三
里子の彼氏でさえ同行を辞退する場所というのは、最近はやり始めたアクセサリーショップである。高校生の間ではかなり人気で、学校前の坂を降りた海沿いの旧倉庫街にその店はあった。今はその本来の目的として使われていない古い煉瓦造りの倉庫は、主に観光客目当てのお土産屋を中心とした店舗や、ビアホール、劇場などに衣替えしていた。
小さなアクセサリーショップの店内は今日も地元の高校生と観光客がひしめき合っていて、興味の無いものにとっては入るのを遠慮したくなる光景だった。実際、客の何人かが連れてきている片割れは、遠くの喫煙所か裏の書店に行くほかは無かった。
里子はその店に特注で作らせた装飾品を身に付けている。
「頼んでおいた作品ができたんです」
坂道を下りながら里子はうれしそうに言った。
全く興味が無いわけでもないし、そうした方が少しは人生楽しいような気もするけれど、瑞希はアクセサリーを身に付けて歩くといった気分になれなかった。只でさえ猫をかぶった人生にこれ以上の飾りは必要ないと思っていた。
「今度の誕生日になにか買ってあげましょう」
「え、いいよそんな」
里子の家は金持ちだ。家は豪邸だし、車はベンツでなはくロールスロイスだ。里子は時どきご馳走してくれたり、プレゼントをくれたりするけれど、瑞希はたいていの場合、里子のこういった行為を断ることにしている。だからこそ二人は長続きしているのかもしれない。
里子はそういったことを鼻にかけるような性格ではなかったし、どちらかと言うと天然ボケの印象を他人に与えるので、友人には恵まれていた。けれどその財力目当てに近寄ってくる輩は小学生の頃から絶えなかった。だから里子はそう言った類の人間を見抜く才能をいつのまにか身に付けていたし、彼らを相手にするすべも心得ていた。
「外でまっているね」
いつもの事だが店の人ごみをみると中に入るのをためらってしまう。
「そうですか、いいですよ。そこで待っていてください」
里子は目の前のベンチを指差すと、慣れた足取りで通路いっぱいに広がる客の間をすり抜けてレジへと向かった。
瑞希はベンチに腰掛けて、隣りに立つ赤い自動販売機で手に入れた缶コーヒーを一気に飲み干すと、空になった缶を素手でつぶして近くの空き缶回収箱に投げ捨てた。
倉庫の入口では、大学生くらいのカップルが記念写真をとっている。かわいらしい女の子に、いまいちぱっとしない男。よくある組み合わせだ。地図を持っているので観光客だろう。腕を組んでいるのはちょっとだけうらやましい気もするが、瑞希にはそう言った相手も、そういう気分にさせてくれる人もいない。だから寂しいというわけでもなかった。
その横に見慣れない制服を着た集団がいた。修学旅行の中学生だ。目の前のお土産店で後輩に買っていくものを決めかねている。瑞希は修学旅行でお土産選びに時間がかかってバスに乗り遅れそうになった事を思い出した。あの時は里子が悩みすぎたからだったが、里子は絶対にそれを認めない。
「人の記憶なんて曖昧なものですよね」
里子は自分に都合の悪いことはすぐにそう言ってうやむやにした。
通路の反対側に目を移すと、派手なアクセサリーをつけた通学かばんを足元に放り出し、地べたに座って化粧直しをしながら、地元の女子高生が大声で話をしている。この街でも有名な私立のミッション系女子高校の生徒だった。ミッション系といえば「お嬢様」という幻想を持つ男も多いが、彼女たちはお嬢様のかけらも持ち合わせていない。
里子にどうしてミッション系私立に行かなかったのかと聞いた。
「だって話が合いそうに無いと思って」
そう真顔で言った後「あそこの制服好きじゃないんですよ」と笑って付け加えた。
観光客のカップルも、修学旅行の卒業生も、ジベタリアンの女子高生もみんな楽しそうに笑っている。けれど本当のところ、生きていくのが楽しいなんて思ったことがあるのだろうか。瑞希は自分の事を振り返って、結局「よく分からない」という言葉で締めくくる事にした。
ジーンズにTシャツ、背中にリュックをしょった二十歳くらいの男が瑞希の目の前を横切った。秋葉原スタイルの男に興味を引かれて、瑞希はその男を目で追った。彼は二件はなれた見慣れない構えの店に入った。先月ここにきた時はなかったはずだが、気づかなかっただけかも知れない。瑞希は里子を待っていることも忘れて立ち上がった。
「ジャンクショップ」
入口にはカラーインクジェットプリンターで印刷されたと思わしき文字で小さくそうかかれた紙が張ってあった。店の外にはプラスチック製の箱がいくつか並べられていて「オール百円」とかかれた細長いダンボールの切れ端が立てかけてある。箱の中には大小さまざまなコンピューター用のパーツが無造作に放り込まれていた。瑞希はその箱の中からSIMMと呼ばれるメモリーをひとつ取り上げた。既に現役引退した規格で、容量は八メガしかない。この街でこういったの店は見るのは初めてだ。中学の修学旅行で秋葉原を探索したときのことを思い出して心が躍った。
秋葉原――。東京の中心にあってハッカーの聖地とも言われるその場所は、大小さまざまな電気店がひしめきあい、コンピューター用のパーツに限らずソフト、電子部品、盗聴器など何でも取り扱っている巨大な電気街だ。中学の修学旅行で初めて目にした秋葉原は大きくてとても魅力的だった。びっしりと立ち並ぶビルの隙間を通り抜ける黄色い電車も、駅前の大通りを目的の店に躊躇無く向かう男たちも、裏通りで行列のできるラーメン屋も、余りの狭さにすれ違う事の出来ない階段も、すべてが新鮮だった。瑞希は高校を卒業したら東京へ行こうと思っている。とにかく秋葉原の近くで生きてみたいと思っていた。
メモリーを箱に戻すと、今度は店の中を覗き込んだ。最初に目に入ったのはりんごマークのノートパソコンだった。それはいまだこだわりを捨てきれない一部のハッカーには熱烈な支持を受けているが、瑞希にとっては興味の無い物だった。薄暗い店内に入ると、今にも壊れそうなスチール棚がただでさえ狭い店内を埋め尽くしていて、その棚では早々と役目を終えたパーツたちが静かに再生のときを待っていたが、そのほとんどは埃で覆われていた。この店の主は生業ではなく趣味か惰性でやっている様に違いない。
「うわぁ」
瑞希は宝物でも見つけたかのような声を出し、ゆっくりとそれらの棚を一つ一つ見て回った。その大半は実際のところ今ではなんの役にも立たないものばかりで「クラシックマシン」の修理用パーツとしての需要がわずかにあるだけでだ。
さらに進むと、ガラス棚に飾られた八インチのフロッピディスクドライブを見つけた。それはジャンクというよりアンティークだ。「完動品」とかかれた札が、すでに利用価値の失われたその機械の歴史的価値をここまで上げているのだろうか。値札についている丸の多さは尋常ではなかった。
ふと瑞希の頭に、この店がこの街でやっていけるのだろうかという疑問が浮かんだ。この地域の商圏はせいぜい四十万人だ。こんな歴史的価値も無いジャンクにそれほどの需要があるとは思えない。
拡張ポート、マザーボード、CPU。棚に並べてあるパーツは、奥に進むたびにコンピューターの心臓部に近づくような感覚を瑞希に与えた。
「あった」
瑞希は二年前に壊れて動かなくなった端末のパーツを見つけて思わず声をあげた。
その端末はハッカーとしてのデビュー戦に使用したもので、当時は最新型、今はごみでしかない代物だが、瑞希にとっては思い入れのある機械である。壊れた時は一晩泣き明かし、次の日は一日中半田ごてを振り回していた。何度も秋葉原へ飛ぶ計画を立てたのだけれど、結局そのために貯めていたわずかなお金は新型の機械を購入する費用の一部となり、思い出はクローゼットの中へしまい込まれた。
瑞希はそのパーツをもう一度確認し大きく頷くと、それを抱きしめたまま店員のいる店の奥に進んだ。さっきまでの考えは既に瑞希の頭から消えていた。自分の求めるものがそこに存在していたという事実が、この店の存在意義を瑞希の中でゆるぎないものにした。
今ではまったく見ることのないボタン式のレジスターと積み上げられた古いパソコン雑誌の隙間にその老人は座っていた。
「これ、ください」
瑞希は着ている服装に負けないようこの場所に不釣合いなかわいい声を作った。いくらハッカーが一般的になりつつあったとしても、セーラー服でジャンクパーツを買う自由を認めるほど日本は、いや社会は進歩していなかった。けれども瑞希はそこでも普通の女子高生を無意識に演じていたのである。
レジの近くに並べてある中古のアダルトソフトを真剣な目で選別していたサラリーマン風の男が、セーラー服姿の瑞希を見つけてばつが悪そうにストレージデバイスの棚へ移動したが、その手にはしっかりとピンク色のケースが握られていた。
「二千円」
老人は眼鏡を持ち上げて商品を覗き込むとそれだけ言った。
「ありがとう」
瑞希が財布から二千円札を手渡して機嫌よく店を出ようとしたとき、その老人が瑞希に声をかけた。
「あんたに渡すものがある」
瑞希がこの老人に会ったのは初めてだった。それに名前を名乗ったわけでもなければ、ここに来たのもまったくの偶然だ。見ず知らずの老人にあんた呼ばわりされる事も、何かを渡される事も考えられない事だった。
「人違いじゃないですか」
瑞希は老人のほうへ向きなおり、警戒しながらもゆっくりとそう言った。
老人は表情をまったく変えることなくレジの机の引出しから一枚のメモリーカードを取り出した。それは鍵の形をしたタイプで、最新型のパソコンにはそのスロットが標準装備されているし、外付けのスロットも三千円程度で手に入る。鍵と一緒にキーホルダーにつけても違和感が無く、デザインも豊富なので人気がった。
「セーラー服でここに買い物に来るようなお嬢さんはこの街にそう何人もいるとは思えないんだけどね」
老人はメモリーカードを見つめたままそっけなく答えた。
「何のことですか」
瑞希は出来るだけ平静を保つよう努力しながら笑った。それでも声は少し震えていたかもしれない。
「間違いないと思うよ、ウエストアイ。あっちの世界ではあんたは有名人だからね」
殴られた。そう感じるくらいの衝撃だった。心臓の鼓動が平常の倍以上に早くなる。もしかして顔写真が出回っているのかもしれない。住所も電話番号も学校名もすべてだ。そんな恐怖が一瞬の内に瑞希の心に流れ込んできた。
老人はメモリーカードを手渡すと、瑞希の心情を悟ったかのようにやさしく話し掛けた。
「心配しなくていい。こっちのあんたを知っている人はそう多くはいない」
瑞希は安心していいのかどうか判断できなかった。
「どうして」
「そのうちわかるさ」
ジャンクショップの老人は、瑞希の問いにそれだけ答えると店の奥への消えていった。アダルトソフトを物色していたサラリーマン風の男はすでに姿を消していた。瑞希は手渡されたメモリーカードを見つめたまま、しばらくレジの前に佇んでいたが、納得いかない思いを無理やり胸にしまいこんで逃げるように店を出た。そしてずいぶんと動揺していたためか、店を出たとたん前を通りかかった女子高生の胸の中に飛び込んでしまった。
「大丈夫?」
彼女は瑞希をしっかり受け止めた。瑞希の目の前には大きな胸が視界を遮っていて、その上には少女マンガに出でてくる王子様のように整った顔がにっこりとわらったまま乗っかっていた。
「すいません」
急いで体を離すと深々と頭を下げて瑞希はまたも逃げ出すかのようにその場を離れた。
最悪の一日だ。