帝都は滅びぬ!何度でも甦るさ!
関東地方で大地震、東京・横浜壊滅す。
網と呼ぶには貧弱な情報網が寸断され、諸外国に伝わった状況は断片的であったが、それでもなお衝撃的なニュースは全世界を駆け巡った。
「先の大戦で、日本はわざわざ海を越えて俺たちを助けてくれた」
「今こそその恩を返す時だ。何か、何か俺たちにできることはないのか」
連合国の盟主イギリスはもちろんのこと、まだテイジンのラリー・モンテカルロにおける激走が記憶に新しいフランス、意外なところでは大戦当時敵同士であったオーストリアやドイツからも、公私問わず大量の支援が送り出されていく。
「盟友の危機を黙って見過ごす者は紳士ではない」
「助けてもらった恩を返さないままでいるのは我が国の威信にかかわる」
「文明の灯が嵐に吹き消されそうなら、それを守るのが文化人というものだろう」
「浸透戦術の特許料を支払いに来た」
ほとんどの欧州列強は、思い思いの理由をつけて日本を支援したのだ。
一方、史実と対照的だったのはアメリカである。この世界線での日本との関係は微妙なものがあり、欧州大戦にも参戦しなかったため、その支援はささやかなものだった。
「……これが、戦場の絆というものなのか」
欧州各国から次々と届く支援内容の目録に唖然としながら、大正天皇は信頼する侍従武官長に問う。
「それだけではありませんが、ともに肩を並べて戦ったという思い出が、異国の地で斃れた英霊たちが、我が国に味方してくれているのは疑いようがありません」
鷹司煕通は、敬愛する君主に対してそう答えた。
「あのとき、朕の遺憾の意を無視し、大規模な戦を始めた欧州各国には怒りを覚えた。だが、その怒りに任せて皇軍を派遣し、中央同盟国を打ち破るためにさらなる血を流すのもまた違うと感じていたのだが……悲しいけれども、血が流れたほうが、結果的に丸く収まるということもあるということだな」
「仰る通りです。しかし、どんな理由があろうとも、本来人命を浪費することはあってはならないことです。平和を希求する陛下の御心は非常に尊いものでございますから、どうか、お忘れにならないようお願いいたします」
大正天皇はその独特の感性にばかり注目が集まるものの、その本質はまっとうな善人である。しかし、それ故に国家の最高権力者として君臨するにはいささか人が良すぎるきらいがあり、生来病弱であったのもあって「天皇」という地位が心身に大きな負担をかけていた。
(何とか、陛下を"上皇"にして差し上げられないだろうか。耀子の前世では、そういうことがあったと聞いて、少しずつ根回しをしていたのだが、この状況では……)
煕通は日々摩耗していく大正天皇を何とか救おうと、天皇が譲位を行えるように少しずつ関係各所ヘ根回しをしている。だが、未曾有の大地震が発生したため、その道はより長く険しいものになってしまっている。
「……ところで、そんな平和を希求する朕をもってしても、度し難い国が海を挟んだすぐそばにあるようなんだが」
先ほど受けた報告を思い返して、大正天皇は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「あれは……アジアの恥さらしと言っても過言ではありませんでしょう」
大韓帝国が、日韓議定書及び第一次・第二次日韓協約の破棄を宣言したのである(軍隊を放棄させ、内政に干渉する第三次日韓協約は結ばれていなかった)。つまり、韓国は自分で外交権を行使する完全な独立国に戻ると一方的に通告してきたのだ。
「さすがに我が国で大地震が起きることを予測していたとは思えんが、いつ弱みを見せられてもそこに付け込めるように、周到に準備していたのだろう。密使が大好きなあの国らしいやり方だ」
「しらを切っていますが、背後には間違いなくロシアがいて、それをアメリカが黙認しているという構図でしょう。清からの復興支援が『皇帝溥儀個人の名義』であったのも関係してそうです」
非常に腹立たしいが、タイミングとしては最高だったと言わざるを得ない。関東の工場は民需・軍需の区別なく壊滅しており、陸軍も帝都の治安維持のために全力出動はできないため、迅速な報復処置は不可能であった。下手に宣戦布告すればロシアが釣れてしまう可能性があるうえに、日英同盟によってイギリスを巻き込んでしまう。フランスは露仏同盟を結んでいるし、ドイツとオーストリアは心情こそ我が国寄りであるものの、先の大戦から立ち直るにはあまりにも時間が足りていないため、参戦まではしてくれないはずだ。万が一にも負けることはないだろうが、勝てる確率もまた絶望的に低い。
「……『臥薪嘗胆』か……」
欧州でドイツと渡り合い、いよいよ名実ともに他国の意向に左右されない、大国の仲間入りを果たしたと思い込んでいた。しかし、1つ状況が悪化するだけで、今回のように翻弄されてしまう。天皇が、政府が、日本国民が望む平和な世界を日本が築き上げる日は、まだ来そうになかった。
一方、内務大臣後藤新平は、有識者を集めて精力的に震災復興再開発計画を作成していた。史実と違うのは、会議に参加していたのが後藤の腹心やブレーンだけでなく、財界からも様々な専門家を呼び集めて幅広く意見を集ったことである。これは、もろもろの理由で暗殺事件が発生せず現在も総理大臣をしている原敬からの指示であった。
「木造建築はもう古い。これからは難燃性繊維強化樹脂と鉄筋コンクリートの時代だ」
「材料もそうだが、道路が狭くて簡単に延焼したのも被害が拡大した原因だ。ちょうど自動車が走りづらくて難儀していたところだったから、これを機に道路の幅を大幅に拡張しよう」
「住宅地や商業地、工業用地が入り乱れて効率が悪い。区画整理を実施するべきだ」
出席者が思い思いの意見を述べ、議論が戦わされる。
(みんな気合入ってるし意見も的確だな。これ、私居る意味あった?)
会議には山階耀子も参加している。この世界の煕通と原は同じ天皇から信頼を得ている者同士として親交があり、これから帝都復興という大事業に挑もうとする後藤のブレーンとして耀子を推薦することができたのである。当初は耀子だけを会議に呼ぼうとしたが、それでは財界から不満が出るということで、他の有力者も召集することになった。
(耐震基準については1919年の市街地建築物法で盛り込んじゃったから、専門家じゃない私がこれ以上やることはないし……)
その結果、旧来からの財閥の代表者たちが「テイジンばかりにいい恰好させてられるか!」と奮起し、積極的に復興案を持ち寄って議論し始めたため、耀子の言うことがなくなってしまったのである。
(弊社の主力工場は静岡と山形にあるから、正直東京のことは今ここに居る人たちの方が真剣に考えられるんだよね……)
1920年から3年ほどテイジンに目立った動きがなかったのは、静岡市に大規模な工業団地を造成していたからである。勿論テイジン単独ではなく、三共内燃機や豊田式織機、小糸製作所に日本輪業といったサプライヤーも巻き込んで、それぞれがなるべく一か所に固まるように工場を建てたのだ。結構な投資となってしまい、これ以外に大きな動きができなくなってしまったが、いちいち工場間で部品を運搬する手間が減り、生産効率をさらに引き上げることができた。この当時はほとんど何もない静岡の平地に一から工場を建てることができたので、拡張性もある。
「た……山階殿、つい最近稼働を開始したという静岡工場の能力がどの程度か、教えていただけないか」
耀子が完全に油断していると、三菱の代表者から質問が飛んできた。
「あ、はい。概ね日産100台ぐらいの能力はありますね」
「ひゃ、100台だと!?」
「なら8日もあれば目標の800台を調達できるな」
ちなみに、スズキ相良工場の生産能力はおおむね1150台/日である。溶接ロボットがないため、主にフレームや板金の溶接作業がボトルネックになっており、まだまだ耀子の知る自動車工場の姿には程遠い状態だった。
「えーと、何に使うんですか?」
話の流れを追っていなかった耀子が確認する。
「鉄道網が全壊して輸送が滞っているだろう。だから、自動車輸送で代替しようとしているのだ」
「確かに、ジムニーなら瓦礫の山も乗り越えられますしね……ただ、素のジムニーだと積載量に不安があります。ボデーは純正より大きくて積載量がある……例えば東京瓦斯電気工業さんの物を載せたほうがいいでしょう」
「確かに、うちのTGEなら適任でしょうね。わかりました。協力させてください」
復興に向けて様々な議題が出されては、誰かが解決策を持ってきて計画が作成、実行されていく。韓国がどさくさに紛れて喧嘩を売ってきていたため、拙速主義だなどの悠長なことを言っている暇がないことは全員が理解していた。財界が味方に回っているため野党の攻撃は史実よりも弱体化し、土地収用の問題も、反対運動の旗頭だった伊東巳代治が天皇直々に叱責されて黙らされたため、帝都復興計画は史実よりもはるかに大規模かつ円滑に進められることとなった。
大正天皇陛下が伊東を叱責したのは、当然、二人の親友に頼まれたからです。