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メインフレーム(2004)  作者: 瑞城弥生
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 可奈は、来た時と反対側に向かい突き当たりのドアを開けた。ひんやりとした廊下の壁も床もコンクリートで出来ていて、数少ない照明がかろうじて床面を照らしている。冷たい空気と一緒にコンクリートのにおいが紀子の鼻を刺激した。

 わき目も振らず通路を進む可奈に置いて行かれないよう足早に歩く紀子の前に、大きな扉が立ちはだかった。扉には鍵が、その横にはセキュリティー用のプッシュボタン付メモリーカードリーダーが取り付けられていた。

 可奈はメモリキーを差し込んで、どうやって覚えたのか二十桁にも及ぶ暗証番号を人とは思えない速さで入力すると、扉の鍵をまわして扉を開いた。鍵の開く音が廊下に響き渡る。可奈は扉の向こうの真っ暗な空間に消えた。


 室内の照明が付くのを確認してから紀子は部屋の中を覗き込んだ。地下室はじめじめとして暗い。そんなイメージとははるか遠く、この部屋の環境はすばらしかった。適度に利いている冷房といい、程よく管理されている湿度といい、明るすぎ無い照明といい完璧な電算機室だった。十メートル四方の空間にはE,W,S,Nの文字が刻まれている四台の巨大な基幹用スノウサーバーが整然と並べられていて、それぞれがCVCFを脇に従えていた。管理用の端末のほかこの部屋とサーバー郡を管理するためのものや、外部のネットワークとの中継ぎを担当する機械がそれらと別に部屋の一角を陣取っていた。部屋の中は火災でも問題なく消火できる窒素ガス消火設備が備え付けられていたし、先ほどの通路にあった発電機室には停電時にこれらの電気を十分まかなうほどの発電機が設置されている事は容易に想像できた。


 紀子は基幹用サーバーをはじめてみた。会社にあるサーバーなど問題にならない大きさだ。もちろん大きいからすごいという訳でもないが、紀子は何となくそのすごさを感じた。

 その反対側はガラスだった。中が暗いのでよく見えないが部屋になっているらしかった。紀子は好奇心からそのガラスに近づいた。

 部屋だった。中の設備は以前研修で見たクリーンルームのようで、高さが五メートルもあろうかという冷蔵庫と思わしき物体が中央を占拠していた。紀子はその巨大な冷蔵庫の壁面に四文字のローマ字を見つけた。


「YUKI」


 紀子はその名前に聞き覚えがあった。

 いや、ハッカーなら誰一人としてその名前を知らない人はいない。


「オリジナルメインフレーム」


 日本に十二台あるメインフレームはすべてユキシステムを搭載しているが、そのオリジナルマシンの名前を「YUKI」という。それはネット上での伝説だった。紀子も一時はそれらの伝説を扱っているサイトをまわったが、伝説という名の噂でしかないと結論づけるしかなかった。


「ユキシステムは自ら進化するプログラムだ」


 高校一年の基礎情報処理の時間にそう習った。人の知識を貪欲に取り込み、それをもとに思考し、自分自身のプログラムを書き換えてゆく。今の時代でもそれは驚異的な話だった。その進化があまりにも急速で、人を超える存在になりかけたとき、人は彼女を深い眠りにいざなった。人を超える存在は「神」でしかなかったからだ。特に信仰の厚くない日本においても、人はそれを恐れたのかも知れない。ユキシステムの生みの親は苦悩の末、彼女の思考部分のプロセスを停止させたのだ。記憶と処理の能力は彼女の「意思」とは別に完璧な仕事をしていたし、ユキシステムとスノウサーバーによる日本のネットワークを再構築するのはもはや困難だったため、ユキは眠ったまま静かに生き続けていた。


 安全のため、すべてのメインフレームは設置場所もその名前さえも最高機密として扱われた。なんと言う名前のなんと言うサーバーがどの都市のどの施設にあるか分かっている人はほんの少数である。この大学の人間でさえ、ここにメインフレームが存在する事を知らないに違いない。

 ただの直感だけで、紀子はこれがオリジナルのメインフレームの「YUKI」である事を悟った。

「なんだかわかる。これ」

 紀子の横にいつの間にか可奈がいた。まっすぐと「YUKI」を見たまま彼女は腰まである髪をかきあげた。


「眠り姫よ。もうずいぶんと眠っているの」

「これはYUKIなんですよね」

「そうよ」


 少し間を置いて可奈は言葉を続けた。


「彼女は最高機密なの。わかる?」


 可奈は少し意地悪な少女のような顔になっていた。


「親不孝者になりたくなかったらね」


 紀子は一番の親不孝は親より早く死ぬ事だと何かで読んだのを思い出した。


「どうしてつれてきたんですか」


 そうだ。この人はわざと私をここへ連れてきた。そして浅野もそれを知っていた。あえて秘密を教えるような危険をどうしてこの人たちはしたのだろう。


「彼女を起こそうとしている人たちがいるの」


 可奈は険しい表情でユキを見据えていた。


「だから手伝って欲しいのよ」


 紀子にはよく分からないことだった。S級とはいえ駆け出しの自分にメインフレームを扱える自信は無かったし、第一そうする事がいい事なのか判断がつかなかった。


「選択する権利は無いの。あなたはそうする事になっているのだから」


 可奈はそう言いきった。


「なんですかそれ」


 言い切られた紀子の方は釈然としない気持ちになったが、多分そうするしかないのだろうとも感じていた。この人はすごく大きな力で動いている、そうでなければここに、眠り姫のベッドに紀子を連れてくるなんてことは出来ない。


「誰ですか、かってに。此処は部外者立入禁止ですよ」


 紀子があきらめて返事をしようとした時、後ろから大きな声がした。驚いて振り返るとくたびれたポロシャツにジーパンの、学生というには少し年をとり過ぎている青年がしかめっ面で入口に立っていた。

 可奈が青年に鋭い視線を投げつけた。紀子はその視線に氷のような冷たさと、説明しようも無い恐怖を感じた。それは青年も同じようだった。半歩下がって目を伏せた。


「どうやってここへ入ったんですか」


 一度ひるみながらも責任感という勇気を搾り出して青年は追求した。


「浅野にかぎを借りたの」


 青年は誰だそれという顔をしたのは無理もないことだ。高校生ぐらいの小娘が五十に手が届くようなおじさん、しかもユキシステムズの顧問でもある教授を呼び捨てにしたのだから。青年は少し考えて「浅野教授のことですか」と遠慮がちにたずねた。


「他に誰かいるの」

「失礼ですが、先生とはどういったご関係で」


 青年はそれでも信用したそぶりを見せなかったが、それは当然だった。日本でも有数の最高機密の部屋に女子高生のような二人組がいる事は理にかなっていなかった。紀子は童顔でたまに中学生に間違えられるし、可奈の方は見間違えることの無いほどに女子高生の外見だったからだ。


「愛人よ」


 可奈が少し意地悪に答えると、青年は一瞬驚きながらもさらに怪訝そうに眉毛をしかめて「そうですか」といった。納得したような気もしたが、だとしたら浅野はそう言った生活をしているのだ。そう考えて紀子の眉毛も中央に寄った。可奈は相変わらず無表情な顔で青年を見ている。


「とにかく教授に確認しますから一緒に来て下さい」


 青年がここに出入しているという事は、彼がこの部屋の管理を任されているのだろう。部屋に入った時点で扉は閉まっていたし、扉はオートロックだった。鍵を持っていないとこの部屋には入れないのだからそう考えるのが妥当だろう。

 研究室に入ると、浅野は帰り支度を済ませていた。


「どうして部外者を下の部屋に入れたりするんですか」


 青年は部屋に入るなり可奈に声をかけようとした浅野を制して問いただした。強い責任感のためか少しばかり興奮した口調だった。


「部外者?」


 浅野は意味がわからず問い返した。ゆっくりと室内の三人を見回してそれから納得したように言葉を続けた。


「山口には言ってなかったな」


 山口と呼ばれた青年が不安げに浅野をみた。浅野は謝罪の意味をこめたつもりかぼさぼさの頭をかみむしった。


「こちらはユキシステムズ渉外部調査課の田澤参事だ」


 渉外部も調査課も紀子にはなじみの無い部署だった。それだけにその部署が機密を扱う部署だろうとは理解した。それに山口の驚愕する様子が手にとる様に感じられたからだ。山口がとっさに敬礼したのはどうしてなのか紀子には分からなかったが、その上下関係だけははっきりしていた。


「失礼しました」


 まっすぐにそろえた山口の足がわずかに震えている。


「ついでに教えておこう。彼女は伊集院名誉教授の一人娘なんだよ」


 山口の顔がまた曇った。無理もない。伊集院名誉教授、つまりユキシステムズの会長は齢八〇歳になろうとしている老人だ。常識で考えれば、こんな若い娘がいるなどと考えられない。山口はそう思っているのだろう。紀子も同じように考えていた。しかし彼が考えた末出した答えは案外とつまらなかった。


「ご養子でいらっしゃいましたか」

「馬鹿言うな。れっきとした実の娘さんだよ」


 驚きを通り越して唖然としている山口の顔を真顔で見つめながら、浅野はわらった。


「頭の中、つまり記憶だけはな」


 その青年がその答えを理解することは不可能だったにちがいない。彼は「失礼します」とだけ答えて実験室のほうへ消えていった。


「さっき愛人だっていっておいた」


 紀子は山口に同情せずにはいられなかった。


「それは光栄。女子高生の愛人なんてみんなにうらやましがられるな」


 浅野はさらに大きな声で笑った。

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