第2章 32 好きになるのは当然
「いつでも盗聴器を仕掛けられるように持ち歩いていたほうがいいな…」
盗聴器を握りしめながら考えた。
だが、このまま剥き出し状態で盗聴器を持ち歩き…万一警察に職務質問を受けたらどうなる?
名前を偽り、身分証明書も偽りなのだ。
あっという間に疑われ…下手をすれば警察に連れて行かれて取り調べをうけてしまうかもしれない。
何しろ俺はこの世界ではまるで異物のような存在…。
本来なら存在してはいけない人間なのだから。今の俺ほど怪しい人間は恐らくこの世にいないだろう。
「まずいな。こんなものを持ち歩いて、警察に捕まれば俺はもう終わりだ…ん?でもこのサイズなら財布に入りそうだな」
ボディバッグから財布を取り出し、小銭入れを開けてみるとちょうどよい具合に入った。
「よし、これなら大丈夫だろう。だがあまり不審者に見えそうな行動は控えたほうがいいな…」
そして早速出かける準備を始めた―。
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スニーカーを履き、玄関を出て戸締まりをするとすぐにアパートの様子を見に行った。
「引越し作業…終わったようだな」
アパートの敷地がある道路前に停車していた運送会社の大型トラックはもういなくなっていた。
「考えてみれば…ろくな荷物が無かったもんな…」
俺はアパートを見つめながら、あのろくでなし親父と暮らしていた頃の惨めな生活を思い出していた。
奴が逮捕されるまで一緒に暮らしていたあの頃は…まるで地獄だった。
少しでも気に入らないことがあれば殴る蹴るの暴行を受け、食事も満足に出来ず、俺は常に飢えていた。
服も靴もサイズが合わない物を身につけ…惨めな生活だった。
そんなどん底生活を救ってくれたのが彩花だった。
彩花は赤の他人の俺を…ただ単に、隣に暮らしているというだけの理由で色々と世話を焼いてくれた。
食事の世話から、時には文房具を買ってくれたこともあったし、土日は遊びに連れて行ってくれることもあった。
そんな年上の優しく、美しい女性を…子供の頃の俺が好きになるのは当然のことだった。
そこまで考えた時、ふと彩花のことが気になった。
「そう言えば…彩花は一体何処へ行ったんだ…?」
着ていた服はフード付きの上着にジーンズ。
特に余所行きの服には見えなかった…と言うか、恐らく生活は苦しかったのだろう。彩花の暮らすアパートの部屋も、殆ど家具らしい家具も無かった気がする。
彼女は貧しい生活なのに、俺の世話を焼いてくれていたんだ…。
「今回はこのアパートに住んでるはずだ…ということは、椎名と恋人関係では無さそうだな」
それだけでも大きな収穫だった。
「この頃の俺は…よくアパートの階段下に座っていたっけな…」
ひょっとして今もいるだろうか?
俺はアパートの敷地に入って行った―。