プラスチックの匠
2021/2/28に「2グラムの福音」に大幅な加筆をしています。
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加筆後をまだお読みでない方は改めてごらんください。
1916年、テイジンはついに念願の生産設備を手にすることに成功した。射出成形機である。
「苦節10年……ここまで長かった……」
「ドイツの技術力はすごい……今までの課題が全部解決してしまった……」
テイジンと芝浦製作所の技術者たちが、完成した射出成型機を見ながら感慨に浸っている。彼らは1905年から10年以上にわたって射出成形機の開発に取り組んでいたのだ。
射出成形機とは、熱で溶かした樹脂を金型の中に素早く流し込んで製品を成型する機械である。金属分野におけるダイカストマシンが類似する設備だろうか。現代では、プラスチック製品の大量生産になくてはならない存在である。一応、この年代では欧州で実用化されている生産設備であったが、日本ではまだ使われてすらいなかった。
「こいつがあれば、航空機のリブや外板などを、ホットプレスよりも早く作ることができるはずだ」
「今から楽しみですなあ」
ところが、事はそう単純ではなかった。
「……この条件でここまで反るか……」
帝国人造繊維生産本部米沢工場樹脂成形課長の坂野は、射出成形機を使いこなすのに苦労していた。現代の射出成形機はコンピューター制御されており、シリンダー温度の分布や射出速度、保圧力などをワンタッチで変更できるが、このときの射出成形機は簡単な電気回路と機械仕掛けで制御されており、その精度は甘く、数値を変更するためにも操作にコツが必要であった。
「昨日はこの条件で大丈夫だったんですけど……」
部下は申し訳なさそうにしている。このように、その日の気温や湿度、生産に使用した樹脂のロットによって、成形結果が変わってしまうことは現代ですら起こっており、技術者たちを悩ませている課題であるため、大正時代の日本で起こらないはずがなかった。
「しかたない。始業時に数発試し打ちをして、成形条件は毎日決めなおすしかないだろう」
「そうみたいですね……」
現場の苦労は大きかったが、それでも製品の生産速度はホットプレスと比較にならなかった。このため、テイジンではわざわざ射出成形機のオペレーターを育成する制度を作り、一人前として認められた者に「匠」の称号とささやかな手当てを支給するようにした。これがテイジン内における「匠認定制度」の始まりであり、後に「匠」は射出成形機以外にも習得が難しい製造技術を身に着ければ得られる称号となった。
現実の射出成形機も扱いが難しい機械で、形状や金型構造、成形条件に気をつけないと製品が盛大に反ってしまったり、ウェルドラインやフローマーク、ガス傷と言った様々な製造不良が発生して使い物にならないガラクタを製造してしまいます。コンピューターの進歩で割と正確な制御や製造不良予測が可能になった現代ですら問題が出る代物ですから、この時代に使いこなそうとするのは至難の業ではないでしょうか。
とはいえ、これがあるのとないのとでは生産能力が段違いであるため、テイジンとしてはぜひとも実用化したい技術だったわけです。