三
「何があったんですか」
美香は息も絶え絶えに、それでもしっかりとした口調で里子に問い掛けた。帰りがけによくソフトクリームを食べる公園のベンチにすわった。里子は難しい顔をしていて、美香が心配そうな顔を近づけたのも最初気づかなかった。
「キスしますよ」
里子は初めて美香の存在に気づいたかのような表情だった。
「工藤美香さんでしたよね」
今度は美香が驚いた。確かに親衛隊などといってまとわりついていた時期もあったけど里子が自分の名前を覚えていてくれるとは思ってもいなかった。
「わたし名前を覚えるのは昔から得意なんです」
何か言おうとして口を金魚のように動かしている美香をみて、里子はやさしく微笑んでくれた。そして突然訪れた謎の女が原因で、店の親父が縦に真っ二つになったことを簡単に美香に告げた。
「わたしあの店にいたんです。証人になりますから警察に行きましょう」
そういう美香の顔をまっすぐに見つめて、里子は決心したように微笑んだ。
「そうね。それがいい」
二人が立ちあがったとき。目の前にさっきとは違う少女の影が現れた。
「里子って両刀だったんだ、注意しないとね」
ソフトクリームをなめながら二人の前に立ちはだかった池田瑞希を見たとき、美香は、これは双子の姉か妹で絶対本人ではない思ったほどだった。学校での彼女とは明らかに違う登場の仕方だった。目立たない普通の女子であったはずの目の前の少女は比類なき自信家に見えた。
「違います。それより」
美香は里子の顔を見た、里子はまっすぐ瑞希を見ていた。見詰め合う二人から美香ははじき出されたような寂しさを感じた。そのときにはこの二人に友情が存在することを美香は認めていた。そして池田瑞希が阿部里子の引き立て役ではないことを知った。
不意に瑞希がからだをずらすと、さっきまで彼女がいた場所を日本刀が切り裂いた。美香は油断した事を悟ったが既に遅かった。瑞希のすぐ後ろにさっきの少女が怒りとともに立っていた。
「ウエストアイか」
振り向いた瑞希を見た少女の顔は少しだけ曇った。美香は思いがけない単語を耳にして当惑していた。今そこにいるのが憧れのハッカーであるという事よりそれが池田瑞希という目立たない先輩だったという事に衝撃を受けていた。瑞希はしかし動揺することなくまたかという表情で応対した。
「あんただれ」
長身の少女は明らかにやりずらそうな顔をながらも瑞希の問いかけに無視を決め込んでいた。二人はしばらくにらみ合う形になった。
先に動いたのは背の高いほうだった。彼女は刀の先をまっすぐと瑞希に向けて走りこんできた。向かって来る刀を慣性にそってはじき返した瑞希は一瞬後悔を顔に出した。はじかれた日本刀とそれに付属している肉体は瑞希の後ろにある壁に突進したはずだった。しかしその先にあったのは壁ではなく、里子だった。
日本刀を抱えた長身の少女はそのまま里子へ倒れこんだ。いや最初から里子を狙っていたのかも知れない。しかし里子の表情は痛みではなく悲しみから来るものであった。
里子の胸の中で美香は低いうめき声を出していた。
どうしてこんな事が出来たのか分からなかった。でもおなかに刺さる痛みは、麻痺しているのかほとんど感じなかった。引き抜かれた剣の跡に吹き出す赤い液体を見て、美香はもうだめかもとぼんやり考えていた。背の高い少女はしかめっ面をすると美香の視界から姿を消した。
今日は運が良かった。里子と話せたし、ウェストアイにも合えた。でもそれで運を使いきったんだな。頬に温かみのある冷たい液体が触れたのを感じて、美香はゆっくりと目を開けた。滴り落ちる涙を拭こうともしない里子を見ていると、春に見た舞台を思い出す。あの時も先輩は友人を失って泣く役だったな。あの時の里子は素敵だった。美しかった。
「今は私のために泣いてくれているんだ」
美香は胸に掛けていたICチップを使ったネックレスを引きちぎると里子に渡した。お別れの挨拶をしようと口を開いたが言葉にならなかった。里子がしっかりと手を握ってくれている。どれだけで十分幸せだった。
「美香ちゃん」
里子の最後の言葉を聞いて、美香は永遠の眠りについた。