小競り合い
難しい局面になっているため、久しぶりに有識者や資料に当たりながら続きを考えています。慎重に更新していくことになると思います。
以前述べた通り、この世界でもチベットは辛亥革命のどさくさに紛れて武力による再独立を果たした。このため、中華民国やその他の軍閥とは紛争状態にある。
一次大戦がはじまると中華民国側でタイミングよく政争が起きていたこともあって一時的な平和が訪れたが、これが終わるとチベットと周辺の軍閥は青海省東部や西康省東部(今の四川省西部)の支配権をめぐって軍事衝突を起こすようになった。
「漢人たちに奪われし父祖の地を取り戻すのだ!」
これらの地域はチベット人が多く住み、彼らの間ではチベット固有の領土であると考えられていたため、それを取り返すのは当然の権利であると考えていた。後援する日英もこれを支持している。
「チベットの主張はもっともである。日本としては特に止める道理がない」
「あの国にはもう少し力と戦争経験をつけてもらった方が極東のパワーバランス上都合がいい」
……両国の思惑はだいぶ違ったようだが、ともかくチベットは大国の後ろ盾と大義名分をもって攻勢を仕掛けていき、1922年までに回族系の軍閥である馬家軍──某戦略級シミュレーションシリーズでは西北三馬として知られている──を壊滅させて青海省全土の支配権を確立。西康省東部を支配する四川軍を圧迫した。
「チベット軍の士官級以上は日英の士官学校を卒業した者が多く、一兵卒に至るまでよく訓練されている。兵器の質もよいため、支那の地方軍閥程度なら簡単に蹴散らせる実力がある」
もはや恒例となったチベット高原での山岳戦訓練の傍ら、チベット陸軍を観察していたとある日本軍士官はこのような報告書を帰国後に提出しており、軍閥との紛争や欧州での従軍経験を経てチベット陸軍が大きく成長したことがうかがい知れる。
そんな調子であったから、四川軍単独でチベットに対抗することはもはや誰の目にも不可能であった。
「四川軍は中華民国の統制下に入ることにする……異民族にいいようにやられるよりはましだ」
四川軍の指導者であった劉湘は、中華民国の傘下に下り、その代わりに増援を派遣してもらってチベットに対抗することを決意する。チベットもツァイダム盆地の埋蔵資源を元手に国力の増強に努めていたが、人口の差はいかんともしがたく、前線の戦力差は完全に逆転した。
「私が欧州で見た日本軍は遥かに兵力で優るドイツ軍を打ち破ってみせたぞ! 我が軍も守勢ならば中国軍なぞ恐るるに足らないと証明してみせろ!」
ツァロンが鼓舞した通り、日英に鍛え上げられたチベット軍の練度は相当なもので、自分たちのホームである山岳戦では無類の強さを発揮し、中国軍の攻勢を何度も跳ね返す。だが、中国軍から来てくれる分には対処できるものの、チベット軍から攻勢に出ることは困難であった。
多大な犠牲を払ってまで得る価値のある地域ではないこともあり、戦線は膠着することになる。
某戦略シミュレーションだと指揮官や師団の経験値がおいしい時期ですね。ですがゲームではないので、この状況を黙ってみていてくれるはずもなく……