シャルルの山
いよいよラリー本番です。黎明期のラリーなので、規定タイムとか、スペシャルステージとか、そういうのはありませんが、コースの過酷さなら現代にも引けを取らないでしょう。果たしてテイジンは完走できるのでしょうか?
フランスの田園風景の中を、1台の車両が疾駆する。
発動機は2ストローク機関特有の乾いた破裂音を奏で、アジア人二人が乗り込んだぐらいで手狭になるような小さな車体は、それに見合わぬ大径タイヤもろとも路面の起伏を拾ってちょくちょく飛び跳ねていた。
「良い景色ですねぇ!文子さぁん!」
助手席に座るコ・ドライバーの佐藤要蔵が声を張り上げる。彼らの乗るSJ11Wジムニーにかぎらず、自動車というのは長いこと「騒がしいもの」であった。
「そうねぇ!雪が綺麗です!」
運転席に座るドライバーの千坂文子も怒鳴り返す。彼らは今、モナコのモンテカルロを目指す「モンテカルロラリー」の真っ最中である。地元フランスのルノーやプジョーはもちろんのこと、オーストリアのシュタイアー=プフやドイツのベンツ&シー(まだダイムラーとは合併していない)、アメリカのビュイックなどもワークスチームを編成して参加してきていた。
「自分ばkうわっぷ!景色を堪能しちゃってすみません!」
「あなたよくそ……んなこと!できますねぇ!派手に揺れてるで……しょうに!」
冒頭で述べた通り、彼らは現在、スタート地点のパリから南南東の方向にひた走っている最中である。日本ほどではないとはいえ、未舗装の荒れた道を高速巡行している関係で、ジムニーがポンポン跳ねているのだ。
「僕はもともと!飛行機に乗りたくてテイジンに来たんです!このぐらいできなきゃ!機位を失って落っこちます!」
「仕事熱心な!ことですね!」
とはいえ、他愛もない話もそろそろできなくなるころだろう。ごく普通にパリからモンテカルロに走っていくのなら、いったん地中海まで抜けてから海岸沿いに走った方が楽だ。だがこれは競走であり、興行であるため、過酷で面白くなければならない。そのため、道中のチェックポイントがアルプス山脈を突っ切って一直線にモナコを目指すように設定されており、有名なチュリニ峠そのものではないものの、難易度的には遜色ないコースを走る必要があるのである。
「くそっ!テイジンのやつら、雪が恐ろしくないのかよ!」
「あんなスピードで突っ走ってるのに、なんでコントロールを失わないんだ!」
1月の雪山でテイジンチームにあっという間においてかれてしまったのは、現在2位につけているタルボチームである。タルボはもともと輸入車ディーラーであったイギリスの自動車メーカーで、この世界ではイギリス陸軍向けの救急車の製造で成功し、民間向けにも優秀なモデルを世に送り出し始めている。
「タイヤが優秀なんじゃないか!?あれも結局、事実上テイジンが開発したんだろう!?」
ドライバーは真っ先にテイジンと日本輪業が共同開発したというタイヤに着目した。テイジン製航空機が欧州大戦で暴れまわった関係で、今のイギリス工業界では強制掃気2ストロークエンジンが脚光を浴びている。タルボ車もこの流行りに乗って2ストエンジンが搭載されており、テイジンジムニーより車体重量で100kg以上軽量であることも考えると、動力性能ではむしろ勝っていると言える。
「ストッキングもテイジン!飛行機もテイジン!タイヤもテイジン!自動車もテイジン!なんでもテイジンじゃねえか!あいつら食べられないものなら何でも作れるんじゃないのか!?」
「食えねえ連中だな!」
わけのわからない状況に戸惑いながらもなお皮肉を言おうとするのはイギリス人の鑑と言うほかはない。実際、アルプスの峠道に差し掛かるまでは、タルボをはじめとする欧米勢も、テイジンと熾烈な戦いを繰り広げることができていたのだ。混乱しない方がおかしいだろう。
実際のところ、ジムニーが他車と隔絶した速度で雪山を駆け抜けていく理由は、半分はパートタイム4WD機構によるもの、3割がペースノートの活用によるもの、残りの2割をタイヤの性能とドライバーの技量で分けあうといった具合である。駆動輪の数は、悪路走破性に直結するのだ。
「来るぞっ……!左の松!10!右松!」
どうやら難所の1つに差し掛かったらしい。ペースノートをにらみつける要蔵から文子へ、矢継ぎ早に指示が飛ぶ。
「ヨーソロォ!」
ハンドルを浅く切り、クラッチを蹴り飛ばしてわざと後輪を滑らせる。いわゆるパワースライドという奴だ。どうせ雪道ではまともにグリップしないため、文子はドリフトでこの連続ヘアピンコーナーを切り抜けるつもりである。
(お父様……!お母様……!お兄様たち……!耀子さん……!)
文子は必死に祈りながら車体をコントロールし、要蔵はそんな文子をペースノートで導いていく。本来1960年代前半に発案されるドライバーとコ・ドライバーの二人三脚体制は、冬の雪山を圧倒的な高速で駆け抜けていくことを可能にしたのだった。
周りがFR車ばかりのところにパートタイム四駆を持っていったらそらこうなる。