五
もう日が沈んでから、瑞希は駅に向かって歩いていた。
「ごめんなさい。今日は先輩の手伝いがあったのでした。一緒に帰れません」
里子は先輩が立ち上げた劇団の旗揚げ公演の準備を手伝うために劇場に改造された倉庫へとさっさと消えていった。
「用事があるなら誘うなよ」
悪態をついても誰も聞いてはいないが、口に出さないと気が晴れない。仕方なく一人で駅へと向かった。駅までは歩けば十五分くらいかかるが、それでも今は歩きたかった。瑞希は観光客の隙間を縫うように足を運んだ。
歩きながらジャンクショップでの出来事を思い出していた。スカートのポケットに入れてあるメモリーカードを指でもてあそびながら、個人情報の漏洩という可能性について考えていた。一般的に広まっているのなら同じクラスの梶原健介が知らないはずは無い。だとしたら今日のような会話を教室でするわけも無く、真っ先にカマを掛けてきただろう。
それにしても、あの老人はいったい何者なんだろう。
考えた所で答えなど出ない。分かっていても考えていないと落ち着かなかった。
倉庫街から運河の橋をわたり、魚市場を抜けると既に既に使われていない連絡船が係留されている。その横に建てられた大きなショッピングセンターは不況のあおりでいまだ閉鎖状態だが、連絡船のほうは久しぶりに塗り替えられて綺麗になっていた。それは思い出というには余りにも巨大な鉄の塊だった。
船の脇を抜けるとすぐに駅が見える。あいにく列車は出たばかりで、次の列車に乗るためには一時間半は待たなければならなかった。
「これだから田舎は」
瑞希は東京から越してきた友人の口調を真似てつぶやくと、踵を返して駅前のインターネットカフェに向かった。別にわざわざお金を払ってインターネットをする必要もないのだが、ここのコーヒーはその辺の喫茶店よりおいしいし、クッキーがこれまた最高なのだ。
それに、次の対戦相手の情報収集をしたかったし、そうする事でさっきの出来事を忘れていたかった。
「コーヒー」
店に入り受付でメニューを確認すると瑞希は機械的に注文をした。
「あれ、瑞希ちゃん?」
注文を受けた店員のお姉さんが営業以上のスマイルを瑞希に浴びせ掛けてきた。
「え。はい」
誰だかわからなかった。ツインテールの茶髪の髪にパッチリとした二つの目、サーフィンでもしているかのように焼けた肌とピシッと決めたスーツ風のユニホーム。いくら頭の中を検索しても条件に当てはまる知り合いがヒットしない。
一所懸命に思い出そうとして睨んでいたようだ。
「そんな怖い顔しなくても、美鈴だよ」
その名前で検索すると案外簡単に見つかった。幼馴染でおなじ高校に通う斉藤信二の三つ上の姉は、今地元の市立大学で情報工学を学んでいる。瑞希はなんとなくこのお姉さんが苦手である。自分にうそをつかないというか、正直に生きている感じが、偽りの人格をかぶって生きている瑞希には少しばかり胸の痛みを感じさせるからだと思う。
「お久しぶりです。あんまり美人になっていたもんでわかりませんでしたよ」
瑞希は精一杯の笑顔に少しお世辞を交えて挨拶をした。
「あら、私はあなたにはじめて会う前からずっと美人よ」
それは正しいかもしれない。けれど二年ぶりに見た美鈴の外見は以前と違いすぎていた。
「信二とはうまく行っているの」
「うまく行っているもなにも、それ以前、というかそれ以下です」
そういえば信二とも最近話をしていない。中学生まではよく信二の家に遊びに行き、そこで美鈴にハッカーのいろはを教わった。
「あ、3番使ってね。クッキーはサービスしちゃう」
注文を済ませて席に着き、自分のファンサイトと予想サイトを回ってから、協会の公式サイトの掲示板へ向かう。対戦の実況スレッド、結果の批評スレッド、順位の評価スレッドを順番にまわり一通りレスを読破すると、山盛りのクッキーとともにコーヒーがやってきた。
「昨日はお疲れさま」
制服が妙に似合っている美鈴は、瑞希の頭をなでてレジへと戻った。
美鈴もS級の資格は取得している。最近は大学での課題に追われているのか予選通過もままならない成績だが、ことハッカーに関して言えば美鈴は瑞希の先生であった。だから瑞希のハンドルネームも知っている。
瑞希はさっきのジャンクショップの件を思い出した。彼女から情報が漏れたかもしれないと考えた。しかしすぐにそう考える自分に嫌気が差して、その考えを飲み込むかのようにクッキーをひとつ放り込んだ。
ノーザンイヤーについての情報は少なかった。S級必須であるのフリーキングマッチ以外への参加の実績が無かったし、数少ない戦績の多くはたいした情報を与えてはくれなかった。
限りなく最下位を維持している彼女に取り巻きは多くはいなかったし、当然ながら彼女について論じているサイトも皆無だった。ただ、対戦評価スレッドと予想スレッドでは、昨日の対「スモールストーン」戦の結果を踏まえた大穴の予感を示唆していた。
彼らは次の対戦相手であるウエストアイ――つまり瑞希との対戦を注目していた。S級合格以来ベスト八をキープしている瑞希には、それは思いも寄らぬプレッシャーとなった。
「勝たなければいけない」
瑞希は初めてそう思った。そしてそう思った自分に驚いた。