風雲ドイツ艦隊-1
さて、イギリスに着いてからの日本海軍はどうだったかというと、馬車馬のごとく働かされていた。
ドイツ軍海軍は艦隊保全主義に基づいて大規模な出撃を控え、その代わりに小規模な艦隊による襲撃を繰り返していた。その標的は商船や輸送船にとどまらず、1914年11月にはイギリスの港湾都市ヤーマスを砲撃している。
「こんなクソ寒い早朝に敵さんもわざわざご苦労なことだなあ」
水上機母艦鞍馬とともにイギリスへ追加派遣された駆逐艦海風の見張り員は、朝日が昇りつつある北海でぼやいていた。
海風型駆逐艦
排水量:1100t
全長:100m
全幅:8.5m
機関:伊号艦本式重油石炭混焼缶8基+ブラウンカーチス式直結タービン2基2軸推進
最大出力:23000shp
最大速力:33.0ノット
航続距離:2700海里/15ノット
兵装
40口径120mm連装砲2基(砲架2基)
45cm五連装魚雷発射管1基
海風型駆逐艦は最強の駆逐艦を目指して建造された日本海軍渾身の6隻であり、実際イギリスのG級駆逐艦などと比べても攻撃力で明らかに勝っている。お金のかかる強力な主力艦を建造できないため、水雷戦隊に注力して"大物喰らい"をねらっているのは明らかであった。
「……?西南西より航空機1!あれは……なんだ、鞍馬の飛行艇か」
「そろそろ彼らも飛び立てる頃だからな。今日もそのうちむこうから敵艦隊発見の報があるだろう」
見張り員の報告に艦長の小泉親治中佐が応える。日中は鞍馬の搭載機としてイギリスに渡ってきた三年式飛行艇20機が、交代で北海を哨戒しており、先日もこれに巡洋戦艦3隻を含む艦隊が捕捉されていた。ドイツ側は日本の飛行艇に捕捉されると素早く退避してしまうため、今のところ海戦は生起していないが、航空機による索敵の有効性は明らかであり、日本海軍はイギリス海軍からたびたび感謝されている。
「索敵3番から入電!敵艦隊発見!戦艦5、巡洋艦2、駆逐艦14!ノーフォークへ向かう!」
「どうせまた逃げられるだろうが、念のため出撃する。イギリス艦隊にも敵艦隊の位置を知らせよ」
遣欧艦隊司令長官 加藤友三郎中将は即座に全艦の出撃を決めた。このままドイツ艦隊が突進してきた場合、ノーフォーク沿岸のどこかが襲撃されてしまう恐れがある。なお、「戦艦5」のうちの1隻は実際には装甲巡洋艦ブリュッヒャーであったが、排水量16000t級の大型艦であり、この世界の河内と大差ない大きさであるため、間違えるのも無理はない。
「まだ確信してるわけじゃないんだが、今回の敵さんは相当やる気だと思うぜ」
「ほう、なぜそう思う」
「もはや北海は三年式飛行艇によって日中は常に見張られているというのは向こうもわかっているだろう。なのに飛行艇が飛べない夜間を選ばず、早朝に出撃している。艦隊の規模も、今までよりだいぶ気合が入っているから、ある程度の艦隊戦を行う意思が向こうにあるとみていいだろうな」
「だが、何が狙いだ。港湾都市を一撃離脱したいのならば、君の言う通りもっと慎重に行動するだろうし、艦隊決戦をしたいにしては小規模すぎる」
参謀長の秋山の推論に加藤が疑問を呈した。
「敵艦隊の位置と進路を考えてみろ。この位置からこの方向に進んでいる艦隊に、最も早く接触できる連合国側の艦隊はどれだ?」
「……遣欧艦隊だな。まさか」
「ああ。ドイツ側の狙いは日本遣欧艦隊の撃破だろう。ついでに皇帝の機嫌を取るための手っ取り早い戦果も欲しいんだろうな」
遣欧艦隊の現在の戦力は、弩級巡洋戦艦(日本海軍としては装甲巡洋艦)2、防護巡洋艦4、駆逐艦6。個艦の性能差から、直衛艦隊の戦力は互角とみてよいが、主力艦隊の戦力は不利であると言わざるを得ない。とはいえ、圧倒的な戦力差ではないから、ドイツ側も相応の損害を被る可能性がある。
「つまり我々はなめられているということか」
「半分はな。もう半分は、それだけ我が国がイギリスと良好な関係を築いていると、ドイツが評価しているということでもある」
「遠路はるばるやってきた我が艦隊が、ドイツ海軍には歯が立たないということにして、日英間の信頼関係にひびを入れようということか」
「まあ、そっちがその気なら、こっちは向こうに"極東の黄色人種の艦隊にすら勝てない軟弱海軍"のレッテルを貼ってやるまでっすよ」
数分後、索敵3番の捕捉したドイツ艦隊はなおも進路を変えず進撃しているとの続報が入り、秋山の予想は確からしいことが分かった。
「戦艦を発見!方位、1-9-2、距離、遠い!……あの特徴的な三連装砲塔は間違いありません、日本の金剛級です!」
「やはり来たか」
「そうでなくては困りますよ」
第1索敵群司令官フランツ・フォン・ヒッパー少将と、旗艦ザイドリッツ艦長のモーリッツ・フォン・エジディ大佐は、見張り員から金剛型巡洋戦艦を発見したとの報告を受けた。
「彼らは名誉を重んじる民族と聞きます。先の日露戦争で日本陸軍はその名声を大いに高めましたが、海軍はイマイチパッとしませんでした。そのうえ我々を見過ごして、さらなる汚名を着せられることは、到底許容できないでしょう」
「何はともあれこうして目的の相手が現れたわけだ。欧州の洗礼というもの与えてやろうじゃないか。進路150、右砲戦用意」
主力艦の戦力で劣る日本艦隊に対し、ドイツ艦隊は突撃を開始した。
ドイツ側の突撃に対して、金剛、比叡は大きく右に転舵し、ドイツ艦隊に敢えて同航戦を挑んだ。ドイツ側の主力艦のうち、モルトケ、フォン・デア・タン、ブリュッヒャーは0.5kt以上劣速であり、日本側が全速を出せばこの3隻を引き離すこともできた。
「本当は頭を押さえたいが……今は我慢する時だな」
「ああ。下手にドイツ側の頭を押さえようとして速度を上げたら、3隻を分派されて後方に抜けられるかもしれない。そうなれば結局、港湾都市への襲撃を許してしまう可能性がある。勿論相手がそうしてくる可能性は低いが、そこまでしなければいけないほど状況は切羽詰まってねえ」
このときの砲戦距離は約16kmであり、ドイツ軍にとっては遠距離砲戦であった。ドイツの艦砲は小口径ながら砲身長が長く、軽量高初速の砲弾を使用していて近距離砲戦での貫通力はより大口径のイギリス艦砲より優れていたが、その分遠距離砲戦では貫通力の減衰が著しく散布界そのものも広いため、日本側のほうが有利に戦えると考えたのである。
実際、ドイツ側で最も強力な砲を持つデアフリンガーでも、15000mの距離では229mmの舷側装甲を貫通するのが精いっぱいであり、史実に比べて51mm増厚された金剛型の主要防御区画を貫くことはできなかった。ただし、甲板装甲や砲塔天蓋については貫通される可能性があり、決して楽観視してもいけない状況であったことが後の研究で分かっている。
「ぐっ……!被害状況知らせ!」
「艦首に複数の榴弾が命中!火災が発生しているほか、水線部に命中したものが装甲帯を歪ませて浸水が発生しています!」
「前部煙突基部に榴弾が命中!前部煙突が倒壊しました!排煙困難により、機関出力が低下しています!」
「右舷副砲群に榴弾が命中!15cm砲3基が吹き飛ばされ、集積されていた弾薬が誘爆して火災が発生しています!」
「まずは消火を急げ!弾薬に誘爆されたらまずいぞ!」
徹甲弾で主要防御区画が貫通できないのは日本側も同様である。このため、徹甲弾ではなく被帽通常弾(弾底信管榴弾)を発射し、上部構造物を徹底的に破壊しつつ火災を発生させて無力化しようとしたのである。そしてその試みは、たった2隻で30門も搭載されている主砲によって、先頭を走るザイドリッツを急速にスクラップへと変えつつあった。
一方、金剛の後方を航行する比叡はザイドリッツ以外の艦から集中砲火を浴び、こちらもまた非装甲区画を散々に痛めつけられていた。
「主甲板に命中弾!左舷甲板副砲群全滅!」
「艦首非装甲区画を敵弾が過貫通!」
「左舷舷側装甲に複数の命中弾あるも貫通せず!」
「艦尾左舷水線部に命中弾!浸水が発生しています!」
「浸水を止めろ!艦が傾いたら弾が当たらなくなるぞ!」
盛大な殴り合いを続けながら、日独艦隊は南南東の方向へ移動していった。