第1章 29 私の涙
アパートには2台のパトカーがパトランプを回して停車し、夜の住宅街は騒然としていた。
「ほら、すぐに乗るんだ」
警察官に背中を押され、項垂れた様子でパトカーに乗り込むたっくんの父親の様子を私はアパートの物陰から他の野次馬達に紛れてじっと見つめていた。
「たっくんは…どうしているのかしら?」
警察官がアパートに踏み込み、騒ぎが鎮まるまでの間…私はずっと息を潜めていた。
通報したのが私だとばれたくはなかったからだ。恐らく父親は私を疑っているだろうけど、彼はこのまま警察に捕まるだろうから、その間にこれからの事を考えよう。
だけど、気がかりなのはたっくんだった。父親がいなくなればたっくんは1人になってしまう。彼はまだたった10歳の少年なのだ。大人の保護が無ければ生きていけない。
私が…何とかしてあげる事は出来ないだろうか…?
その時―
若い婦人警官に連れられ、たっくんが現れた。
「たっくん!」
私は人目も気にせず、たっくんの元へと駆け寄った。
「あ…お姉ちゃん」
たっくんは驚いた様に顔を上げて私を見た。たっくんの顔には痣が出来ている。
「あの…貴女はどちら様ですか?」
婦人警官は私が突然現れたことにより、怪訝そうな顔を見せた。
「私はこの子のお隣に住む者です。あの…たっくんをどうされるおつもりですか?」
「この子は今夜は警察の方で預かります。その後の事はこちらで対応しますので」
「だ、だったら!私が…私がこの子の面倒を見ます!今までもこの子とは親しくしていたのです!」
しかし…。
「いいえ、それは出来ません」
婦人警官は首を振った。
「何故ですか?」
「貴女とこの子は…赤の他人なのですよね?生憎、その様な方には保護させるわけには参りませんので」
「そ、そんな…」
それじゃ、たっくんは…警察に…?
すると小さな手が私に触れて来た。
「え?」
見ると、たっくんが私の手を繋いで来たのだ。
「たっくん…」
すると、たっくんはニコリと笑った。
「大丈夫だよ。お姉ちゃん。それじゃ…僕、ちょっと行って来るね?」
まるで学校にでも行って来るかのような言い方をするたっくんの姿が意地らしくて、鼻の奥がツンとなった。
「たっくん…私…」
「お姉ちゃん。また会おうね」
「う、うん…必ずまた会おうね?」
私達は手を振りあい…たっくんは父親のパトカーとは別のパトカーに乗せられると、走り去って行った。
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「たっくん…」
野次馬達が去り…私も意気消沈してアパートへ戻った。
「…」
自分の部屋に入る直前、たっくんの住んでいるアパートを見る。部屋の電気は消されて、真っ暗で…それが妙に心に突き刺さり、悲しかった。
バタン…
アパートに戻り、鍵を掛けるとフラフラと部屋に入り…そのまま床に座り込んでしまった。
「たっくん…まさか警察で保護するなんて…」
これでは今後、たっくんはどうなってしまうのだろう?私は…自分でたっくんの保護を申し出るつもりだったのに、却下されてしまった。
警察に通報しないで、助けに飛び込むべきだった?でも女の私が助けに入ったところで無駄だったろう。
先程からスマホが鳴り響いていたけど、出る気力すら無い。
私はたっくんの事だけを考えていた。
その時―。
ピンポーン
インターホンが鳴ると同時に、扉をどんどん叩く音が聞こえた。
「…誰かしら…」
立ち上がり、ドアアイを覗き込んで驚き…すぐに扉を開けた。
「あ…彩花…」
ここまで走って来たのか、拓也さんが息を切らせながら立っていた。
「た…拓也さん…」
「彩花…卓也は…?」
「…遅いよっ!!」
気付けば、私は拓也さんの胸に飛び込み…激しく泣きじゃくっていた。
そんな私を拓也さんは優しく抱きしめ…髪を撫で続けてくれた―。