第2章 134 最後のコーヒーは苦く……
彩花と2人で本屋へ行き、昆虫図鑑を買った後は一緒にカフェに入った。
時計を見ると、既に16時を過ぎていた。もうそろそろ……行かなければならない。
「彩花…このコーヒーを飲んだら…俺、もう行かないといけないんだ。興信所の仕事が入っていて…さ。泊まり込みなんだ」
「え…?」
彩花が俺をじっと見つめる。その目は悲し気に揺れている。
「そ、そっか〜…でも用事があるなら仕方ないよね?それで次…」
「次に会いに来れるのは6月9日になる」
この日、彩花は命の危機に晒される。それを俺が……防がなければ。自分の身を挺して。
「6月9日…たっくんの誕生日の日…」
彩花の唇が震えている。何故だ?彩花‥‥…何故そんなに不安そうにしているんだ?
堪らず声を掛けた。
「彩花?大丈夫か…?」
「え?な、何が?」
「いや…顔色が悪いから心配になって…」
「大丈夫だよ。それじゃ次に会うのは来週だね?何処で待ち合わせする?」
「それなんだけど…悪いけど彩花…前日に卓也を…アパートに泊めてやってくれないか?それで…9時に駅前で待ち合わせをしよう」
俺自身と彩花が一緒の時でないと駄目だ。2人一緒にいないと……同時に守ることが出来ない。
「うん、いいよ。たっくんを泊めてあげればいいんだね?」
「すまない…彩花。本当はもっと一緒にいたいんけど…」
本当は片時も離れたくはない。だけど、教授に最期の別れを告げなければならない。
「気にしないで?誰にでも…事情の1つや2つあるもの」
「その代わり…彩花。もし…無事に6月9日を乗り越えられたら…その時は、多分ずっと…側にいられるから…」
そんなことはあるはず無いのに……俺は彩花に希望を与えたかった。
「え…?ほ、本当に…?」
俺の些細な言葉でも彩花は嬉しそうに微笑む。
「ああ…本当だよ」
「あ、ありがとう…嬉しい…」
「そんなに喜んでもらえると…俺も嬉しいよ」
彩花の手を強く握りしめた。
それか30分後……。
彩花と別れて『時巡神社』を目指した。教授に挨拶をし…6月9日に備える為に。
****
土曜日午前10時5分――。
『時巡神社』に戻ってくると、教授が俺を出迎えた。
「ただいま、戻りました。教授」
「ああ、お帰り。上野。と言っても、俺はここで5分しか待っていないけどな?とりあえずすぐに研究室へ戻ろう」
「え?ええ。分かりました」
教授が少し急かしているように感じる。
そして俺たちは車に乗り込むと研究室を目指した――。
「上野、それで6月9日の予定は決定したのか?」
ハンドルを握る教授が声を掛けて来た。
「え?ええ。決まりました」
「そうか、なら予定を教えてくれ」
教授は今まで一度も予定を聞いてこなかったのに……?訝し気に思いながら頷いた。
「はい、遊園地に行く予定で駅に9時に待ち合わせをしています」
「そうか。9時に駅前で待ち合わせなんだな?分かった」
頷く教授。
「ええ、そうです」
「よし、それじゃ研究室に戻ったら最後の仕上げだな?」
仕上げ……?まだ教授には何か秘策があるのだろうか?
「はい、分かりました」
俺は窓の外を眺めながら返事をした。
「上野、とりあえずコーヒーでも飲みながら話をしようか?」
研究室に到着すると、教授がマグカップを取り出した。
「そうですね。飲みましょう。それじゃ準備しますよ」
コーヒーの準備をする為に立ち上がったところを、教授が止めた。
「あ、いや。いい、俺が淹れるよ」
「え?教授がですか?」
「ああ、大切な俺の助手なんだ。最後位……俺にコーヒーを淹れさせろよ」
しんみりと教授が言う。
「ありがとうございます……」
教授の好意に甘えることにした。
「ほら、飲め」
数分後、2人分のコーヒーを入れた教授が俺の前にカップを置いた。
「頂きます……」
早速、コーヒーに口をつけた。
教授が淹れてくれたコーヒーは……いつもより、苦く感じた――。




