三
里子はメモリーカードを受け取ると、最新型のノートパソコンに接続しようとして手を止めた。
「どうしたの」
「なんだか今はまだ早い気がするんです。それに、これではパワー不足なんですよ」
里子はメモリーカードを大事そうに引き出しにしまうと、彼女が参加できなかったYUKIとのお茶会についてたずねた。今日はそれを話すためにここに来たのだ。
「じゃあ、彼女は最初から目覚める気が無かったってことなんですか」
「たぶんね。とんだ茶番よね」
「でも、きっと大事なプロセスだったんですよ」
「そうかな」
里子は瑞希をじっと見つめていた。そして静かに言った。
「うちの母もね、若い頃YUKIに会ったことがあるっていってました」
瑞希は、病院に担ぎこまれた時の里子の母親の言葉を思い出していた。
「運命」
里子の母親とYUKIとの関係をそれ以上聞きたいとは思わなかった。それは今よりもっとYUKIに深入りする事であり、瑞希の望む事ではなかったからだ。
「そうね、そうみたいね。それにわたしも会ったのよYUKIに」
「え」
「上田さんの刀が刺さったあと、彼女がわたしの前に現れたんです。そして言ったんです」
里子は瑞希の顔を見て微笑んだ。瑞希はたまらず聞き返した。
「なんて」
里子は少し考えているような顔をした。
「内緒でした」
里子は笑って布団の中に潜った。その時かすかに里子の顔が赤くなったのを瑞希は気づいた。
ノックの音がして、信二が申し訳なさそうに顔を出した。
「ごめん、これ買っていたら遅くなった」
信二が差し出した箱は、瑞希のそれと同じだった。笑い出した二人に戸惑いながらも、信二はテーブルの上の空き箱をみつけ、そして一緒に笑った。久しぶりに笑った。
信二が買ってきたケーキは、里子の好きなスフレのチーズケーキと、やはり瑞希がお気に入りのチョコレートケーキだった。
「あれ、このチョコケーキ」
「これ大好きなんだよ」
瑞希は嬉しかった。けれどそれを里子に悟られないように気遣った。それでも里子は気づいたみたいで、瑞希の顔見て笑っていた。
「あれ、イチゴのミルフィーユは」
瑞希は里子の注意を別に移そうとした。
「何だよそれ。おまえそんなの好きなのか」
瑞希は里子と目を合わせて、今度は二人で笑った。信二は自分だけわからない会話に一人でふくれているようだった。
「じゃあわたし帰るね」
紀子は二人に気を使ったつもりでそう言った。
「うん」
思いっきり明るい声で答える里子に少し腹が立ったけれど、今回はけが人だから大目に見てあげる事にした。
「それにしてもずるいな。二人だけで楽しんじゃってさ。今度は俺も誘ってよ」
信二が少し残念そうに呟いた。
「冗談でしょ。もう沢山よ」
瑞希は病室の入口から顔だけだしして言った。
「わたしは平凡に生きる事に人生かけているのよ」
ちょっとだけ舌を出してから扉を閉めた。瑞希は扉の前でもう一度同じ台詞を口に出さずに復唱してから、踵を返して走り出した。看護士の注意する声を振り切って階段を駆け下りると、瑞希は赤く染まる夕日の空の下に飛び出した。