飛行機には男爵を吸い寄せる何かがあるのか
飛行機乗りの男爵多くね?という作者の心の叫び。
東京郊外の山の中に、甲高い2st特有の音が響き渡る。千坂文子は、この人気のない場所で、運転の練習を行っていた。
「はい2、速。少し踏んで……3、速。リズムよく行きましょうはい4、速……」
(ひいい!前を見ながらエンジンの音を聞いて、クラッチを切ったらタイミングよくシフトレバーを動かして……!)
彼女にとっては自動車に乗ることすらこれがようやく3度目である。しかもこのSJ11ジムニーにはシンクロメッシュがなく、二輪車と同じドグミッションであるため、シフトタイミングを誤るとガツンと嫌な衝撃が手に加わるのである。ダブルクラッチをすれば回避できるが、そんな高等テクニックはまだ彼女には無理であった。
「筋がいいですよ。私より上達が早いです。若いっていいですね」
「これのどこが筋がいいんですかー!動かすだけで必死なんですよぉー!」
助手席で指導する滋野清武に対して、文子は混乱しながら叫ぶ。滋野は1912年にフランスで史実通り航空免許を取得した後テイジンにテストパイロットとして雇われ、ついでとばかりにジムニーのテストドライバーも務めていた。このため、この世界ではエースにはなっておらず、8歳の娘露子を育てるシングルファーザーである。
「発進するだけならこのジムニーの場合初めての方でもできるのですが、きちんと速度に合わせて変速機を操作できるようになるにはもう少しかかります。文子さんは曲がりなりにもうまくやれていますからもっと自信を持ってください」
「じゃあ耀子さんは何なの!?あの人なんてことない様子でスイスイ走らせてたじゃない!」
「あれはたぶんどこかで運転したことがあったんでしょうね。動作から慣れが感じられました」
「何処でそんなもの身に着けたのよ!あの人ほんと何なのよー!」
彼らは知る由もないが、耀子の前世での愛車はシュタイアー=プフ650TRであり、この車のミッションは1速ノンシンクロである。20年以上のブランクがあったものの、彼女の魂はちゃんと運転操作を覚えていた。当然、勤めていたメーカーの車ではないため会社の駐車場に置くことができず、近くの月極駐車場をわざわざ借りることになり、生活費を圧迫していたが、それも今では遠い思い出でしかない。
「20!、それから右梅!」
「よーそろー」
その耀子はドライバーとして、佐藤要蔵のコ・ドライバーの練習を引き受けていた。佐藤は飛行士を目指して秋田県から上京してきた努力と根性の男で、テイジンテストパイロット陣の中で最も若く(つまりまだ飛行経験がほとんどないため業務から抜けてもそんなに影響がなく)、なんでもやり通す強い意志があることから、コ・ドライバーに抜擢された。
「10!左竹!20!右竹!」
「いいねえいいねえ」
佐藤のペースノートに従い、耀子はノリノリでハンドルを回す。
「30!左梅!」
「よーそろー……?んーこれ梅じゃなくて竹だ。夜だったら事故ってたねえ」
梅(減速の必要がないコーナー)と宣言されたコーナーを耀子は一目で竹(減速が必要なコーナー)と判断し、危なげなくクリアしていった。
「すみませんでした!」
「反省会は後!まだまだ道は続くよ!」
一次大戦が1年で終わったため、モンテカルロラリーも1924年より前に再開されることは明白である。少ない準備時間を有効に活用すべく、4人をはじめとするテイジン自動車レーシングチーム「マイスター」は猛練習を重ねた。
佐藤要蔵はまだ一人前の飛行士になっていないので、佐藤章を名乗っていない、という設定です。