第2章 129 不可能な頼み
彩花の部屋で2人一緒に朝食を食べた後は、2人で卓也の部屋の片付け作業を行った。
あの部屋は既に解約手続きを済ませてある。何しろ、あの部屋にもう戻ってくる者は誰もいないのだから。
卓也……俺は18まで施設に入ることになるし、親父は6月9日に殺人を犯し……刑務所に入るのだ。
そして、彩花の死のループを断ち切る為に……今回犠牲になるのは俺自身だ。
俺はもうすぐ、今の幸せを全て手放さなくてはならなくなる。
だが、自分で決めたことだ。
後悔など決してしない。
だからこそ、今だけは……彩花と恋人同士の時間を楽しもう。
荷造りをしながら心に強く言い聞かせた――。
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アパートの解約後、俺は彩花を誘ってスパへ誘った。
彩花は初めてのスパに興奮し、大喜びしてくれた。そんな姿を見て、本当に連れて来てよかったと心から思えた。
2人で時間を決めて、俺たちはそれぞれ男湯と女湯に分かれて温泉を楽しんだ――。
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風呂から上がると、今度は2人で食事を楽しんだ。
「ねぇ、拓也さん」
ジョッキでビールを飲んでいると彩花が声を掛けて来る。
「ん?どうした?」
「あ、あの…さ、こ、今度また…ここに来ない?」
「そうか。そんなに彩花はここが気に入ったのか?」
そうだな……。あと1回位は来れないことも無いかもしれない。
けれど、次の彩花の言葉で背筋が凍りつきそうになった。
「うん、たっくんも連れてきてあげたいんだ。それで考えたんだけど……たっくんの誕生日はここで3人でお祝いしたいな〜って思ったんだよね」
「!!」
その言葉は浮かれていた俺の頭を冷やすには十分だった。
生日……6月9日。運命の日。
この日に今の幸せは粉々に砕け散ってしまう。
「拓也さん?どうかしたの?」
彩花が心配そうに声を掛けて来た。
「え?な、何が?」
何とか返事をするも、心臓は早鐘を打っている。
「何がって…。すごく顔色が悪いから…大丈夫?どうかしたの?」
「別に、どうもしないよ」
ごまかす為にビールを一気飲みした。
「けど…」
まずい、俺は今彩花を不安な気持ちにさせている。
「ごめん、彩花。まさか卓也をここに誘うなんて、考えてなかったから驚いただけなんだよ。俺は卓也の誕生日には遊園地に連れて行こうかと思っていたからさ。まさか彩花はスパを考えていたとは思わなくて」
何とか……何とかごまかさなければ……俺は必死に弁明した。
「な、なんだ…そうだったの?突然顔色を変えるからどうしたのかと思っちゃったよ」
その後もいくつか会話のやりとりをし……ようやく彩花は納得してくれた様子だったが、それでもどこか元気が無いように感じる。
「どうかしたのか?彩花。なんだか元気が無いように見えるけど?」
彩花の気持ちが知りたくて、彼女に尋ねた。
「う、ううん。そんな事無いよ。ただ…6月9日、遊園地に行くなら雨にならなければいいなと思って」
「ああ、それなら大丈夫だって。ほら、前にも言っただろう?6月9日はきっと…いや、必ず晴れるから」
「随分、はっきり言い切れるよね?もし違ってたらどうするの?」
彩花がじっと俺を見つめて来た。
「大丈夫。絶対の自身があるさ」
腕を組んで頷く。
「本当?なら…賭けない?」
「賭け?」
「そう、賭けだよ」
「よし、いいぞ。なら彩花は雨が降るに賭けるんだな?」
「うん、雨に賭けるよ」
彩花は自信ありげに頷く。
「よし、分かった。それじゃ俺は晴れに賭ける。そうだな…もし俺が勝ったら…一緒にホラー映画観に行ってもらおうかな?」
「うっ!」
「来月公開予定のホラー映画があるんだけどさ、1人で映画観に行くのは味気なくて…彩花が一緒に行ってくれると嬉しいんだけな?」
だが……その日が来ることは決してないのは分かり切っていた。
「い、いいよ…。な、なら私がもし勝ったら…」
「勝ったら?」
「たっくんを引き取って育てたいの…お願い、協力して…」
「…!」
彩花は不可能な頼みを願い出て来た―—。




