第2章 61 言えない言葉
彩花に言われて上がり込んだ部屋。
玄関を上がると4畳の台所の奥に6畳の畳の部屋。
そこに置かれたパイプベッドに、2人で向かい合って食事をした小さなテーブル。
何もかもが15年前の俺の覚えている光景そのもので、懐かしさのあまり目に涙が浮かびそうになって来た。
「…ッ…」
「どうかしましたか?」
不思議そうな顔で彩花が尋ねてきた。
「い、いえ。この子が…可愛そうで…」
自分の気持ちをごまかすために、咄嗟に俺は自分をだしに、言い訳をした。
「そうですか。…上条さんて優しい人なのですね」
咄嗟についた嘘なのに、彩花は好意的に受け止めてくれたようだ。
「とりあえず、その子を部屋に寝かせてあげて下さい」
彩花に言われ、俺は卓也を抱えたまま畳の部屋に入って寝かせた。
「う…」
畳に寝かせた途端、卓也が痛そうに呻いた。
「あ、悪い。大丈夫か?」
子供時代の自分自身だからこそ、慎重に降ろしたつもりだったがそれでも卓也は痛かったようだ。
「だ、大丈夫…」
卓也は目を潤ませながら俺を見た。
「無理するな。子供なんだから、我慢しないで痛むときは痛いって言って構わないんだぞ?」
大人になればそうそう痛くても訴えられないからな…。
「南さん」
背後にいる彩花に声を掛けた。
「はい」
「すみません、包帯とか…湿布薬とかありますか?」
「ええ、あります!すぐに用意しますね」
彩花は立ち上がると押し入れの引き出しを開けて、少しの間ガサゴソと何かを探していたが、やがて救急箱を取り出すとテーブルの上に乗せた。
「どうぞ、こちらをお使い下さい」
「ありがとうございます」
お礼を述べて受け取ると、すぐに卓也の怪我の手当てを始めた―。
「よし、これで大丈夫だろう」
「…ありがとう…」
起き上がった卓也は頭をさげると、彩花が声を掛けた。
「私の名前は南彩花と言うのよ?お名前教えてくれる?」
「僕‥‥上野卓也っていいます…」
「上野卓也君…なら、たっくんって呼んでもいいかな?」
たっくん…。
俺が呼ばれたわけでもないのに、嬉しくて再び胸に熱いものがこみあげてきた。
もう一度、彩花の言葉でその名を聞けるとは夢にも思っていなかった
「……」
ふと視線に気づくと、卓也が俺をじっと見つめている。
しまった!目が赤くなっていたのだろうか?
ごまかすために俺は笑いながら卓也を見た。
「奇遇じゃないか。上野卓也っていう名前なのか。俺は上条拓也って言うんだ。同じ名前だな?」
「え?お兄ちゃんも…?」
「ああ、そうだ。俺はこのアパートの道を隔てた向かい側のマンションの103号室に住んでるんだ。何か困ったことがあれば、助けてやるからな?」
いつでも助けてやるとは言えなかった。
何故なら、もしこの世界で彩花を助けられなければ…ここを去るのだから――。




