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メインフレーム(2004)  作者: 瑞城弥生
11/29

 帰り道の途中にあるコンビニエンスストアーでポテトチップスを一袋買って、瑞希は自分の部屋に戻っていた。少し先のスーパーのほうがいくらか安いけれど、ほかに買い物も無いのでわざわざスーパーまで行く労力が値段差に値しないと考えて止めた。

 瑞希の両親は公務員だが両親とも多忙な部署にいるので帰ってくるのはいつも夜の十時を回っていた。自家用車通勤なので飲んで帰ってくることはほとんど無かったが、本当に忙しいのか、忙しい振りして残業しているのか定かではなかった。

 夕食は、そんなわけで瑞希が作る事が多かった。中学のときからテスト期間以外の平日は毎日自分で作らなければいけなかったのでレパートリーも増え、オリジナル料理に挑戦することもあった。それはたいてい見た目はそれなりだったが味は保障されなかった。


「いつ嫁に行っても恥ずかしくないな」


 ある日父親は笑ってそう言った。春に三者面談があった日だ。そのときは比較的暇な部署にいた父親が「俺が行くよ」といったのでちょっと驚いた。それまでそう言ったことはすべて母親の役目だったからだ。理由は案外と簡単だった。瑞希にはそう思えたが父親の心境はそんなに割り切れるものでは無かったはずだ。その年の四月に母親が課長になった。

 父親は出世とかにさほど興味がない様に振舞っていたが、自分の妻に先を越されたのには少し堪えたらしい。その日は遅くまでテレビを見ながら日本酒を飲んでいた。男女共同参画とかいう方針のおかげで、絶対数が少ない女性職員にもそれなりのポストを用意しなければならない人事の都合がそうさせたんだと母親は弁解していたが、感情というのは理屈だけでは如何しようもならないときがある。瑞希にもそれはわかっていたので、その日は父親の隣に座って一緒にテレビを見ながらコーヒーをすすっていた。

 今日は二人とも遅くなると聞いていたので、冷蔵庫の残り物で何か作ることにした。薄切りの豚肉にチーズをはさんでカツにし、どんぶりにご飯、キャベツ、カツを乗っけてソースをかけた。シメジのお味噌汁も加えると結構豪華な晩御飯になった。


「ご馳走さまでした」


 誰もいない食卓から食器を片付けると、インスタントコーヒーを入れたカップを持って、瑞希は自分の部屋に向かった。

 瑞希の部屋は2階にあった。部屋は六畳の個室で、窓は南向きだった。勉強用の机と端末を置く机がならべてあり、足の下にはサーバーが積み重ねられていた。本棚には少女漫画、ライトノベルの文庫、学習参考書、サーバーのマニュアルや解説本がぎっしりと詰め込まれていて、本棚に入らないものは床の上に積み重ねられていた。ベッドだけは女の子らしいピンクのカバーが掛けられていて、足元ではクマのぬいぐるみが笑っていた。

 制服を投げ出し、短パンと半そでのシャツといういつもの部屋着に着替えた瑞希は、机の上にある端末の電源を入れた。OSが起動するまでの間、瑞希はジャンクショップの老人がくれたメモリーカードを眺めていた。一見何の変哲もない鍵型のメモリだが、それには容量が書いてなかった。どのメーカの製品でも外装に容量を記載するのが一般的だったから、それが特別な鍵であることは瑞希にもなんとなく分かった。しかし、そのときの瑞希は何か変だった。普段ならそんなことするはずもなかった。

 瑞希はコンピュータにログインすると手に持っていたメモリカードをなんのためらいもなくスロットに差し込んだ。

 その時初めて瑞希はわれに返った。得体の知れない周辺機器をメインマシンに無造作に接続するなどハッカーとしては考えられない初歩的なミスだった。

 瑞希の端末はすぐにキー入力を拒否し、画面には見慣れないコマンドが次々に実行されていた。復旧を試みてあれこれ考えていた瑞希はすぐにそれらが単なる時間の無駄だと悟った。こうなった場合の唯一の手段は電源を切ることだけだった。しかし電源ボタンさえ瑞希の要求を受け付けなかった。この端末の電源スイッチは機械式でなく電気式だったのだ。瑞希は意を決して無停電電源装置の電源をはずしにかかった。ハードディスクがクラッシュするかも知れないが、そんなことは言ってられない、今はそれしか方法がなかったのだ。

 電源に手をかけたとき瑞希の目の前が真っ白な光で覆われた。無停電電源装置も、お気に入りのぬいぐるみも、山積の本も、入れたてのインスタントコーヒーも何もかも目の前から一瞬で消え去った。


 そこにはただ真っ白な世界が広がった。


 机の下に這いつくばるような格好だった瑞希は、そのまぶしさに圧倒されながらもゆっくりと立ちあがると、わずかに慣れてきた目をこらして目の前に広がった新しい世界を見まわした。

 何もないその空間の遥か遠くに、少女が一人立っていた。

 その少女は真っ白なワンピースを身にまとっていた。髪は胸に届くほど長く、目はしっかりと正面を見据えていた。整った色白の顔が日本人形を思い出させ、短めの袖のワンピースの裾はくるぶしまであった。


「おはよう」


 その少女はまっすぐと瑞希を見つめていた。


「ここは」

「私の夢よ」


 そういえばどうしてここにいるのだろう。瑞希は今の自分がどうなっているのか不思議でたまらなかった。目の前にある空間が現実ではない事は理解できる。だとすればそれは――。


「夢」


 論理的ではない現象が起きたとき「これは夢に違いない」と自分が認識している事を認めようとしないのは人間の本能なのだろう。これは夢なのだ。けれどこの夢は瑞希のではない、ここにいる少女のものなのだ。


「とても素敵でしょう」


 ただ真っ白い世界にその少女の笑顔だけがその存在を主張しているかのようだった。瑞希は知る必要があった。この少女と世界の関係を、そして自分がいまどうなっているのかを。瑞希は覚悟を決めてその少女を見返した。


「あなたは誰?」


 まるで記憶喪失の患者のようなセリフだと瑞希は心の中で苦笑した。その少女は微笑んでいた。ただ微笑んでいるだけだった。答えを促してもただ微笑んでいた。

 やがて少女はゆっくりと瑞希に近づくと、その白い両手を伸ばして瑞希の頬に触れた。


「たすけて」


 少女はまるで楽しんでいるかの表情のまま、全く正反対の台詞を口にした。表情と台詞とのギャップに、瑞希はその言葉を生まれてはじめて聞いたかのような錯覚に陥った。


「いまなんていったの」


 聞き返した瑞希を微笑んだ顔が覗き込む。いきなり助けを求められてもどうしたら言いか分からないし、この少女にはそういった緊迫感が感じられない。


「説明してくれないと分からないんだけど」


 瑞希の突き放した言い方は相手をひるませることは出来なかった。

 少女は瑞希を側を離れるとまるで魔法使いがステッキを振るかのように大きくてを回した。すると目の前に食卓テーブルが現れ、その上にはティーカップとイチゴのミルフィーユが二つずつ並べらた。ティーカーップからはアッサムティーの匂がした。

 少女が薦めるまま椅子に座った瑞希はあることに気づいた。この世界が彼女のものであることに、彼女の思いのままに出来る事に。もししかしたらわたしの命でさえ――。


「あなたの命までは奪えないわ。だけど意識ぐらいなら何とでもなるの」


 香りを楽しむしぐさをして紅茶を一口含むと彼女は瑞希の考えを見透かしたかのように静かに口を開いた。


「助けて欲しいのは事実よ。でもこれはお願いじゃないの」


 命令なんだよと言う含みを持たせてたその少女の口元がゆがんだ。


「あなたならわかるでしょう」

「わからない」

「雪が降るのよ」

「まだ夏よ」

「そうね。でもきっと。そのうちわかるわ」


 瑞希は意識がもうろうとして来たのを感じた。まるで睡眠薬を飲まされたかのように、自分の意志に反して目の前の景色がゆがんでくる。失いかけた意識の中で瑞希は確かにその少女の言葉を聞いた。


「また会いましょう」


 程なく瑞希は意識を失った。


「瑞希、いるの?」


 母親が帰宅した物音で瑞希は目を覚ました。どのくらい倒れていたのだろう。外は既に真っ暗で、瑞希の部屋もコンピューターの冷却ファンの音だけが一定のリズムを奏でている暗闇だった。瑞希は床に仰向けに転がってぼんやりと天井を見めた。真っ白な天井のクロスがさっきの夢を思い出させた。


「なんだいるんじゃない」


 心配そうな顔をした母親が部屋の電気をつけたので、瑞希は考えを中断しなければならなかった。


「ごめん。寝てたみたい」

「ちょっと心配しちゃった」


 安心したのか母親は少しだけ舌を出してわらった。時どき少女のように振舞う母親を瑞希は嫌いではなかった。それどころかうらやましかった。


「何時?」


 瑞希は立ち上がりながら聞いた。少し頭が重い。背中にも少し痛みを感じる。


「十時過ぎ。もちろん午後のね」


 よく見たら母親の顔がほんのりと赤い。


「飲んできたの?」

「ちょっとよ」


 母親はパソコンのつけっぱなしは電気の無駄だと言い残して自分の部屋に消えた。父親が帰ってくる音を聞いたのはその直後だった。

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