鳴くも踊るも
「ところで、欧州大戦で活躍した日本軍の航空機は、耀子さんが設計したと聞いていますが、本当ですか?」
兄二人が話す中、主役のはずの二人が話し出せずにいると、武彦から耀子に話題を振られた。
「え、えーと、公式には東京帝国大学の横田先生ってことになってますし、実際強度計算とかは先生にやってもらったんですが……コンセプトアートとか、開発統括とかは私がやっていました」
「コンセプトアート……絵が描けるんですか?」
絵という言葉に芳麿が反応する。
「概ね独学で、後は学校の授業で学んだぐらいですが……このくらいの物でしたら……」
と、耀子は荷物の中から数枚の絵を取り出す。信輔の飼っている鳥の絵である。事前に信輔から「鳥の絵をいくつか持っていくと喜ばれると思うよ」と助言され、デッサンの練習として以前描いたものを持参してきていたのであった。
「おお……よく観察して描かれていますね。生きている姿を残すためには今のところスケッチしかないですから、これだけ絵が描ける人が調査に一緒に来てくれると助かるなあ……」
「デッサンですからね。私たちデザイナーは現時点で存在しないものを書く仕事をしていますが、現実を知らないと作れないものの絵を描き上げてしまいます。なので、現実を知ることは重要なんです」
この時代の動物研究は基本的に大掛かりなものになりがちであり、研究者本人のほか、標本採取のための猟師やスケッチのための画家などを雇うこともよくあった。信輔が芳麿をかわいがっていたのも、彼が一応軍人で猟銃が扱えるため、猟師を雇う必要がないという面もある。
「あれ、でもたしか大学では化学を専攻していらしてましたよね?」
「はい。昔から……本当に昔から有機化学が得意だったので、それでご飯を頂いています。ただ、材料開発だけでなく、それを使った製品開発にも興味がありましたので、絵の練習をしていたのです」
「……?製品開発と絵の練習にどんな関係が?」
芳麿は疑問を呈す。
「あ、すみません。つい癖で思考の過程を説明しないことがありまして……どなたの言葉かは失念してしまったのですが、『まずは絵を書け。良い絵は良い製品になる』という言葉を知りまして、それ以来絵の練習をすることになった、ということです」
「なるほど。そういうことだったんですか……」
「芳麿様は鳥類の研究をされたいと聞いておりますが、現在は陸軍幼年学校に通っておられるんですよね」
「はい。父上がなくなったとき、当時の明治天皇陛下から陸軍の道へ進むようにご沙汰がありまして」
「うーん、私個人の考えといたしましては、芳麿様をその辺の一士官として使いつぶすより、優れた鳥類学者として活躍させてあげたほうが、日本のためになると思うんですけど……」
このあたりの話も信輔から聞いていたが、実際に本人の口から語られてもやはり耀子は気の毒に感じた。明らかに芳麿の顔が曇ったからである。いつの間にか耀子は、何とか芳麿を救ってやりたいと思うようになっていった。
中途半端ですが今日の分はとりあえずここまで