第1章 14 不思議な男性
その日の夜はたっくんへの罪悪感であまり眠る事が出来ずに…朝を迎えてしまった。
「たっくん…大丈夫なのかな…?」
布団から起き上がった私は隣の部屋の壁をじっと見つめ、ため息をついた―。
結局私が出勤するまでの間…隣の部屋は静まり返っており、たっくんと父親の様子を窺い知ることが出来なかった。
「でも大丈夫…静かって事は…何も無いって事だよね…?」
私は自分に言い聞かせると、戸締りをして仕事に向かった―。
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「はぁ…気が重いわ…」
職場の駅に着いた私は溜息をついた。昨夜会社の前で椎名さんに強引に誘われて、見知らぬ男性に助けてもらった記憶が蘇る。
「職場で何か言われたらどうしよう…」
私は憂鬱な気持を抱えながら、会社へ向かった―。
出勤して間もなく、隣のデスクの2人の女性社員同士が話をしていた意外な事実を耳にした。
「え?椎名さんが?」
「ええ、何か上の方でトラブルがあったらしく…昨夜いきなり解雇されたそうなの。何でも噂によると女性関係らしいのだけど…匿名で通報があったらしくて、事実関係を尋ねたら認めたらしいのよ。さっき社長室の前を通った時、専務と話している会話を聞いちゃったんだから」
「女性関係って…やっぱりあの噂は本当だったのかしらね~」
女性関係…?
その話を耳にした私は心臓の動機が激しくなってきた。
女性関係のトラブルって…一体何?
確かに私は日頃、椎名さんの誘いに困っていたけれども、それ位の事でわざわざ会社がクビにするとは思えなかった。
何故なら私なんて、取るに足らないちっぽけな存在なのだから…。
そう、きっと私では無い…他の誰か、別の女性に手を出して椎名さんはクビにされたんだ。そうに決まっている…。何か朝礼で会社から発表があるに違いない。
私はそう思っていた。
けれど、結局のところ…椎名さんが何故会社をクビにされてしまったのか、真相は分らずじまいだった。
何故なら会社の朝礼で、椎名さんは一身上の都合で会社を辞めたと一方的な社長の話で終わってしまったからだった。
でも、椎名さんが会社を辞めた本当の理由を私は知りたいとも思わなかった。
だってこれで私はもうあの人に怯えて仕事をする必要が無くなったのだから―。
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午後6時―
退勤時間になったので私は急いで帰り支度をした。早く帰ってたっくんの無事を知りたかったからだ。
「お疲れ様でした」
帰り支度を整えた私はまだ仕事で残っている男性社員の人達に頭を下げると、急いで会社を後にした。
「え…?」
会社を出た私は驚いた。何故ならすぐ傍に置かれた自販機の隣で昨夜私を助けてくれた男性が立っていたからだ。
「あ、お帰り。仕事終わったんだね」
その人は私を見ると笑みを浮かべて声を掛けて来た。
「え…?こんなところで何をしているのですか?」
「うん、待っていたんだよ。仕事が終わるのを」
「待っていたって…ひょっとして…」
まさか…ストーカーだとか?!
すると私の考えが分ったのか、その人は慌てた様子で言った。
「あー、違う違う!ストーカーだとか…そんな怪しい人間じゃないから安心して」
そんな事を言っても私からすれば十分怪しい人間に見える。
「一体、何の用ですか…?」
警戒心を露わに尋ねた。
「うん、実は俺…こういう者なんだ」
彼はデニムのジャケットから名刺入れを取り出すと、手渡して来た。
「…」
訝しみながら名刺を受け取った。
「上条…拓也…?興信所…?」
え?どういう事…?しかも偶然だろうか…。漢字は違うけど、たっくんと同じ名前だ。思わず、じっと見つめると彼が首をかしげて来た。
「何?どうかした?」
「いえ、貴方は興信所の人だったのですね」
改めて彼を見れば、確かに普通のサラリーマンには見えない。デニムのジャケットにジーンズ姿で一般企業の会社勤めはまずありえないだろう。
「それで?興信所の人が一体私に何の用でしょうか?用件なら手短にしてもらえませんか?私、急いで帰らなければならないんです」
すると彼が意外な事を言った。
「あの少年の事を気にしているんだろう?だったら安心していいよ。今夜は何も起こらないから」
「え…?」
この人…何故、私の考えていたことを知っているの…?
私は目の前に立つ彼…上条さんをじっと見つめた―。