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閑話:鳳十話「新婚生活」

たまには一人称視点で。

「耀子」と「妻」は何となく使い分けていますので誤字ではありません。

 夕日に染まる街並みの中を、GT500で走り抜けていく。この500cc単気筒の自動二輪は陸軍時代に"フリート試験"なるものの一環として三共から自分に貸与され、退役時にそのまま払い下げてもらった一台だ。下から上までトルクがあって扱いやすいし、サスペンションも柔らかく乗り心地が良い。


「今日の夕飯はなんだろう。昨日は豚肉の生姜焼きだったから……今日は野菜と一緒に塩コショウいためだろうか」


 妻の耀子はあまり食に興味がない、と言うとそれはそれで語弊がある。「食事に時間をかけることが嫌い」なのだ。


「生産ラインは小少軽短美をモットーとしておりますので……」


 夫婦二人きりで初めて過ごす日の夜、申し訳なさそうに夕食を並べる妻の台詞は、あまりにも()()()()()今でもはっきりと覚えている。おいしい食事を楽しむこと自体は好きだが、そのために実働時間(妻は『工数』と表現していた)を取られることがどうにも我慢できないらしい。おかげで、我が家の食卓に上がるのは焼くだけで食べられるようになる肉や魚と、漬けておけば出来上がる漬物類が主であった。もっとも、最近はとある事情でさすがに米を炊いてくれるようになったが。


「あの人凝り性だから、下味はしっかり濃厚につけるんだよなあ……おかげでおいしくはあるんだけど」


 どうやら調味料に漬け込む作業は時間こそかかるものの、彼女が手を動かしている時間は少なくて済むので「食事の準備に工数をかけている」ことにはならないらしい。その間他の仕事や趣味ができるからと考えればなるほど、「費用対効果」を重視する彼女らしい感性である。豪華絢爛を旨とする一部資産家や華族にはウケが悪いだろうが、私のような人間にはむしろ親しみが持てるというものだ。


「『味と栄養に品数との相関性はない』なんてことも言ってたっけ……一部の人は耀子を奇人変人の類だと思っているけど、それはあの人の本質をちゃんと理解していないよな。一見おかしく見える行動にも理と利がある」


 そう口に出して思ったがなるほど、耀子との関わりは鳥類の観察に似ていると思った。観察対象の行動の意味を解き明かしていくおもしろさは、鳥学というか生物学の醍醐味の1つである。彼女は鳥と違って聞けば日本語で理由を説明してくれるから、あれこれ苦労することもない。


「……だから僕はあの人が好きになったんだろうなあ……」


 そうこうしているうちに、妻の会社で設計された鉄の馬は、大いなる余裕をもっていつも通り私を家まで送り届けてくれた。三共製のヘルメット(運転中はどんな理由があっても絶対外すなと、妻からは珍しく強い口調で言われている)とゴーグルを外すと、かすかにピアノの音が聞こえてくる。


「出迎えは……期待できなさそうだな」


 あれはたしか、竹林に住む女仙人の懐古と怨嗟をイメージした曲だとか言っていた。それだけ聞くとどんな状況だかさっぱりわからないが、あの感情剝き出しの激しく、美しく、もの悲しい旋律を、なんとなくそんな気がしてくるから不思議である。

 ところで、私も耀子も、そもそも我々に限った話ではなく、研究者というものは我を忘れて物事に打ち込めるから研究者たり得ているという節がある。先ほどつぶやいた「出迎えは期待できない」というのは、つまりそういうことだ。


「ただいま」


 案の定、ピアノの音は鳴りやまない。演奏を邪魔するのも悪いし、これはこれで後が楽しみなので私はこっそり二階の防音室へ忍び込んだ。

 妻は髪を振り乱しながら熱心に日本楽器製造製のアップライトピアノを弾いている。この曲が終わったら、盛大に拍手してあげよう。実際、路上でオルガンでも演奏したら、そこそこのおひねりがもらえるのではないだろうか。


「うにゃ!?……ナンデ!?芳麿さんナンデ!?もう夜!?」


 ぐるっと振り向いた妻が、私の姿を認めてびくっと震えた。


「ただいま、お風呂を頂いたら夕飯にしたいんだけど、できているかな?」

「アッハイ、今日は豚肉と緑黄色野菜の塩コショウいためです。ちゃんとご飯も炊いたんですよ。お風呂も沸かしてあります。……ちょっと冷めちゃったかもしれませんが」


 自分が一度何かしだすと小回りが利かないことがわかっているのか、こういうことはあらかじめやっておいてくれるのが耀子の良いところである。とはいえ、自分の体力を考えずに寝食を忘れて熱中する悪癖には対応しないことが多かった。懸念点もあるので、私は彼女のすぐそばに近づいて屈み、手を取る。


「いつもありがとう……でも、今は自分ひとりの体じゃないんだ。無理はしなくていいから、ね?」

「お気遣いいただきありがとうございます。まだ、まだ大丈夫なので……いや、今現在は手が疲れてまったく動きませんけど……」


 妻は今、妊娠している。出勤せず、ずっと家に居るのも──そのため、有り余った時間を使うために米を炊いてくれるようになったのも──妊娠を理由にして特別休暇を取っているからだ。テイジンは昔から女工を従業員に多く抱えていたこともあり、女性向けの福利厚生がずば抜けて充実している。妊娠・出産のための産前産後休暇のほか、小さい子供を世話するための育児休暇、変わったところでは月経によって体調を崩した時のための生理休暇なるものもあるらしい。


「……すみません、ちょっと疲れちゃって……動けるようになるまで、甘えさせてもらっていいですか」

「どうぞ」


 私がそう言うと、彼女はよろよろと私の体を支えにして立ち上がり、抱きしめてきた。柔和な童顔がいつも以上に緩み、とても幸せそうである。


「~~~~♪」


 どうも耀子は私との身体的接触があるとき、多幸感を覚えるらしかった。以前このことを信輔さんにノロけてみたところ少々驚かれたのを覚えている。どうも、物心ついてからは家族の前でも、耀子がそんな表情を見せたことはなかったようだ。彼女は大人に甘えず……いや、甘えられないまま成長してしまったらしい。しつけの厳し過ぎる家庭ではよくある悲劇だが、彼女の場合は自分から進んで、小さいころから大人に混じって仕事をしていたというのが根本的に異なる。


「……ありがとうございました。夕飯をお皿に取り分けて食卓に並べますので、その間にご入浴ください」


 私の体から離れると、妻はいつも通りの表情に戻って、部屋から出ていった。


「……何が耀子さんをそこまで駆り立てているんだろうな」


 "鷹司耀子"について理解を深め、その生い立ちを知るほど、彼女が何かに突き動かされて生き急いでいるように感じるようになった。夫として将来を誓い合った以上、支えられるだけでなく──この日本ではあまり主流ではない考え方であるが──こちらからも支えてやりたい。鷹司家の方々も似たようなことを考えているようで、それとなく、耀子が背負っている何かを探っているようだが、私も、信輔さんも、いまだに其の何かを打ち明けてもらってはいない。


「私はそんなに、頼りなく見えているのかなあ」


 口からはそんなつぶやきが漏れたものの、研究者の勘が、それもまた違うような気がすると私に訴えかけてくるのだった。

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挿絵(By みてみん)

本作世界のチベットを題材にしたスピンオフがあります。

チベットの砂狐~日本とイギリスに超絶強化されたチベットの凄腕女戦車兵~ 

よろしければご覧ください。
― 新着の感想 ―
当時からすれば画期的だが、今となっては女性向けの福利厚生と聞くと差別じゃないかと思うな(男性にも生理、つまり体調悪い日はあるが当然休暇など貰えない)
異議あり!!作者はメス堕ちではなくネコ吸いのような感覚と言っていたがネコに身体を許したりしない!!よってこれはメス堕ちだ!!!
前の方も書いてらっしゃいますが、この時代の女主人は直接家事はほとんどしません。元皇族なので、年末年始も住み込みや休みをずらした当番の使用人がいたはずです。人を使うのが性に合わないとのことですが、お金持…
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