存在価値
これも書こうと思っていて後回しになっていたお話です
大日本帝国陸軍騎兵は悩んでいた。今回の欧州の戦で、騎兵という兵科が完全に時代遅れになってしまったことがはっきりと分かったからだ。騎兵科出身の将軍は三年式突撃車を用いた大規模機動戦で大活躍したものの、突車を使用しているのは機動歩兵、つまり歩兵科の兵士であった。日露戦争の時の歩兵は機動力がなく、敵騎兵に奇襲を受けかけたこともあったが、一次大戦時の歩兵には四四式輸送車や突車があり、戦場のどこかで奇襲を受けても迅速な対応ができるようになってしまった。
「もはや我々騎兵の存在価値は何なんだ……?かわいい馬で兵士たちを癒すぐらいしかないのか……?」
このため、多くの騎兵科の人間が、自分たちの存在意義を疑うようになっている。櫛淵鍹一中尉もその一人であった。
「騎兵の存在価値か……あえて言うならば"簡便なこと"だろうか」
櫛淵は士官学校の同期である鷹司信煕中尉に相談した。彼は1915年に陸軍砲工学校を卒業し、現在東京帝国大学に派遣されて技術士官としての道を歩もうとしている。妹にあの"維新以来の才女"鷹司耀子がおり、何かいいアイデアをくれるかもしれないと考えたのだ。
「簡便なこと……」
「突車や輸送車をそろえるためには高い工業力が必要になる。馬には要らないだろ」
「まあ確かにそうだが……それだけではいずれ騎兵の滅びは避けられないのではないか?歩兵のように前線で戦うことは難しいし、偵察も航空機が飛んで見に行ってくれば終わってしまうだろう」
実際にはそう簡単な話ではないのだが、櫛淵がそう思うのも無理はなかった。欧州では航空機による偵察が非常に役に立ったという戦訓が見出されており、今まで前線偵察をしていた騎兵は、いよいよもって活躍の場がなくなってしまいそうであった。
「……そうか成程、耀子はこのために俺をここへやったのか」
「ん?どうかしたか?」
この時信煕は欧州での突車の活躍を思い出していた。あの車両は歩兵を敵陣の奥深くまで送り届けることが本来の役割であったが、それ以外にも緊急機動部隊として搭載されているポンポン砲で火力支援を行い、ドイツ軍の反攻を撃退するのに大いに役立っている。このときの突車は歩兵を降ろしているため、この任務を行う車両は本来歩兵搭載能力をもつ必要がないのだ。
このことから信煕は「歩兵搭載能力を持たない、純粋な戦闘能力に特化した車両を開発するため」に、技術士官になってほしいと耀子がお願いしてきたのだと思ったのである。
「いや、なんでもない……騎兵がこの先も生き残るためには、歩兵科と同じように機械化すればいいと思ったんだ」
「機械化……鉄の乗り物を使えということか」
「そうだ。突車も輸送車も、10人以上の人員が乗れるように作られているから非常に大きい。重量は10tに達し、輸送船の5tクレーンでは吊り上げることができないから、揚陸に苦労したという話を聞いている」
「つまり、重量5t以内で簡単に揚陸でき、突車と同等以上の戦闘能力を持つ、乗員2~3人の小型装甲戦闘車両を騎兵が持てば、重宝されるのではないかと」
これまでの議論から、櫛淵は史実の「装甲車」の発想にたどり着いた。
「……ちょうどいい。卒業論文はその手の車両の必要性と要求性能、そして運用方法にしてみようじゃないか」
「いいのか?」
「おそらく、俺はそのために東大に来たんだ。そうだな……10年くらいもらえれば、望むものの配備を始められるだろう。それまで待ってくれるか?」
「わかった。俺もその間に欧州の戦いを研究して、秋山閣下のように騎兵指揮官としての高みを目指そう」
こうして、この世界では歩兵戦闘車の後に戦車という車種が誕生することになった。
この世界での日本戦車の父は信煕兄さんになりそうです