鳥は獅子身中の虫をついばむ
初期プロットではもっと主人公が目立つ予定だったのですが、書き終えてみたら"ひろみちおとうさま"が全部持っていきました。
信輔・耀子兄弟は、鶏に"脚気のような異常"を発生させる実験を始めた。すでに先行研究があり、それの追試なので、そこまで大変なものではない。果たして、実験開始から3週間後には、白米のみを与えた方ではまともに歩けない個体が出始めた。一方、玄米のみを与えた方の鶏はぴんぴんしている。
「一番症状が重い1羽を選んで、お父様の部隊に持ち込んでもらい、軍医さんに症状の観察と解剖を行ってもらいましょう」
耀子の提案により、死にかけの鶏が1羽、煕通のいる師団に持ち込まれた。鶏を診させられた軍医は最初戸惑っていたが、
「当該鶏の示す症状はまさに脚気のそれである。また、解剖の結果、多発的神経炎と心臓の肥大が認められるため、どう解釈しても脚気と無関係な病気とは考えられない」
と結論付けたのである。史実でこのような内容の発表が日本国内でなされるのは、1910年になるまで待たなければいけなかった。
その週の週末、軍医は煕通に請われ、改めて鶏の診断結果を信輔・耀子兄妹に説明した。
「やはり、妹の予想通り、鶏は脚気になるということですね」
「厳密には違う病気ですが、少なくとも牛痘と天然痘よりは確実に近いと思います」
牛痘で発生した膿を人に接種すると、天然痘に対する免疫が得られるのはこの時でも周知の事実である。これを引き合いに出してくるということは、この軍医は耀子と同じように人間の場合でも糧食の改善で脚気を予防・治療できると考えているということだ。
「では、この結果をもって、糠漬けを戦時兵食に加えてもらえれば……」
「戦時兵食に糠漬けを出すことは、現時点でも可能ですよ」
「そうなんですか!?」
「『1日に白米900g、肉・魚150g、野菜類150g、漬物類56g』が現在の規定ですから、漬物類として糠漬けを支給することができます」
軍医の返答に驚く耀子。糠漬けが出ていたなら、なぜ脚気が起きたのかわからないからだ。
「ただ、日清戦争や台湾征討では補給が滞ったため、まともに戦時兵食として支給されていたのは白米のみであったようです。そして、脚気はそのような戦時中に発生率が増加しておりますから、私も、お二方と同じように、脚気は食の改善によって予防・治療できると考えます」
「あーよかった……」
ほっと胸をなでおろす耀子。ここまでやって対策が間違っていたとなったら大ごとである。
「実のところ、我々現場の人間としても脚気は何としてでも抑え込みたかった病気なのです。ただ『脚気は麦飯で改善するもの』という先入観があったため、戦時兵食に麦飯をねじ込むことばかり考えてしまい、森軍医監や、この前予備役になられた石黒軍医総監の猛反対を受けてしまいまして……」
「仕方ないと思います。脚気の原因がわからなかった以上、治療もまた既存の経験にすがるしかありませんから。今回は鶏だったからできましたけど、これと同じことを人間にやるわけにはいきませんし」
「鴎外の野郎……あいつは小説だけ書いてればいいんだよ」
残念そうにする軍医を信輔が慰める一方、耀子は森林太郎軍医監(森鴎外)を胸中で散々に罵倒した。
「ただ、今回我々は新たに米糠という武器を手に入れました。そのまま食べるわけにはいきませんので、これを使った保存のきく食事……まあ耀子さんの言う通り糠漬けになるのでしょうが、これを使ってなんとしてでも脚気を抑え込んで見せます」
「お国のためにもぜひそうしていただきたく思います。ただ、先ほどおっしゃられた戦時兵食の規定ですが、漬物類が1日に56gというのはいささか少なすぎて脚気予防効果が薄くなるような気がします。100g、200g、300gと量を変えて脚気患者に与え、症状に改善がみられる分量を調べるべきだと愚考します」
現代では、脚気を治療できるビタミンB1塩酸塩製剤の摂取量は 0.7mg/day であるとされている。これを食事に含まれるべきビタミンB1の量に換算すると、0.9mg/day となる。作り方にもよるだろうが、例えばきゅうりの糠漬けに含まれるビタミンB1は 0.3mg弱/100g であることから少なくとも一日にきゅうり3本分の糠漬けを食べないと、脚気を治療できない計算になる。予防するだけならもう少し少なくてもよいのかもしれないが、いずれにせよ、現在の規定量では明らかに不足している。
耀子は具体的な閾値を知っているわけではないが、量の不足が真因なのに『糠漬けは脚気に無効』などと言われてはたまらないため、軍医にそう提案した。
「そうですね。そのようにしようと思います……しかし、とても賢い妹さんですね。4歳とは思えない……」
「何処から学習したのかはわかりませんが、耀子は2歳ぐらいからこんな感じでして……親族一同将来に期待しているところです」
「いやお兄様ったら……」
煕通以外は知らないことだが、耀子の中身は三十路なのだから当然であった。
その後、この軍医は精力的に調査を行い、脚気を治療できる1日の糠漬け摂取量を特定することに成功する。しかし、時は下って1902年の夏。あの時の軍医は鷹司宅を訪問し煕通と何やら相談していた。
「なに、非常時には白米の輸送量を下げてでも糠漬け類を輸送する案が通らないだと?」
「はい、脚気が伝染病であるとしている青山教授らを信奉する一派がおり、彼らが反対していまして……」
「私も君の調査結果を見たが、明らかに効果が出ていただろう。それを見せてもダメだったのか」
「『糠漬けを与えると脚気が治療できるのは事実かもしれないが、それは脚気の原因を特定したわけではない。すなわち経験則的な手法であって理論がない。偶然そのような結果が得られただけの可能性が排除できないから受け入れられない』と……」
「ふむ……」
この時の日本医学会は理論を重視するドイツ医学の影響を強く受けており、史実の1911年には東大の山極勝三郎教授が『理論をもってすべてを律することが多く行われているが、これは考えなくてはならない』などと強く非難している。
「わかった。少し私に考えがある。君は反対派にかまわず、必要な準備をしていてくれ」
「……わかりました」
なんとなく嫌な予感がした軍医であったが、触れてはいけないような気がして深く考えるのをやめた。
それからしばらく後の事。
「鷹司殿、ようやく、戦時でも糠漬けを重点的に支給する案が通りました!これも鷹司殿のおかげです」
「いや、君がきちんとした証拠を集めてくれたからこそ、私も動くことができたのだ、礼を言うのはこちらの方だよ。これで、脚気に悩まされずに戦うことができる」
「しかし、不思議なことに、ある時から急に反対派の抵抗がしおらしくなったのです。おかげで提案を通しやすくなって助かりましたが、一体何をなさったんですか」
心配そうな顔をして軍医が質問してくる。
「皇太子殿下と侍従武官長の岡沢閣下に頼んで、君に反対する連中を黙らせてもらった」
「はい!?」
軍医にとって雲の上の人が唐突に出現したため、彼は素っ頓狂な声を上げた。
「皇太子殿下には東宮武官の時に気に入られてね、今でもご趣味の乗馬などにご一緒させていただける関係なんだ」
「なんと……そして今の鷹司殿は侍従武官であるから、岡沢侍従武官長は直属の上官……!」
「お二人とも君の調査を高く評価しておられたよ。そこに『彼の脚気の研究は十分効果があるのに、理論が悪いといって彼の提案に反対する者がいる。現実に脚気に苦しんでいるものに対してあまりにも残酷な態度ではないか』と言ったら……あとはわかるね?」
「うわあ……」
悪い顔をする煕通に対して、軍医は「この人を敵に回してはいけない」と心に誓ったのであった。
こうして、史実とは違って陸軍の兵食事情は大きく改善された。史実で脚気に苦しんだ25万人強は、この世界では脚気に苦しめられることなく、のちの日露戦争を戦い抜くことができたのである。
なお、思わぬ副産物として、青山教授らが"やんごとなきお方"の怒りに触れたことが原因で失脚したため、伝染病研究所は東大に吸収されなかった。このため、所長の北里柴三郎は自身の研究に専念でき、これがいくつかの彼の業績を史実より早めるという結果をもたらした。
というわけで、日本軍はもう少し余裕をもってロシアと戦えるようになりました。
史実での煕通は乗馬を得意とし、侍従武官時代に明治天皇の乗馬の相手を務めていたようです。自宅でも馬を飼うほど馬が好きだったようで、信輔の「鳥と暮らして」でも、煕通は馬が好きだった旨がふれられています。
大正天皇と乗馬をしていたかはわかりませんが、陛下もまた乗馬が得意で馬の鑑識眼に優れていたことが伝わっており、のちの煕通が就く立場から見ても、よい関係を築けていたのは想像に難くないでしょう。