時にはこれからの話をしようか
「ありのまま、さっき起こったことを話すぜ!『俺はシュナイダートロフィーに負けたと思っていたら次回開催地が日本になった』」
「何を言っているかわからねえと思うが……頭がどうにかなりそうだった……」
「催眠術だとか裏取引だとか、そんなちゃちなもんじゃねえ」
「もっと恐ろしい腹黒紳士の片鱗を味わってるぜ……」
「山階さんと奈良原さんは何を言ってるんですか」
奇怪な言動をしている耀子と奈良原に対して伊藤がいぶかしげに声をかけた。
「いや、ありのまま今起こったことを話していただけだけど」
「……こうやって大げさにふざけると、少し冷静になれるって山階さんに前教えてもらったんだ」
耀子と奈良原が事の次第を伊藤に話す。
1924年のシュナイダートロフィーレースは、結局イギリスが勝利した。日本勢は武部の2着が最高で、最終直線でエンジンがヘタり始めていたドゥーリトルとモルセッリをかわしたものの、前を飛ぶブロードを差し切ることができなかったのである。しかし、次回大会の開催権を手にしたイギリスは、1926年の開催地を東京に設定したいと打診してきたのだ。
「え、シュナイダートロフィーって、勝利した国が次回大会の開催権を得るんですよね?」
「得られるのは『開催権』そのもので、『開催地になる権利』ではない。だから、イギリスが『日本で開催したい』と言えば、それが通るということらしい」
伊藤の問いに奈良原が悩ましげに答える。
「オーストリアあたりだったら安心できるんですけど、イギリスですか……」
「一応、向こうにも利がある提案ではあるんですよ?現場のあれこれを全部開催地の日本に押し付けられるという」
「初出場の日本があれだけのレースをしたわけですから、50万人以上の集客は固いでしょう。それを捌くとなると、確かに大変ではありますが……」
3人は頭をひねって考えるものの、結局イギリスの思惑はわからず、「まあとりあえず、せっかくのホーム開催なんだから勝てる発動機を作ろう」ということになって解散した。
「日本が東京をシュナイダートロフィーレースの開催地として提供することに同意しました」
「そうか、よくやってくれた」
イギリス首相のボールドウィンは航空大臣のテンプルウッド子爵からの報告に満足げにうなずく。
「しかしいいのですか。せっかくのホーム開催をわざわざ捨てるようなことをして」
「これは日本に対する貸しであり、世界の秩序を守るために必要なことなのだよ」
テンプルウッド子爵は不満そうだが、ボールドウィンは意に介していない。
「必要なこと?」
「この前の朝鮮半島を見たかね?日本が地震で弱体化したとみるや否や、すぐに裏切ってロシアについたじゃないか。あのあたりは日本を憾み、嫉妬している国が多すぎるうえに、我が国も含め、列強の利権が複雑に絡み合っている。まるで10年前のバルカン半島のようだとは思わないかね?」
ボールドウィンのヒントを聞いて、テンプルウッド子爵は自分の視野が狭窄していたことを思い知らされ、目を見開いた。
「……!つまり、余計な事を考える連中が出てこないように、日本には『アジア最強』であってもらわなくては困る、と」
「そういうことだよテンプルウッド卿。未開人の多いあの地域には番犬の存在が必要不可欠だ。そしてその番犬にふさわしいのは誰がどう見ても日本であるのは疑いようがないだろう。……どうもロシア人と新大陸人は理解していないようだがね」
少なくとも、今の大英帝国にとって、大日本帝国は信頼できるパートナーなのである。もっとも、耀子たちは、まさかイギリスがそこまで自分たちを買ってくれているとは思っていなかったのであった。
「それじゃあ、大正天皇陛下は御隠れになる前に裕仁殿下へ譲位できるわけですね」
「併せて私もようやく予備役に編入され、侍従武官長も退任することになる。爵位と貴族院議員の議席も信輔に継承して、表舞台からは完全に引退するつもりだ」
年末。耀子は夫や子供を引き連れて実家にあいさつに来ていた。家族は思い思いの人物と交流しており、自分と父を気にしている者はいない。
「今まで本当にお疲れさまでした。こうして前例ができれば、次の裕仁殿下も大変なご苦労をなさらずに済むことでしょう」
「皇位を継承して1年もたたないうちに、国際的な航空機競走が自国で開催されるというのも、それはそれで大変だろうけど……むしろ権威付けになると考えたほうがいいだろうな」
実際のところ、裕仁は史実通り1921年から摂政として事実上大正天皇の業務を代行しており、少なくとも国内において彼の権威を疑問視する者は誰も居ないのであるが。
「……これから、いよいよ昭和になるのですが、日本は無事に発展していくことができるのでしょうか」
「それはお前たちの頑張り次第以外の何物でもないだろう。だが……今、現時点の話をするなら、ここから我が国が没落するなど想像がつかないな」
日本経済は関東大震災で大打撃こそ受けたものの、政府の大規模な財政出動と復興政策によって急速に立ち直ってきている。テイジンがけん引役となって様々な産業が活性化し、経済規模も技術力も、確実に史実を上回った。特に有機材料技術は間違いなくトップを独走していて、これに支えられた軽量な日本製航空機は高性能の代名詞になっている。
「とはいえ、やっぱりロシアとアメリカが不気味ですね……」
「たしかにな。韓国の一件でもわかった通り、あの国は少しでも隙を見せたら我が国を蹴落とそうとするだろう。だが、耀子が昔話してくれた"史実"と違って、今の日本にはたくさんの仲間がいる。それもこれも、耀子の努力の結果だ」
大英帝国を筆頭に、オーストリア、フランス、トルコ。対ロシアという面で見ればドイツも仲間に加わってくれるだろう。スペインやイタリアとも特に因縁はないから、彼らが敵対してくる可能性は低い。
「そんな、言いすぎですって」
「そうかなあ……まあ、おかげで私は、馬と戯れながら穏やかな老後を送れそうだよ」
そう語る煕通の顔は、今まで耀子が見た中で最も晴れやかであった。
これで完結……とは言いませんが、かなりキリの良いところまで話はまとまったかと思います。
これからどうなるかは作者にもまだわかりませんが、次の話から一気に年代が飛ぶんじゃないでしょうか。
作者に天啓が来るまで今しばらくお待ちください。




