試製曲射歩兵砲
1903年5月。
ロシア軍が国境を越えて大韓帝国領内で軍事基地建設をはじめ、一気に事態が緊迫する中、国内某所でこの世界の軍事史に残る演習が行われた。
この日の想定は"塹壕と多数の機関銃を使い3線にわたる防衛線を某国領内に築き上げ、居座っている敵性国家勢力に対し、我が方はこれの排除を試みる"というものであった。
どう見ても対ロシアを意識しており、防衛側に割り振られた兵士はあまりいい気持ちはしなかったが、今回の演習のために全国からかき集められた大量の保式機関砲(6.5mm弾を使うように改造されたホチキス機関銃)を見て機嫌を直していた。
一方、攻撃側に割り振られた兵士は、今回試す新戦法のために猛訓練を重ねており、のほほんとしている相手方に目に物を見せてやろうと息巻いていた。
演習は攻撃側陣地からの苛烈な砲撃から始まる。しかし、この時から既に様子が変だった。
遠くに見える三十一年式野砲の数に比べて、明らかに砲声の聞こえる回数が多いのである。しかも、第一線の兵士たちは、きちんと塹壕内に隠れていたのにもかかわらず、次々と戦死・負傷判定をもらってしまう。理不尽な状況に防衛側は次第に混乱の度を強めていった。
砲撃開始から20分ほど経過すると、今度は防衛側第一線を覆うように煙幕弾が撃ち込まれ、これに紛れるように攻撃側が全線で銃剣突撃を敢行した。塹壕内に躍り込まれた防衛側第一線の兵士たちは恐慌状態に陥る。
「煙が邪魔で弾が当たらん!」
「くそっ!司令部に増援を要請するんだ!」
云われるまでもなく司令部は第一線に対して予備兵力を投入しようとしたが、タイミングよく第二線に砲撃が行われ、思うように進まない。そうこうしているうちに第一線の数か所が突破されたうえ、攻撃側がその突破口から第二線になだれ込んでくる始末であった。直前まで砲撃にさらされていた第二線は、この突撃への対応が遅れてしまう。
「俺の腕は超一流だぜ!貴様らなんざ、恐るるに足らないぜ!」
「大和魂を見せてやる!」
士気旺盛な攻撃側は、第二線の塹壕内にもなだれ込んでいった。防衛側司令部は当然第二線に予備兵力を送ろうとするが、今度は第三線が砲撃にさらされており、第一線の時と同じように限定的な反撃しか行えない。
「おい、どうしてもう第二線まで攻め込まれているんだ!だれか説明しろ!」
「どうやら攻撃側の連中、第一線をまともに制圧しないで、そのまま突破できたところから順次第二線に突っ込んだようです!」
「なんだと!?あいつら、命が惜しくないのか!?」
常識的に考えれば、まともに退路を確保しないで敵陣の奥へ奥へ進んでいることを意味している。伊地知幸介少将率いる防衛側司令部にしてみれば、正気の沙汰ではなかった。
「いやー大谷君は容赦ないなあ」
「我々が築き上げてきた理論を実践する時が来たのですから、張り切っているのでしょう」
この演習を観戦していた大迫尚道少将と鷹司煕通中佐である。やはり陸軍士官学校時代の同期である彼らは、現在攻撃側の指揮官を務めている大谷喜久蔵少将とともに、煕通の言いだした"浸透戦術"の研究と必要な兵器の開発に力を注ぎ、ついにこの日を迎えたのであった。
「後詰を投入して孤立しつつある第一線をある程度制圧、攻撃側陣地の試製曲射歩兵砲を敵第一線まで前進させますか。もう勝負は決まりましたね」
「ああ、これで第三線は迫撃砲の火力にさらされて壊乱、防衛側の司令部への突破を許すことになるだろう。そうなったらもうどうしようもない」
浸透戦術の要の1つである「短時間で苛烈な砲撃」を実現するための切り札が、この「試製曲射歩兵砲」である。
「試製曲射歩兵砲」
砲口径:75mm
砲身長:750mm (10口径)
砲重量:65kg
最大射程距離:1.5km
発射速度:15発/分
俯仰角:+40 ~ +75度
史実の十一年式曲射歩兵砲と似たような性能の迫撃砲である。駐退複座機が付いておらず、射撃のたびに照準をやり直さなければならない三十一年式野砲の発射速度が2~3発/分であるから、この時代ではチートじみた火力と言ってよい。山砲の1/3程度の射程しかないが、その分砲弾の落角は大きく、塹壕を掘っていても防ぐのは困難であった。「曲射歩兵砲」という独特の名前も、その短射程から歩兵科に使わせた方がよいという判断の産物である。
はたして、二人の予想通り、第三線は圧倒的火力の前に混乱し、その隙に第二線から突撃を敢行した攻撃側歩兵に突破され、司令部の制圧を許してしまった。この時点で勝負あったと判断され、演習は終了。当然、攻撃側の戦略的勝利である。
「おい大谷!あの無謀な攻撃はなんだ!?一歩間違えば自殺行為じゃないか!」
演習終了後の検討会で怒鳴る伊地知。彼からしてみれば、戦国時代に劣勢に立たされた武将が、一発逆転をかけて大将首を狙いに行くような蛮勇に見えたのである。しかも、その蛮勇にしてやられてしまったのだから、よけい腹立たしくてたまらない。
「まあ確かに無理やり押し込んだところはあったと思うけど、おおむね計算通りいってるから、自殺行為というのはちょっといただけないかなあ」
対する大谷は得意げな顔で答える。
「なんだと!?貴様、陛下からお借りする兵卒の命を何だと思って……!」
「まあまあ伊地知君冷静になろう。大谷君は勝ったからって煽らない」
大迫が場を落ち着かせ、話の方向を戻しにかかる。
「伊地知君には色々教えることがあるが……とりあえず、攻撃側の歩兵は、分隊長が勝手に進撃・防衛・撤退を決意して良いことにしていた。だから、防衛線を素通りして、防衛側司令部に殺到したのは、うちの分隊長たちが『今ならいける!』って判断したからなのさ。私からは何も言っていない」
「ただの分隊長にそこまで判断させるのは酷ではないか」
こともなげに言う大谷に対し、伊地知はなおも食い下がる。
「ああ、"ただの"分隊長ならね。彼らには下士官用の教育を施してある」
「なに!?……どおりで動きが柔軟だと思ったわ」
「この、特別な教育を受けた『突撃歩兵』、前線を壊乱させる苛烈な砲撃を実現する『迫撃砲』、同時に複数個所から突破を図り、敵司令部の指揮能力を飽和させる『広正面攻勢』、強化点を無視して弱点から進撃する『迂回突破』。この4つが、今回我々が使用した対近代陣地戦術『浸透強襲』の柱だ」
そして大谷、大迫、煕通が、かわるがわる浸透戦術について解説していく。伊地知は考えを改め、この戦術が少しでも部隊の損耗を減らすべく作られたこと、自分が敗北したのは偶然ではなく、必然だったことを知った。
「成程……貴様らはいつの間にこんなことを考えていたのだな」
「言い出したのは鷹司君だよ。彼が最初に私のところに相談に来て、検討しているうちに砲火力の専門家が欲しくなったから、私が砲兵出身の大迫君を引っ張り込んだんだ。彼のひらめきがなければ、この戦術は生まれなかっただろうよ」
「そんな大げさな……当時一介の少佐に過ぎない私の話を、大谷閣下と大迫閣下は真剣に聞いてくれ、こうして足りないところを補って完成させてくれました。今でも感謝しております」
大谷に褒められた煕通は謙遜する。この戦術の概形を提案したのは娘の耀子であり、それに大谷と一緒に煕通が肉付けし、最後に大迫が迫撃砲をはじめとするアイデアを出して完成を見たのである。この中の誰が欠けても浸透強襲は完成せず、ロシアとの戦争で日本陸軍は大損害を被っていたに違いなかった。
「とはいえ、だ。今冷静になって考えると、この戦術にも弱点が存在する。防衛側の立場からの意見を聞いてもらってもいいか?」
「もちろんだとも。実際に喰らって面食らった人の意見程、参考になるものはそうないからな」
その後、反省会は深夜にまで及び、結局泊りがけで話し合いが行われた。この時の貴重な経験が、のちに第三軍参謀長として旅順要塞に相対した時に大いに役立ったと、後年伊地知は述懐している。
砲兵出身の将軍である伊地知が、歩兵学校の演習で指揮をとっているのはあまり突っ込まないであげてください()
鷹司、大迫、大谷、伊地知。この辺全部士官学校の同期なんですよね。当時の日本の層の薄さが垣間見れて泣けてきます。
この後、煕通たちは歩兵操典を大改定する羽目になり、多分泣きながら開戦に間に合わせたんだと思います。