第1章 15 まだ10歳なのに
「あの…どうして、今夜は何もおこらないと言う事が貴方に分るのですか?」
この人は…たっくんの父親の事なんか何も知らないくせに…。そう思うと、つい口調が強くなってしまう。
すると彼は言った。
「それはね、俺が興信所の人間だからだよ。実はある人物から…卓也君の事が心配だから逐一報告をして欲しいって頼まれているんだ」
「え…?それは誰に頼まれたんですか?」
すると彼はおどけた様に言った。
「おっと、俺が話せるのはここまでだよ。依頼主の事は話せないからね」
「たっくんの事を調べているから、今夜は何もおこらないって言えるのですか?」
どうにも胡散臭い話だ。
「そうだよ。対象者は卓也君だけど、当然そうなってくると彼に関わる周囲の人達も調査対象になるからね。それで…卓也君の父親は、今夜は帰って来ない。アルバイトでガードマンの仕事に行っているからね」
「え…?アルバイト…?一応働くことはあるのですね」
つい本音がポロリと口から出てしまった。
「あ、ああ。確かにあんな男だけどね。働かないと生きていけないから、生活がぎりぎりになったら臨時のアルバイトに行く…そんな感じさ。だけど…普通の父親のように働いたり、子供の世話なんか見やしない…最低な男だ」
その声には怒りが込められている。きっとこの人も…たっくんの事を心配しているのだ。だけど…。
「たっくんの事、心配しているんですね」
「え?あ、ああ。まあね…」
「曖昧な返事をする彼に、再び苛立ちが募って来る。
「だったら…何故ですか?」
「え?」
「たっくんを監視していたなら、あの子がどれだけ父親から酷い目に遭わされているのか見てきたはずですよね?どうして助けてあげようとしないのですかっ?」
「それは…俺はあくまで彼の監視をして報告をするだけの依頼を受けて…いるから?かな…」
どうにも歯切れが悪い言い方をする。
「…ええ。分りますよ。つまりは…虐待を受けている子供を助けずに見て見ぬふりをしているって事ですよね?関わるのが面倒臭いって事ですよね?」
思わず攻撃的な言い方をしてしまう。
「いや、俺は別にそこまでは…」
狼狽える彼に更に言った。
「たっくんは今夜は1人で過ごすって事ですよね?誰もいない部屋で…ひとりきりで…しかもまだ、たった10歳の子供なのに!」
「そ、それは…」
言葉につまる彼の前を私はそのまま横切った。早く帰ってたっくんの様子を見に行かないかと。
「あ、ちょっと待って!俺が今夜、君の所へ来たのは…!」
後の言葉は雑踏の音にかき消されて聞き取れなかった。
「全く…一体何しにあの人はここへ来たのよ…」
それより、早く帰らなくちゃ!あの人のせいで余計な時間を使ってしまった。
そして私は駅まで小走りで向かった―。
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ホームで電車を待っていると、彼がハアハアと息を切らせてやって来た。
「や、やっと…見つけた…」
「な、なんなんですか?ここまで追いかけて来るなんて…やっぱりストーカーですか?」
やだ…顔はいいかもしれないけれど、ストーカーなんて受け入れられない。すると彼は慌てた様に首を振る。
「違うって。そうじゃないよ。今電車が人身事故で止って動かなくなるから他の交通手段にした方がいいって伝えに来たんだよ」
「え?だって…動いているじゃないですか?」
今のところ、人身事故のアナウンス等聞いていない。すると―。
『ただいま、お隣の駅で列車がお客様と接触する事故が起こりましたので、一時運転を見合わせて頂きます…』
突然、ホームに人身事故のアナウンスが流れ始めた。
「そ、そんな…」
「ほら、俺の言った通りだっただろう?」
「え…?」
私は隣に立つ彼を見つめた―。