飛ぶ鷺は風花の如く
「古巣とはいえ、ここまで無茶苦茶言われると少々ムカッと来るな」
帝国人造繊維航空技術本部設計課の奈良原三次は、軍用航空機研究会(航空偵察研究会が改称されたもの)から提出された要求仕様書をにらみつけていた。
仮称八年式爆撃機要求仕様書
・操縦手のほか、航法手と無線手の3名を乗員とすること
・12m×12mの正方形の中に納まる機体であること
・折り畳み可能な主翼とすることでこの条件を満たしてもよい
・800kg航空魚雷が搭載可能であること
・旋回機銃による自衛戦闘が可能なこと
・行動半径は300km以上のこと
・最高速度は200km/h以上のこと
「そしてこんな案件を持ってきちまう鷹司さんも鷹司さんだよなあ……」
要求仕様書をデスクに放り投げ、封筒から取り出されたのは耀子によるデザインコンセプトであった。メザシの串焼きのような双発双胴単葉機が、海面すれすれを飛んでいる。
「『何とかなるように色々根回しはしておくから頑張って♪』じゃねえよ……どうせドイツ人からいろいろ教えてもらえるんだろう……?この人はもう……」
とはいえ、史実でも国産航空機による初飛行第一号となった男である。文句は言いつつ、仕事はきっちりやることに定評があった。こうして、最終的に以下の機体が完成し、1919年に帝国陸海軍での採用が決まった。
帝国人造繊維 NA11B 八年式爆撃機"雪鷺"1型
機体構造:低翼単葉、双胴
胴体:鋼管フレーム羽布張
翼:テーパー翼、GFRP主桁/ナイロン-タルク材リブ、GFRPセミモノコック
フラップ:鷹司=奈良原フラップ(ファウラーフラップ)
乗員:3
全長:11 m
翼幅:15.6 m
乾燥重量:2400 kg
全備重量:4000 kg
動力:帝国人造繊維 "A100B" 強制掃気2ストローク空冷星型複列10気筒 400ps ×2
最大速度:300 km/h
航続距離:800 km
実用上昇限度: 6000 m(爆装時3000m)
武装:八年式航空機銃×2(旋回)
爆装:800kg
日本にとってもテイジンにとっても、空前の大重量機である。これでも双発機としてはだいぶ軽量であるが、単葉機にこだわったために離着陸に必要な速度がこの年代としては高く、特に爆装時の離陸には神経を使った。
「つまり、我々はこの機体が飛び立てる艦を作らなければいけないのだな……」
雪鷺の離着陸訓練を見学した造船士官たちはつぶやく。要求仕様書の「12m×12mの正方形の中に納まる機体であること」は、空母のエレベーターに載せるために入れられた条件であった。雪鷺は確かにこの制限をクリアしていたが、海軍が当初考えていた10000t級の船体では、魚雷を積むと離陸できない恐れがあった。
「やむを得ん、鳳翔は金剛型の船体をベースにして建造しよう。あの船は細長くて滑走距離が稼げるし、速力もあるから発艦もしやすいはずだ。それに、万が一航空母艦という艦種が我々の求めるものではなかったとしても、その時は戦艦に改装できるかもしれない」
実は、この流れは軍用航空機研究会によって仕組まれたものでもあった。彼らは意図的に中型機でないと達成できない要求仕様書を作り、それを発着艦できるような大型空母が建造されるように仕向けたのである。もちろん、史実の九三式陸上攻撃機のように艦載することを諦められることがないよう、念入りな根回しや入れ知恵も忘れなかった。
ちなみに陸軍はと言うと
「爆弾搭載量800kgか……胸が熱くなるな」
井上幾太郎少将のように、雪鷺の性能に胸を躍らせている。この当時としては破格の爆弾搭載量であり、その火力は海軍の305mm砲弾2発分をさらに上回っていた。艦載機として運用しようとしている海軍と違って、陸軍はそこまで離陸滑走距離にシビアではないため、単純に高性能な機体を納入されて喜んでいたのである。
さすがに無茶苦茶かなあ……