IHIのHはHarimaではない-2
拡張工事の傍ら、播磨造船所はテイジンから渡された仕事に取り組んでいた。
「これが、フェノール樹脂……」
「最近建て替えた我が家の柱も、確かこんな見た目だったな」
彼らの仕事は「フェノール樹脂GFRPを多用した10t未満の漁船を設計・製造する」ことである。テイジンお得意のナイロン系ではなく、三共のフェノール樹脂を選択したのは、耐炎性・耐水性が段違いだからであった。
「樹脂って、要はセルロイドだろ?火が付いたらあっという間に燃えちまうんじゃねえか?」
「それがよ、確かに炎に触れれば多少燃えるんだが、離すとすぐ火が消えちまうんだ。材木なんかよりずっと燃えにくいぜ」
特に三共は、建築材料としてフェノール樹脂製造のノウハウを蓄積しており、硬化条件によって耐炎性を大きく向上させることができることを見出していた。テイジンが防火服の際に開発した耐炎性処方と合わせて、酸素指数(燃焼を継続するために必要な空気中の酸素割合)40以上を保証する難燃性樹脂材料となったのである。
「漁船のような小さい船だと、今は木造だ。手入れを怠るとふやけて腐っちまうし、シロアリやフナクイムシに食われることもある。フェノール樹脂ならそうはならない」
「それに木材と比べて明らかに軽量・高強度だ。同じトン数でも、大きくてたくさん積める船が作れる」
「そういわれてみると、まるで夢のような素材だな……」
検証が進むにつれ、手ごたえを感じるようになった播磨造船所技術陣は、精力的に開発を進めて1919年にGFRP製漁船「H-19」を発売する。従来の木造10トン級漁船よりも明らかに大きく、手入れの楽な船体を持ち、70馬力のユニフロー式2ストローク2気筒エンジンを積んだこの船は、一躍西日本に播磨造船所の名を轟かせることとなった。これだけの高性能を持ちながら、従来のオーダーメイド生産ではなく、大量生産を行うことによって原価を押し下げ、競争力のある価格としていたため人気が集中。播磨造船所の経営立て直しに大きく貢献した。