいくような平凡な人間。それが俺だった。だったはずだった。だからこそ困惑している。まさか当たり前の俺の身に――
こんなアニメのようなことが起こるなんて。
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「はぁあああい! さっさと起きちゃってくださいねええええ!」
ゴチンと頭を叩かれて俺は目を覚ました。
「いっつう……あ、あれ?」
周りを眺めて俺は驚く。部屋でスマホいじりをしていたはずなのに、俺はいつの間にか田舎くさい村の中にいた。
「ほらほら! キョロキョロしないでこっちみてくださいよ!」
バットを手にした見知らぬ女の子(10歳前後)が近くにいた。状況がよく呑み込めないが、恐らくこの頭の痛みはこの女の子にバットで殴られたものなんだろう。
「……あ……え……ああ……」
「え? なんですか?」
「う……その……えっと……」
「ハッキリ喋ってくださいよ。 ネットではいつもイキりちらしているじゃないですか」
ネット書き込みは俺の趣味のひとつだ。軽い煽りコメントでもしてやれば、顔を真っ赤にした連中がよく釣れる。鬱屈とした毎日の退屈しのぎにはもってこいなのだが、この女の子は何でそんなことを知っているんだ?
「あっと……き、君は?」
歳下でも女の子と話をするのは緊張する。当然彼女いない歴イコール年齢だ。
「あたし? あたしはね、えっと……そうだね。女神ってことで」
「め、女神?」
「或いは天使」
「て、天使?」
「或いは悪魔」
「ぜ、全然違うじゃないか」
「そうなの? まああたしが何者かなんて何でもいいんですよ。それより貴方です」
「お……俺が何なんだよ?」
「貴方はこれからこの世界を救うために勇者になるんですよお」
は? この自称女神の女の子は何を言っているんだ。この世界を救うための勇者。僕にそう言ったのか? これではまるでアニメや漫画みたいな――
「も、もしかしてこれって異世界転移ってやつ!?」
「はいぃ。そういうやつです」
そう言われると、田舎臭いだけの村が如何にも異世界チックな村に見えてくる。
「そ、そうか……俺が異世界に……」
「貴方とっても聞き分けがいいですねえ。普通異世界だなんて言われても、すぐには信じられないと思うんですけど。あたしとしてはそっちの方が都合良いですけどねえ」
「異世界に……俺が異世界に……俺が漫画の主人公みたいなことに……」
「聞いてませんねえ。そんなことよりもアレを見てみてください」
自称女神が明後日の方角を指差す。俺は困惑しながら女の子の指差した方角を見た。だけど特になにもない。「あれって?」と女の子に聞こうとしたその時――
突然見ていた方向に巨大なドラゴンが姿を現した。
「ひ――ぎゃあああああああああ!?」
俺は悲鳴を上げながら尻もちをつく。アニメや漫画で何万回と見ただろうドラゴン。しかし現実にこの目で見ると迫力が段違いだ。
平和だった村に悲鳴がこだまする。逃げ惑う人々にドラゴンが炎のブレスを吐きかけた。一瞬にして炭へと変えられる村人たち。その現実味のない光景に俺は息を呑む。
「さあ、この世界の救世主たる勇者さん! あのドラゴンをやっちゃってください!」
とんでもないことをさらりと言う自称女神に俺は反射的に声を荒げた。
「むりむりむりむりむりむりむりむりむりむりむりむりむりむりむりむりむりむりむりむりむりむりむりむりむりむりむりむりむりむりむりむりむりむりむり! 無理だって! なにこれ! いきなりなんなの!? ににににににににに、逃げないとおおおおおお!」
「ええ? 勇者がモンスターから逃げるなんてないですよ。ささ、どうぞ一発」
「一発じゃないよ! あんな化物相手にどうしろっていうんだ!」
「大丈夫ですよ。貴方にはチート能力があるんですから」
俺はハッとする。そうだ。異世界転生、或いは転移。そのどちらも大抵はチート能力を獲得しているものだ。
「お、俺にチート能力が?」
「はいい。その能力はずばり――『神の右手』ですう」
自称女神の目がキラリと輝く。
「Right Hand of God。このチートは認知できる事象を握りつぶせる能力です。平たく言うと、貴方が願うのであれば何でもこの世から抹消できる、まさに無双にうってつけの能力ですね」
「うわ! ドラゴンがこっち近づいて来てんだけど! はは、早く逃げないと!」
「ついでに貴方の体もかなり強化してますよ。この世界にいるモンスター程度の攻撃ではノーダメですし、毒なんかの状態異常にも完全耐性。もう完璧さんですねえ」
「うぎゃあああ! また火ぃ吐いてる! 熱い! これ絶対熱いやつ!」
「あのぉ、人の話とか聞いてます?」
不服そうに頬を膨らませる自称女神。つまり俺は誰が相手でも殺せるし、どんな攻撃だろうと無効と言うことか。まさにチート。だがいきなりそう言われても実感がない。
「ノ、ノーダメとか言ってるけど、火とかなんか熱いんだけど!?」
「感覚がゼロになるわけじゃないですしね。でも炎に触れても痛いとかは感じないはずですよ。燃えている場所に思い切って飛び込んでみればそれが分かりますよお」
「むりむりむりむりむりむりむり! もし今の話が嘘だったら死んじゃうじゃんか!」
「嘘じゃないですよ。異世界とかすぐに信じたくせに妙に疑り深いですね」
「命掛かってるからね!」
「仕方ないですね――はい、パチンと」
自称女神が指を鳴らすと、突然目の前に粘液状の物体が現れた。
「な、何コイツ?」
「スライムですよ。貴方たちにとっては定番の雑魚モンスターなんですよね。このモンスターが相手なら怖がらずにチート能力を試せるんじゃないですか?」
「雑魚モンスター……あの……こいつが相手なら殴られても痛くない?」
「普通の人間でも五発は耐えられます」
「五発で死ぬってこと!? めちゃくちゃ強いじゃんか! むりむりむりむりむり――」
「いやもう流石にウザいですねえ。スライムちゃん。もうやっちゃってください」
スライムが飛びかかってくる。いやちょっと待て。どうして自称女神の合図に従ってんだコイツ。尻もちをついていた俺は咄嗟に逃げることができず、スライムのヌメヌメした体で思いっきりひっぱたかれた。
「ぎゃああああ――あ……あれ?」
痛みがない。唖然とする俺に自称女神が「だから言ったんです」と溜息を吐いた。
「貴方にダメージを与えられるモンスターなんてこの世界にはいないんですよ。さあ次はこのモンスターを攻撃してみてください」
「こ、攻撃って……どうすれば?」
「基本的に意識するだけでOKですけど、まだ不慣れなら対象に右手をかざして、こう――ぎゅっと握りしめると良いですよ。体の動きと意識は連動しているので、能力が発動しやすくなるはずです」
「右手をかざして――握りしめる?」
懐疑的ながら言われたことを試してみる。スライムに右手をかざして――ぎゅう! すると直後、スライムの全身が内部から破裂したようにバラバラに弾けた。
「ひぃあああ!」
「ほらできました。この要領で、あそこで暴れているドラゴンもやっつけちゃいましょう」
自称女神が気楽にそう言う。スライムとドラゴンでは圧倒的に体格が違う。スライムを倒せたからとドラゴンに戦いを挑むなんて正気じゃないだろう。そのはずだけど――
「ふ……はは……はははは……」
そんな理屈は、これまで味わったことのない高揚感の前で簡単に吹き飛んでしまった。
「はははははは! す、すごい! 本物だ! マジでチート能力じゃんか!」
「だから初めからそう言ってますよ。それよりも早くドラゴンを――」
「分かってる! 分かってるよ! ふふふ……俺がこの世界の勇者なんだ」
俺は立ち上がってドラゴンへと歩いていく。村を襲っている凶悪なドラゴン。だが先程までの恐怖はもうない。死の恐怖を感じていたドラゴンも、もはや俺にとってはただデカいだけの無力なモンスターに過ぎない。
逃げまどう村人たちの中で俺はドラゴンの前に立ちはだかる。村人たちが俺を奇異の目で見つめている。自殺志願者とでも思われているのか。この村人たちは知らない。目の前にいるこの少年こそが世界の救世主たる勇者であることを。なんて――心地いいんだろう。
「さあ来いよ。格の違いを見せてやる」
どこかの漫画で見たことがあるセリフ。普通なら中二病と揶揄されるところだが、今の俺にこれほど合うセリフもないだろう。ドラゴンが咆哮を上げる。響き渡る村人たちの絶叫。だが俺は冷静にドラゴンへと右手をかざした。そして静かに右手を握りしめる。
ドラゴンの巨体がぎゅっと圧縮され、呆気なく破裂した。