欧州方面軍
ジョフルが元帥の称号を得ていたかとか、ツァロンの肩書とか、いろんなものがあやふやですが、もうこの世界ではそうなっているということでご了承願います。
日本が第一次世界大戦に参加してから、海軍は迅速に欧州へと戦力を派遣したが、陸軍はアジアに点在するドイツの拠点を制圧して回っており、イギリスの派兵要求にこたえて陸軍を派遣したのは1915年に入ってからであった。主だった編成は以下のとおりである。
欧州方面軍 奥保鞏元帥大将
第1軍 大谷喜久蔵大将
機動第1師団 秋山好古中将
歩兵第1師団 一戸兵衛中将
第2軍 大迫尚道大将
機動第2師団 本多道純中将
歩兵第6師団 梅沢道治中将
第1航空大隊 有川鷹一中佐(飛行隊長:徳川好敏少佐)
独立西蔵大隊 ツァロン・シャペ大将
待たせてしまった分、このときの日本が用意できる最高の布陣で挑んでおり、英仏からは大いに歓迎された。特に機動第1、第2師団が装備する三年式突撃車は、この世界における最初の歩兵戦闘車と言うべきものであり、膠着した前線を突破するための秘密兵器として大いに期待されている。
大阪砲兵工廠 三年式突撃車
全長4.8m
全幅1.9m
全高2.5m
重量:12t
乗員数:3名(運転手、無線手、車長兼砲手兼装填手)+兵員8名
主砲:毘式四十粍機関砲(ヴィッカースQF2ポンド砲)
装甲
主砲前盾:13mm
主砲側盾:13mm
主砲天蓋:7mm
主砲後盾:7mm
車体正面
上部:7mm20°
下部:13mm60°
車体側面:13mm90°
車体背面:7mm90°
車体上面:7mm
車体下面:非装甲
エンジン:帝国人造繊維"A040A"(デチューン版) 強制掃気2ストローク強制空冷水平対向4気筒×2
最高速度:40km/h
また、特筆すべき点としては欧州方面軍の指揮下にチベットから派遣された歩兵1個大隊が存在していることである。これはチベットの近代化に力を注ぐツァロン・シャペ陸軍大臣が、日本側に頼み込んで便乗させてもらったものであり、欧州の最新の戦場を体験しようと大将でもあるツァロン自らが率いるチベット軍の最精鋭たちであった。装備こそ日本軍のおさがりであったが、彼らは1912年に辛亥革命に乗じて発生したチベット独立紛争を経験しており、隣国ネパールの民が"グルカ兵"としてイギリスに重用されていることをライバル視していて士気も高かった。
「……以上が、我が軍の提案する作戦です」
「奥元帥、確かに貴殿らの持ってきた新兵器は驚愕に値するが、できるのかね?こんなことが」
大迫大将から日本軍の立案した作戦の説明を受けたフレンチ元帥は、半信半疑といった表情で奥元帥に聞いた。
(我が軍の有する機動歩兵師団の突破力と侵攻速度ならば、可能です)
奥はそう紙に書き記す。彼は耳が悪いため、周囲とは筆談でコミュニケーションをとっていた。
日本軍の作戦は、第1軍はシャロン=アン=シャンパーニュ、第2軍がオーセールから攻勢発起し、現在ドイツの占領下にあるランスを目標に前線を各々80kmほど突破してパリ前面に布陣するドイツ軍主力を包囲しようというものである。先鋒は機動歩兵第1、第2師団が務め、彼らが開いた突破口に四四式輸送車や現地徴用したタクシーなどを使って、次々と後続の歩兵を送り込むということになっていた。
「ここは貴様の妄想を披露する場ではないのだが、耳だけでなく頭までおかしくなったのか?」
これに対し、フランス軍総司令官ジョゼフ・ジョフル元帥は侮蔑的な態度で疑問を呈した。彼はドイツ軍が攻撃を停止したあと、何度かドイツ軍に対して攻撃を仕掛けているが、すべて失敗していた。彼は極東の、少し前まで鎖国していたアジア人たちを下に見ており、イギリス軍から「日本軍から教わったノウハウ」を教えられても、なおその評価を変えていない。
(三年式突撃車は歩兵の10倍の速度で疾走することが可能です。当然敵軍の妨害はありますが、80km程度であれば、1日で走破できるでしょう)
「そういうわけだジョフル殿。私も信頼しきっているわけではないが、少なくともこの作戦計画は、貴殿が持ってくるものよりもずっとよく練られているぞ。それともなんだね、君ならもっとドイツ軍に打撃を与えられる作戦を持っているというのか?」
奥元帥の反論に、フレンチ元帥が援護射撃を飛ばす。ジョフル元帥は露骨に顔をしかめたが、何も言い返すことができなかった。
こうして、日本軍を主力としたドイツ軍主力撃滅作戦「高砂作戦」の実施が決定。日本陸軍の欧州における激闘が始まろうとしていた。




