因果応報
結局西部戦線では日本軍の高砂作戦により第1軍と第2軍の大部分が降伏し、連合国側8万の損害に対して20万の兵士を失って、完全に戦況が連合国側に傾いてしまった。一方の東部戦線ではドイツ軍が盛り返している。西部戦線から限界以上に戦力を引き抜き、新兵器も使用した結果、西プロイセンを奪還していた。
だがこのとき使用した新兵器が問題であった。毒ガスである。
皮肉なことに、この毒ガスはポリカーボネートを作るためにテイジンがドイツBASF社に発注し、戦争の発生で行き場を失ったホスゲンであった。なおこの報告を受けた耀子の感想は
「知ってた」
であり、犠牲になったのが日本軍ではなくロシア軍であったこともあり、ショックを受けたというよりは呆れたような様子だったという。
毒ガスとしてのホスゲンは極めて厄介であり、解毒剤が存在しない。その原因は作用機構にあり、サリンなどの一般的にイメージされる毒ガスと違って、神経に作用するのではなく、単純に体内で分解されて塩酸に変化し、目や呼吸器などの粘膜を化学的に破壊することが原因である。たちが悪いことに、低濃度のホスゲンに長時間暴露された者が、数日後に突然中毒症状を発してそのまま亡くなることもあり、ホスゲンが散布されたと思われる戦いに参加した者を、しばらく経過観察する必要があった。
「ドイツの行為は完全なるハーグ陸戦条約違反だ!」
連合国はもちろん、ドイツ国内からもこの毒ガス攻撃は非難され、久々に勝利を得たのにもかかわらずドイツ国民の士気はむしろ低下することになる。
「このような卑劣な手段を用いる国とともに戦うことはできない!」
最悪だったのは、同盟国であるオーストリア=ハンガリーとブルガリアもドイツを非難し、勝手に連合国と休戦して中央同盟から脱退してしまったことである。これは日本が参戦直後から英国の協力を得つつオーストリア=ハンガリーとの終戦工作を行っていたこと、オーストリアとブルガリアがセルビアを降伏させ、とりあえずの戦争目標を達成したことが大きく、ドイツの行為は何とかして戦争から抜けるきっかけを探していた両国に絶好の口実を与えてしまったことになる。
「セルビアを見殺しにすることはできない!」
「はあそうですか。日英はせっかく休戦に応じてくれたオーストリアを見殺しにはできません」
「ロシアがオーストリアと交戦し続けるのであればこちらにも考えがありますよ」
一次大戦開戦当初、イギリスには「オーストリアを解体し、民族自決の原理に基づいて複数の国に再編すべきだ」という考えの人々と、「ハプスブルク帝国を平和的に存続させ、ドイツに対する抑えと東欧の秩序維持の役割を担わせるべきだ」という考えの人々がいた。日本は後者の人々を積極的に援助し、イギリス政府高官を説得して回ることで、イギリスを味方につけ、オーストリア=ハンガリー(とブルガリア)の分離講和を実現したのである。
また、ロシアもすでにドイツとの戦いで200万人以上を失っていた。すでに血の日曜日事件でロシア王室への国民の支持は失われており、これ以上の戦争で国民に負担を強いて日露戦争のように再び革命が起これば、今度こそ国が倒れるため、結局ロシアもオーストリア=ハンガリーとブルガリアとの休戦を受け入れざるを得なかったのである。
結局、今までロシア軍を引き付けていたオーストリア=ハンガリー軍が離脱するとなると、ドイツ軍の逆転の目も潰えることになるため、連鎖的にドイツも降伏。オスマン帝国はすでに国土をロシアに蹂躙されていたため、1915年4月にこの世界の第一次世界大戦は終結した。
もう少しこじれるかと思ったのですが、思ったよりあっさりケリがつくことになりました。これで本当にうまくいくのかはわかりませんが、どうかご容赦ください。




