生半可な婦女子には真似できない逢引き-2
なんでみんなキャラ同士のイチャイチャが書けるの(白目)
今日は事前に示し合わせた日。芳麿が待ち合わせ場所に行くと、車体が小さいわりにやたら大きなタイヤを履いた自動車が止まっている。角ばったフォルムの武骨な幌車であり、中をわざわざ覗きに行かなくても、長い黒髪の童顔な女性──鷹司耀子──が運転席に座っているのが分かった。
「ああすみません、待たせてしまいましたか?」
「……はっ!いえいえいえ全然待ってないです私もさっき着いたばかりでして!」
芳麿が慌てて車に駆け寄り耀子に声をかけると、耀子は全く周囲を気にしていなかったようで慌てふためきながら読んでいた学会誌を後部座席の方に放り投げた。
「さあどうぞ助手席の方に乗ってください。すこし床が高くて乗りにくいかもしれませんが……」
「いえこの程度なら全然……しかし、簡潔でありながら斬新な見た目の車ですね。御社の新製品ですか?」
読者は「ジムニーの見た目が斬新?」と思うかもしれないが、この当時の車と言えば大きな独立型フェンダーとサイドステップが当たり前のようについていて、そのどちらもないまさに「箱」がタイヤの上に載っているようなスタイルのジムニーは、当時としては画期的なデザインなのである。
「弊社で開発し、三共さんの方で製造・販売を行う予定のジムニーという車です。日本の未開拓な野山でもすいすい走れる、いい子ですよ」
もちろん快適に走れるとは言っていない。とはいえ、元ネタのSJ30ジムニーは前後ともにリーフリジッドであり、耐久性や絶対的な走破性に優れるものの、四輪独立懸架で疑似的なダブルウィッシュボーンサスペンションを持つテイジンジムニーの方が操縦性や高速安定性、乗り心地は勝っていた。
「それではよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
挨拶もそこそこに、二人を乗せてジムニーは走り出す。今の東京は開発が進んでおらず、少し走るとまだ自然豊かな地域に入ることができた。最初のポイントで車を止めると、耀子はジムニーのハンドルを取り外す。
「それ、とれるようになってるんですね」
「幌車なので、こうしないと盗まれてしまうのです。弊社は敵が多いですから」
「どちらかというと、高く売れそうだからではないでしょうか……」
「1000円ぐらいで売りたいなあって思ってるんですけど……そうですね、よその四輪車の半額ぐらいですけど、高い買い物なのは間違いないです……」
安価で有名なT型フォードは、今の時期、360ドルで販売されていた。為替は1ドル2円程度であり、小学校教師の初任給が60円(ちなみに史実では50円程度)であるから、単純計算で給与1年分の値段である。ジムニーはこれより高価な設定ではあったが、T型フォードが安すぎるだけであって、他の四輪車は1000ドルぐらいしたのだった。
「まあそこは本題ではないです。この試験片を糞まみれにすることが、今回の目的ですから」
「やっぱり、あらためて聞くとすごい響きですね。鳥糞まみれの鉄板を扱う華族令嬢とは……」
「小さいころは、信輔と一緒に鶏の世話もしました。研究に犠牲はつきものです」
「私も鳥の観察や訓練で泥まみれになりますし、確かに今更ですね」
お互いを笑い飛ばして、二人は目的地へと入っていった。
時折鳥の声がこだまする森の中、芳麿は鳥を観察し、耀子はスケッチをしていた。用意した鉄板は、野鳥の巣の下に設置しているが、当然すぐに糞を落とされるわけがなく、また芳麿も頻繁にフィールドワークに出られるわけではないため、鉄板を設置してもすぐに帰宅せず、耀子は芳麿を手伝うことにしたのである。
「……」
「……」
言葉はほとんどない。それは、下手に物音を立てて観察対象に気づかれたくない、というのもあったが、ただそばで一緒に作業しているだけで充実感を感じていたからでもあった。
二人のこうした奇妙なデートはその後もしばしば行われ、1920年に芳麿が臣籍降下して陸軍を辞め、耀子と婚約するまで続いたという。




