海鷲は今だ巣立たず
史実の臨時軍用気球研究会の参加メンバーを見ていたらちょうどいい人たちを見つけたので、欧州に来ていることにしました。
遣欧航空艦隊司令 山路一善少将は、遣欧航空艦隊旗艦鞍馬艦長 山内四郎大佐とともに、今回のノーフォークバンク海戦における水上機の運用についてまとめていた。
「やはり、航空機による対艦攻撃能力、特に雷撃能力の開発は急務だな……」
「日露戦争時の課題であった索敵については水上機の活用によってほぼ解決できました。しかし、機体重量がかさんで積載量が限られる水上機では、いざ海戦が始まってしまった後にできることがほとんどありません……」
山路の一言へ山内が悔しそうに付け加えた。このとき日本海軍が運用していた水上機は陸軍が運用している三年式襲撃機"金鵄"の飛行艇版「三年式飛行艇」であった。この機体は全長とほぼ等しい大きな艇体を持ち、偵察員兼通信手、航法手、操縦手の3人を乗せて偵察任務に使用することができた。しかし、軟弱なポリカーボネート板とナイロン板でコクピットを覆えばよかった陸上機とは異なり、水上機では離着水の衝撃に耐える頑丈な艇体もしくはフロートを備える必要があったため、"金鵄"より機体重量が倍以上に増えてしまった。エンジンは当然据え置きのため、積載量はその分減っている。
「両翼あわせてようやく300kgという積載量では、8インチ砲弾改造爆弾を2発積むのが精いっぱいだ。これでは敵戦艦に有効打を与えるのは困難だということで、いっそのこと爆撃能力を省略し、その分航続性能を伸ばして偵察能力を向上させたんだったな」
「三年式飛行艇の哨戒実績を見るに、あの時点では最良の選択だったとは思います。ですが味方艦が必死に撃ち合っている中、何もできずにただ艦隊位置を発信し続けるだけというのは、搭乗員たちにも来るものがあったようです」
もちろん、陸軍から破甲榴弾改造爆弾をもらって巡洋艦に落とすという選択肢もあった。だが、筑摩型防護巡洋艦の火力は圧倒的で、大抵の同格巡洋艦を瞬殺してしまうため、これもまたあまり有効な手とは言えなかった。
「やはり、水上機母艦ではなく、陸上機を運用できる航空母艦が必要だ」
「そして、敵戦艦にも有効打を与えることができる、魚雷もしくは大型爆弾の投下能力を持つ機体も欲しいですね」
彼らの提言は、後の空母鳳翔や八年式攻撃機として実を結ぶことになる。
というわけで、海軍さんが航空機による対艦攻撃をしなかったのは、思いつかなかったのではなく(今の手持ちの機体では)できないと判断していたというのが理由でした。今回、水上艦だけで戦おうとすると大けがをすることが分かったため、これ以降は航空機の対艦攻撃能力にも期待するようになります。