かっこいいとはこういうことさ-1
陸ときたら空もやらないと、というお話。
シュナイダートロフィーレース。それは、水上機レースの最高峰。フランスの富豪ジャック・シュナイダーのトロフィーと次回レースのホーム開催権をめぐって各国の航空業界が鎬を削るという点は、史実同様であった。
決定的に違ったのが、レースの内容である。
まず、オーストリアとイタリアが、ドイツ製のエンジンを載せて戦っていることだ。一次大戦で中央同盟諸国の被害が史実よりは少なかったため、オーストリア(のローナー)が参戦でき、ダイムラーとマイバッハがそれぞれローナーとマッキにエンジンを供給できたのである。
ではなぜこの二社が外国であるドイツの企業にエンジンを頼むことになったのかというと、日本(というかテイジン機)の影響により、イギリス機のエンジンが2ストになったため、史実よりも高出力化されているからだ。特に1918年から使われるようになったネイピアのライオンエンジンは、百獣の王にふさわしいパワーウェイトレシオでたびたびイギリス機に勝利をもたらしている。特に、1918年の大会はイギリスの独り舞台と言えるほどの圧勝劇であったため、史実と違い、この大会から開発期間を稼ぐために隔年開催となったくらいだ。
ネイピア ライオン(1918年モデル)
ユニフロー式2ストローク水冷W型12気筒
最高出力:645hp/2200rpm
最大トルク:218kgm/1800rpm
史実のライオンエンジンとは排気量や型式こそ同じものの、構造と性能は全くの別物である。「航空用エンジンにスーパーチャージャーを使う」という発想がすでにテイジンによってもたらされていたとはいえ、このときの他国のエンジンは500馬力後半が関の山であったから、多少機体の空力がよかったとしてもイギリス機に勝つことは難しかった。
「え、これまずいんじゃない?」
1918年、芳麿と例によって鳥糞採取へ出かけた時、航空雑誌を読んでいた耀子が声を上げた。
「なにか問題ありましたか?」
「このままだとイギリスがシュナイダートロフィーレースを三連覇しかねません」
「ん?それが何か問題があるのでしょうか。イギリスは友邦ですよね?」
シュナイダートロフィーレースをよく知らない芳麿は首をかしげる。
「この水上機最速を決める航空機競走は、同じ国が5年間の間に3連勝すると、その時点で終了してしまうんです。せっかく播磨造船所も買収しましたし、できれば出場してみたいのですが……」
「今はあの車……ジムニーの開発に集中したい、というところでしょうか」
芳麿の言葉に耀子がうなずく。
「はい。ラリー・モンテカルロも、シュナイダートロフィーレースも、片手間でやって勝てる戦いではありません。ですが……ちょっと無理をしないといけないかもしれないですね」
「うーん……急いては事を仕損じます。私もそれで何度か痛い目に遭っていますから、間に合わないならあきらめることも大切です」
熱を出して訓練を休んだ経験を思い出しながら芳麿は耀子を諭した。とはいえ、彼女は自分と違ってある程度無理がきく体のようだし、限界を超えて倒れるほど向こう見ずでもないだろうとも思っている。
「ありがとうございます……まあ、今は本当に何の準備もしていないので、少しでも手の空いている部署に協力を呼び掛けるところから始めます」
話がいい感じにまとまったうえ、ちょうどよく野鳥が視野内に飛んできたので、二人は道具を取り出して観察とスケッチに戻ったのだった。
「漁船の次は飛行艇か……」
「期日までに機体を仕上げるには、御社の協力が必要不可欠です」
播磨造船所の技術陣たちは頭を下げる帝国人造繊維の航空技術部員たちにやや困惑していた。
「顔を上げてください。あなた方から直接というわけではありませんが、我々こそ御社に恩がある身。むしろそれを返す機会がこれほどすぐ訪れてくれることは歓迎すべき事態です。引き受けましょう」
「ありがとうございます、たすかります」
なぜこのようなことになっているのかというと、シュナイダートロフィーレースで勝てるような軽量な飛行艇を作るノウハウがテイジンになく、傘下の播磨造船所は今まさにGFRPの軽量な漁船を作っているからである。本来は耀子も同席すべきなのだが、彼女は今「画期的な新素材」を開発するために、ニチリン出向中で不在の秦と久村に代わって材料開発課で陣頭指揮を執っている。案の定、都合がつかなかった。
「では、どんなものをおつくりすればよいのか、見せていただけないでしょうか」
「これですね」
奈良原の弟子を自称するテイジンの伊藤音次郎が図面を広げる。それは一見単フロート式水上機のようであったが、胴体のように見える部分はかなり細く絞られており、とても人が乗れそうには見えない。よくみると、主フロートの方にバブルキャノピー──明らかに時代不相応だが、PCを実用化させているテイジンなら問題なく作れる──がついており、どうやらこちらに人が乗るようにできているようだ。
「……?ああ成程、ちゃんと飛行艇だ」
「構造的にはほぼ水上機ですけど、フロートの方に操縦手が乗るようになっているから飛行艇ですね」
この艇体と補助フロート部を、ガラス繊維強化フェノール樹脂で作ってほしい。また、内部構造についても設計してほしいというのが、播磨造船所に託された仕事である。
「少々独特ですが、決してゲテモノではない……テイジンさんらしい機体だと思います。で、正直なところ勝算はどのくらいで?」
播磨造船所のスタッフがテイジン側に問いかける。
「……盛り込むべき技術の開発がすべて成功して、ようやく五分五分とみています」
何故この話が関東大震災より後に来たのかは次の話で。
「画期的な新素材」は……お察しのあれでございます。