大地に水がしみわたる様に
この日、鷹司煕通は陸軍士官学校時代の同期である、陸軍戸山学校校長の大谷喜久蔵を訪ねていた。
「して、鷹司君、相談というのは」
「ここ最近、イギリスが植民地との戦争に持ち込んで猛威を振るっている、機関銃というのはご存じですか?」
「4挺もあれば5000人のアフリカ人戦士の突撃を止められるという奴か」
「そうです。今回ご相談したいのは、もし敵が大量の機関銃を設置し、塹壕を張り巡らせた陣地で防御してきた場合、これをいかにして攻略せしめるかということです」
「ふむ……なるほど、植民地で成果を上げている以上、大国同士の戦争にも投入されてくると、鷹司君は見ているんだね?」
「ええ」
「私も同意見だ……これを攻略しようとするとき、まず真っ先に思いつくのは、敵の機関銃陣地を砲撃で破壊することだが、さすがにそれがうまくいくと思っているのなら、私のところに来たりはしないだろう?」
興味深い議題だと思ったのか、大谷の発する雰囲気が変わる。
「はい、砲弾というものはなかなか思い通りに当たりません。機関銃は、1挺あたり2~3人で運用する兵器ですから、そのくらいの人員が詰められる程度でしかない大きさの数キロ先にある「点」を狙い撃つなど、野砲にはやや荷が重いのではないでしょうか」
「相手も砲撃でつぶそうとすることぐらいわかっているだろうから、偽装を念入りにしている可能性も高い。君の長男が大好きな鳥ならば、戦場を空から見てこれを看破することも可能だろうが、我々は空を飛べないからな」
1901年ではまだライトフライヤー1号ですら飛んでいない。唯一、気球を用いれば空からの偵察を実施することができ、日露戦争時には日露両軍が使用している。
「そして塹壕というのも厄介です。何せあれは弾と名のつくものから身を守るために掘られているのですが、そんなところに砲"弾"を撃ち込んでも、中の兵士にはなかなか届かないでしょう」
「我々がどれだけ知恵を絞ってあの溝を掘っているのかということだな。真上から砲弾が降ってくればさすがに防げないが、そんな遠距離から撃てば今度は命中精度が問題になる。手榴弾は直接塹壕内に火力を投入できるが、そこまで接近する前に薙ぎ払えてしまうのが機関銃という奴だろうな」
「砲撃は非現実的、突撃は論外。ではどうやって突破するか……ということで、こちらに私の考えをまとめてみました」
「……なるほど、これの妥当性を評価してほしいというわけか」
そこに書かれていた手順は以下のとおりである。
1.敵第一線に対して、短時間でよいので苛烈な砲撃を奇襲的に加え、一時的でいいので敵の指揮統制を乱す
2.敵第一線が混乱し有効な反撃ができないうちに、こちらは可能な限り広範囲で歩兵突撃を行う。これに伴い、誤射を避け、敵第一線への増援を阻止するため、我が方の砲兵隊は砲撃目標を敵第二線に変更する
3.敵第一線に対して突撃した歩兵隊は、機関銃陣地のような強化点ではなく、火線の死角や手薄なところを探して攻撃する。最低限の突破口を確保した部隊は、そのまま敵第二線へ突撃し、第一線の時と同様の手法で突破を図る。我が方の砲兵隊は目標を適宜変更し、突破を図る我が方の歩兵隊を支援する
4.敵の防衛線を突破し後方まで浸透した部隊は、敵司令部や放列を攻撃してその機能を麻痺させ、敵前線を孤立させる
5.孤立した敵前線は有効な反撃を行えなくなるので、後詰を投入し、我が方の突撃で寸断された敵前線を各個包囲殲滅する
一部の読者はお分かりだろう。浸透戦術である。ご丁寧に塹壕線を分進合撃する様子を現した図まで添えられていた。耀子は旅順攻囲戦に代表される近代陣地への凄惨な突撃が行われることがないように、今のうちから戦術研究をしようと煕通に提案したのだ。
「こちらが万全の状態であるうちに全力を投入して敵強化点を叩き潰すことで、敵の士気をくじき、他の前線も連鎖的に敗走させるというのが現在の常識だが、鷹司君は敵の弱点を突きつづけてひたすら突破すれば、敵の指揮系統にダメージを与えて組織的な抵抗ができなくなると考えているのか」
「その通りです」
「確かに考え方自体は間違っていない……いや、おそらく正しいとは思う。だが、これはこれで今の帝国陸軍では実施が困難だな」
「自分でも課題は多いと思います」
「だが、やる価値はある」
大谷が煕通を見てにやりと笑う。それを見た煕通は安心したような笑みを浮かべた。
「評価していただき感謝します。やはり、大谷殿に相談して良かった。正直なところ、非現実的だと突っ返されるものとばかり思っていました」
「非現実的だったものを現実的なものにするからこそ、新しいものになるのだ。私を誰だと思っているのかね?陸軍戸山学校校長だぞ?」
この時期の、陸軍歩兵学校が分離する前の陸軍戸山学校は、歩兵の戦技や戦術の研究と教育、それらの指導者の育成を行っている。つまり、「歩兵の戦術」である浸透戦術を本格的に研究するなら、それは陸軍戸山学校の仕事になるわけだ。そしてどうやら、煕通の提案した浸透戦術は、興味深い研究対象として認識されたようだ。
「ところでこれはどこから着想を得たんだ?ドイツ軍が似たようなことを考えていたのか?」
「えーとまあそんなところですね……」
まさか『四歳の末娘が言い出した』とは言えない煕通は、とりあえず適当にごまかした。
この二人に本当に接点があったのかはよくわかりませんが、この世界では面識があったことにしてください。
1/9:大谷が近衛師団参謀長だった時期と、煕通が近衛歩兵第三連隊付だった時期が被らないことが判明したため修正